格好悪く映ることを本気でやりたい。
みっともなく映ることを全力で取り組みながら生きたい。
思いっ切りバカなことを真剣にやりたい。
多くの人が、心の奥底では、このようなことを思っている。
なのに、できずにいる人が山ほどいる。
なぜなら、つまらないプライドが邪魔をしているから。
周囲を気にする自分がいるから。
良く映るようにすることが当たり前になっているから。
つまらない常識に毒されてしまうんよね。
育つ過程で…
経験を重ねる内に、自然と割り切るようになる。
割り切って、いらないと判断したものを次から次へと捨てる選択をする。
もちろん、これは大事。
だが、そうやって過ごす内に、無意識の内に、合理的に生きてしまっているんよね。
得をするのか、損をするのか、必要なのか、必要ではないのか、といった基準に基づいて判断してしまっている。
ゆえに、あそびの部分が、欠落している人は多い。
余分な隙間を持たずに過ごしている人は多い。
このあそびの部分や余分な隙間にこそ、人生の醍醐味があるというのに…
確かに、合理的に生きることは素晴らしい。
でも、それだけではつまらない。
誰と会おうと、つまらない話しか提供できなくなる。
なんせ、そういう生活しかしていないから。
他者が興味を惹くような話題って、合理的なものから外れたところにたくさんあったりする。
そして、あそびの部分や余分な隙間を持っている人ほど、人としての魅力が高かったりする。
だから、時には、つまらないプライドや常識、当たり前を捨てて、格好悪く映ることを全力で取り組みなよ。
必要ないと決めつけていたものを真剣にやってみなよ。
たったそれだけで、違う景色が見えるから。
今までと異なる感覚を味わうことができるから。
多くの人は、格好悪く映ることを嫌う。
自分が格好悪く映ることをどうしても許せかったりする。
なんたって、自分は格好良く映りたい、と強く思っているから。
器用にスマートに生きたい、と思っているから。
ひょっとすると、無意識の内に、エリートのように生きたい、と思っているのかもしれない。
ただ、エリートではない人の方が、こういう願望が強かったりする。
しかも、不器用な生き方や泥臭い生き方を否定していたりする。
もちろん、どんな生き方を選ぼうと、人それぞれ。
けど、器用にスマートに生きることを求める人が圧倒的に多い。
無難に生きることを望んでいる人が断然多い。
周囲に合わせながら、要領よく世渡りしようとする人は山ほどいる。
でも、器用に生きようと、スマートに生きようと、無難に生きようと、心って満たされないんよね。
それは、自分が一番良く知っている。
心は満たされないのに、毎日毎日同じようなことを繰り返す。
あえて、忙しくする人もいる。
何もない時間を怖れて…
一方、不器用で、泥臭く生きている人って、日々を真剣に生きている。
覚えるまでに時間がかかり、失敗することも傷つくことも多いが、いたって真剣に取り組んでいる人が多い。
どうにかしようともがいている人がたくさんいる。
たとえ、力的には劣っていても、心の方が満たされていたりする。
面白いもんじゃよね。
そして、不器用なりに、心を満たしながら取り組んでいると、ある日、器用に生きている人を追い抜かすことだって意外とよくある。
そりゃそうじゃよね。
だって、器用にできる人って、マインドが低いから。
多少、力があろうと、マインドが低ければ、成長の度合いは小さいもの。
成長の度合いが小さければ、やがて、追い抜かされるのは当然のこと。
最初のビハインドでどうにかなるなんてのは、甘い考え。
どんなに力があろうと、意識が低いまま過ごしていると、意識を高く保ちながら過ごしている人には、抜かされちゃう。
最初の力の差なんてものは、あまり信用できない。
その後の自分次第でどうにでもなるんやから。
器用に、スマートに、無難に生きる生き方もあるが、これは絶対的なものではない。
むしろ、自分の足かせになる場合だってある。
ゆえに、不器用に、泥臭く生きることが長い目で見ると、良かったりするもの。
つまらないプライドや常識、当たり前を捨てなくちゃ、選ぶことができない生き方。
だが、この生き方を選んだ方が、心は満たされる確率は高いだろう。
だって、どうでもいいしがらみがほとんどないから。
格好悪く映ろうと、関係なく必死に取り組むから。
周囲を気にしている場合ではないし、気にする必要がないことを知っている。
また、不器用で泥臭く生きる自分に誇りを持っている。
そもそも、人がいれば、その数だけ独自の人生がある。
皆が皆、器用に、スマートに、無難な生き方を選ぶ必要はない。
多くの人が選ぶからといって、それがすべてではない。
多くの人が選ぶからといって、それが正解ではない。
なんせ、世間の常識に毒されて選んだかもしれないんやから。
皆が選ぶ道を選んだ人の中には、格好悪く映る事を真剣にやりながら生きたい、と思っている人もいるんやから。
思っているだけで、今の状況から脱け出せない人も山ほどいるんやから。
それに、実は、スマートに生きようとしている自分こそ、格好悪い生き方をしている、と感じている人も意外と多いものなんやから。
だから、格好悪く映ることを本気でやっている人を格好良く感じたりするものなんよね。
表面的には、スマートに生きた方が格好良く映る。
けど、心の面を軸にとらえると、不器用に泥臭く生きている人の方が格好良く映ることもよくある。
ある部分では、逆転現象が起きている。
よって、スマートに生きようとするだけが、道ではない。
進むことができる道はたくさんある。
ゆえに、自分に合った道を自分の意思で選べば良い。
それがベストの道なんやから。
サコヤンの独り言
「つまらないプライドや常識を捨てて、時には、格好悪く映ることを真面目にやりなよ」