自分がなんとかする、なんとかしよう。
と思うこと、すごく大事。
なぜなら、自分自身がなんとかしよう、と思うからこそ、なんとかするために動くことができるんやから。
自分の人生、すべてにおいて、誰かがなんとかしてくれるものではない。
だが、無意識の内に、なんとかなるだろう、誰かがなんとかしてくれるだろう、と思っている人は多い。
なんたって、誰かに依存して生きている人は多いから。
自分がなんとかしよう、と思わなくても、周囲の人が助けてくれるから。
自分がなんとかしなくても、なんとかなっている現実がある。
そのため、自分でなんとかしよう、という想いを抱きにくくなっている。
無意識の内に、今回もなんとかなるだろう、誰かがなんとかしてくれるだろう、と思っている節がある。
自分がやる、というマインドが育っていない。
いつも、誰かに任せっぱなしだったために。
すると、行動に移りにくいマインドが形成される。
なんたって、行動する必要がある時でも、自分がやらなくても良いのではないか、と無意識の内に思ってしまうから。
行動に対しての想いが緩くなる上に、簡単に悲観的な言葉を口にしてしまう。
誰かに任せっきりのマインドって、責任感も育まれない。
だから、甘々の人格が形成されてしまう。
ただ、こういう人は意外と多い。
独立心と自立心が育むことなく、大きくなってしまって。
生きる上で、独立心と自立心は、非常に重要だというのに…
おそらく、何か特別なことがなければ、独立心や自立心というのは、順調に育っていくのだろう。
けど、親に対して怖れを抱いたり、心に深く傷を負ったり、誰かに依存してしまうと、独立心や自立心は、中々、育っていかないものなんよね。
だって、独立心や自立心に、意識が向かわないから。
いや、向けることができないようになっているんよね。
なんせ、独立心や自立心って、どちらかというとプラスの思考だから。
でも、怖れや心の傷、依存といったものは、マイナスな思考だから。
マイナスな思考に縛られているうちは、プラスな発想は抱きにくくなっている。
しかも、マイナスな思考が強ければ強いほど、プラスな発想は抱きにくくなっている。
残念ながら、独立心や自立心が乏しい人は、マイナスな思考や感情に支配されていると言っても過言ではないだろう。
今までの生活によって、そういう生活習慣が形成されてしまっている。
では、どうすればいいのか。
それは、今の自分の状態に気づくこと。
気づいて、自分は独立心や自立心が乏しいことを自覚すること。
自覚して、誰かに依存していたことに気づき、何とかしてもらうことに慣れていたんだな、と認識すること。
まずは、自分を知ることが大事。
その上で、独立心や自立心を育む想いを持つこと。
自分がなんとかする、自分がなんとかしよう、というマインドを形成すること。
育った環境によって、独立心や自立心が、中々、育たない場合もある。
だが、いつまでも環境のセイにして良いわけでもなく、どこかで、そういう生活を絶ち切る必要がある。
じゃなきゃ、いつまで経っても、誰かに依存する生活が続いちゃう。
ただ、中々、意識もできないし、絶ち切ることができないのも事実。
なぜなら、その環境がぬるま湯の環境だから。
心地良くて、脱け出そうと思いにくい環境だから。
しかも、他者に、真っ当なことを言われても、それを素直に受け入れることができなくなっている。
よって、何か強いキッカケがないと、飛び出そうとしないもの。
それが厄介なんよね。
もちろん、自分でもこのままではアカン、ということは分かっている。
ただ、アカン、と分かっているだけで、本気で飛び出そうとはしない。
ぬるま湯に慣れ過ぎて、今いる環境から出る想いが強まらない。
分かっているが、「でもなぁ」と思って行動を否定し、今に留まる。
それを何度も繰り返す。
そして、気づいた時には、自分が思っている以上に時が流れているもの。
だから、今、ぬるま湯の環境にいるのなら、自分でキッカケを作って、その環境を抜け出しなよ。
環境を抜け出して、自分自身を変えなよ。
ぬるま湯の環境にいて、何か特別なキッカケって、そうやってくるものではないから。
それに、誰かの言葉というのは、胸に響かないようになっているから。
変えることができるのは、自分だけなんよね。
他者の言葉も響かない以上、自分が気づいて、自分を変えていく必要がある。
じゃないと、ズルズルと時間だけが流れていく。
そうならないためにも、どこかで自分を変える決意をしなよ。
このままではアカン、と奮起しなよ。
自分で思い、それが本物であれば、ちゃんとやれるから。
新たな行動をやれるから。
今までと違う世界に行けるから。
案外、そういうものなんやで。
サコヤンの独り言
「自分がなんとかするっきゃない」