自分を全力で喜ばせる。


ものすごく大事。


だって、自分を喜ばせることは、自分を大事にすることにつながるから。


ただ、意識して、自分を喜ばせている人って意外と少ないもの。


多くの人は、最も重要な自分よりも、他者に意識がいきがち。


自分のことは後回しにしがち。


ただ、自分を喜ばせることができない人に、自分を大事にできない人に、他者を喜ばせることはできないし、他者を大事にすることはできない。


何事も基本は自分なんよね。


不思議と、自分を喜ばせている人、大事にしている人って、周囲の人も喜ばせているし、大事にしている。


その度合いが強い人ほど、地域や社会を喜ばせて貢献しているもの。


だから、自分を全力で喜ばせよう、自分を全力で大事にしよう。


そこで、自分を喜ばせる上で、お薦めな方法がある。


それは、「私は、自分を喜ばせるタメに他者の役に立つ」と宣言すること。


誰かに宣言できない場合は、自分自身に宣言したら良い。


でも、こんなことを言うと、「そんなのは偽善だ」と言う人が現れるかもしれない。


だが、実際は、そういうことを言う人ほど偽善なんよね。


なぜなら、大概の人は、純粋に人のために動くことはできないから。


多くの人は、他者のために動いている。


けど、その多くの理由は、自分のためなんよね。


相手の役に立つのは嬉しい。


それは分かる。


でも、相手が喜んでいる姿や笑顔を見ることを楽しんでいる自分がいるのも事実。


嬉しいと感じている自分がいるのも事実。


役に立てて、自分の存在意義を実感できているのも事実。


他者の役に立つ場合、無意識とはいえ、こういうものを求めている。


なんせ、人には、承認欲求というものがあるから。


人に認められる場合、人の役に立つ必要がある、人に喜びを提供する必要がある。


その代償として、承認というものが与えられる。


承認を求めていない人なんて、滅多にいない。


会社に入れば、実力を認めてもらおうとする。


なんたって、実力を認めてもらえなかったら、自分の立場が危うくなるから。


他者の役に立つというのは、あくまでも表向きの理由。


本当の理由は、その後にある場合が多い。


しかし、自分のために他者の役に立つ、とは中々、言えないものなんよね。


だって、そんなこと言うと、人間性を疑われるから。


人間性を疑われないためにも、他者の役に立つことが好きなんです、他者の役に立ちたいんです、といった表現を使う。


本心、本質を隠して、人間関係のスムーズさを優先する。


多くの人が陥っている。


もちろん、処世術としては素晴らしい。


けど、そうやって本心を隠していると、自分自身が苦しくなる。


真面目で嘘をつくのが苦手な人ほど、自分自身が苦しくなる。


我慢って、誰にでもできることだが、身体には毒。


酷い人は、我慢によって、心を傷つける。


一時の体裁をつくろって自分自身にダメージを与える。


決して、褒められたものではない。


だから、あえて、私は自分を喜ばせるために他者の役に立ちます、と宣言する。


本心に従った表現で、心はすごく楽になる。


なぜなら、自分に嘘はついていないから。


周囲の目を気にして、自分をごまかしていないから。


そもそも、純粋に人のために動ける人って、マザーテレサやガンジーなどの心のレベルが高い人なんよね。


一般的な人は、そこまで心のレベルが追いついていない。


でも、体裁を気にして、純粋に周囲のために動いていると思われたい。


そういう素晴らしい人として思われたい。


こんな欲が、自分自身を苦しめることにつながる。


自分をよく見せたいという想いはわかるが、それを続けていると、自分自身が崩壊する。


周囲を気にし、何かと苦しんでいるにもかかわらず、それに見合う結果というのはついてこないのがほとんど。


それよりも、自分よりもアッケラカンとしている人が上手くいっていたり、周囲の人気物になっていたりするもの。


周囲を気にして、自分を傷つける。


これは、自分を全力で喜ばせることとは真逆の方向。


自分を大事にしない行動。


だから、自分のため、と思って他者の役に立てば良い。


実際に、相手の笑顔を見るのが好き、相手の喜んでいる姿を見るのが好き、相手に認めてもらえるのが好き、というのは、自分自身の欲なんやから。


自分の好きなものを得るために、他者の役に立つことって、よくよく考えてみると真っ当な欲なんよね。


おそらく、恋人のことを例に挙げると、分かりやすいんちゃうかなぁ。


恋人の喜ぶ姿を見るのが好きだから、懸命に頑張る。


何でもする。


そうやって思うのは、結構当たり前なこと。


なのに、それが、周囲の人となると、偽善のように思われる。


これって、おかしいよね。


周囲の人も大事な人なら、その人の喜んでいる姿を見たいと思うのは当然なこと。


喜ぶ姿を見たいから、自分のできる限りをする。


ごくごく自然なこと。


ゆえに、堂々と、私は自分のために他者の役に立ちます、と宣言すれば良い。


これに、イチャモンをつける人はいるかもしれない。


ただ、そういう人ほど邪な気持ちで、他者の役に立っているもの、もしくは、まったく他者の役に立っていないもの。


どうせなら、あなたの笑顔を見るのが好きだから、あなたの役に立っています、と思っている人の方が素直で、なんかホッとする。


決して、自分のために他者の役に立つことって邪推なものではない。


むしろ、立派な考え方であろう。


それに、他者のために動きたい、と思っても、それが嘘と分かっている人は、意外と動けなかったりするもの。


だったら、自分のためと思って、他者の役に立っている方が良い。


とにかく、自分の素直な想いを大切にしなよ。


それが、自分を喜ばせることにつながり、自分を大事にすることにつながるから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「人の笑顔を見るのが好き、という自分の欲を満たすために人の役に立つ」