最高な自分を思い描く。
ものすごく大事。
なぜなら、最高な自分を思い描くと、そこにつながるように考え、動くようになるから。
すると、逃げる行動や消極的な言動が少なくなる。
なんせ、そんなことしていると、最高な自分につながらないから。
よって、最高な自分を思い描いたイメージに引っ張られるように、前に進むことができるもの。
だから、自分自身を変えやすくなる。
そりゃそうじゃよね。
情けない言動をしたとしても、それがどんな意味をなすかは、自分が一番よく知っているから。
このままではアカン、という想いが生まれ、少しずつ積極的な言動が増えていく。
これが、最高な自分を思い描く効用。
とはいえ、最高な自分といっても、あまりにも抽象的すぎて、イメージできない人もいる。
そういう場合は、最高な自分とは、どんなものなのか、細分化していけば良い。
すると、ある程度は、つかめてくるものだから。
例えば、最高な自分って、今の自分よりも器がでかい人だよね。
今の自分よりも再び会いたいと思われる人だよね。
今の自分よりも周囲の人に喜ばれる人だよね。
また、次のように考えても良い。
今の自分よりも自分を信じている人だよね。
今の自分よりも突き進んでいる人だよね。
今の自分よりも楽しんでいる人だよね。
といったように最高な自分って、どんなものなのかを自分なりに詰めていけば良い。
目指す自分像があれば、案外、そこに向かって進むことができるもの。
なんせ、何かを選択する際、「最高な自分なら何を選ぶのか」といった想いが生じるから。
判断の基準が、今の自分ではなく、最高な自分の視点に立って選ぶようになる。
そうなれば、今まで選んでいた選択肢以外の選択肢も選ぶことができるようになる。
人は、何も意識せずにいれば、過去の自分に応じて選択肢を選ぶもの。
なぜなら、過去の自分の習慣が今に現れているから。
どうしてもそうなっちゃう。
だからこそ、最高な自分の視点に基づいて選ぶことが大事なんよね。
だって、最高な自分って、未来の自分の視点だから。
未来の自分の視点に立って今の自分が選ぶ。
当然のように、過去の自分の視点に立って選ぶ選択肢とは異なる。
ただ、異なって良いんよね。
なんたって、人は、変わっていくものだから。
変わることが普通なんやから。
より良い自分を求めていると、変わるのが当たり前。
むしろ、変わらない方がおかしい。
変わっていかない場合、高い確率で、過去の自分を引きずっている。
過去の自分の視点に立った状態で、今の自分が選択肢を選んでいる。
何をするにしても、過去の自分を思い描いていると、どうしても、過去の習慣に基づいて動いてしまうもの。
何かを変えようとしても、過去の自分に引っ張られて、新たな行動ができなかったりする。
これでは、先へは進めない。
ゆえに、過去の自分を思い描くことを止める必要がある。
そのためには、不安や怖れをある程度手放す必要がある。
なんせ、過去に抱いた不安や怖れがアンカーとなり、過去の自分を思い描く大きな要因となっているんやから。
一つ一つ向き合って、手放すか、軽減する必要がある。
そうして初めて、未来へと、最高な自分へと視点を変えることができるもの。
自分と向き合わずに過ごし続けたツケが、過去の自分に応じて生きることとなる。
過去の自分の習慣や考え、行動基準に基づいて生きることになる。
すると、どうなるかというと…
できることしかやらなくなる。
前例があることしかやらなくなる。
前例がないことは拒むようになる。
これでは、過去の自分が想像できる範囲内のことしかできやしない。
自分の可能性が過去の自分が想像できる範囲内のものに限定されてしまう。
こんなことは、本来、あってはならないこと。
なぜなら、人の可能性は、元々、無限大だから。
過去の自分が完全に想像できる代物ではない。
だが、人の可能性というのは、未来を向き、未来を意識して生きているからこそ無限大になるもの。
過去の自分を思い描くばかりの人にとっては、可能性なんて限定的なものに感じてしまうもの。
本当は無限大である可能性を、自分の手で小さくしている事実。
それが何とも痛ましい。
なんせ、多くの人が陥っていることだから。
だからこそ、一人一人が、最高の自分を思い描く必要がある。
そうやって、自分自身を光り輝かせ、自分から変わっていく必要がある。
自分が光り輝くようになっていくと、必ずといって、周囲の人はそれを感じる。
中には、「なぜ、そんなに変わることができたの」と聞く人が現れるかもしれない。
そして、説明すると、その人も、今まで以上に光り輝くように生きるかもしれない。
一人一人の光は小さいかもしれないが、それが広がっていくと、大きな光となる。
それに、闇は光には勝てないもの。
光が大きくなればなるほど、全体が明るくなる。
よって、まずは、自分自身が光り輝き、光を灯す存在となれば良い。
あれこれ言う前に、自分がそんな存在になれば良い。
だって、人は、光に集まる習性みたいなものがあるんやから。
視覚で見える光もそうだが、人として光り輝く人にも人は集うもの。
だったら、自分が光り輝き、人が集うような人となれば良い。
その上で、誰かを照らすことができる人になれば良い。
なんたって、光は照らしたからといって、なくなりはしないんだから。
自分の光は、いくらでも与え続けることができる。
ゆえに、自分が照らすことができる範囲で良いから、光を与え続けなよ。
それが、誰かの役に立ち、全体が明るくなるキッカケとなるんやから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「最高な自分を目指し、光り輝く存在になろう」