すべて必要な経験、という考え方が浸透すると、自然と動きたくなる。
自ら率先して、行動したくなる。
実践することにウズウズするようになる。
そりゃそうじゃよね。
だって、待っていても、中々、経験は増えていかないから。
何もしていなければ、何もしない、という経験しか積むことができないから。
でも、動きさえすれば、たくさんの経験を積むことができる。
喜びの経験も、悲しみの経験も、痛みが伴う経験も様々な経験を得ることができる。
色々な経験を積むためにも、動いた方が良いことを自覚する。
動いた方が楽しいことを認識する。
動いた方が、より良い人生になることを実感する。
だから、より一層動きたくなる。
ただ、多くの人は、動きたくても動けなくなっている。
それは、動く前に、マイナスなことを怖れてしまっているから。
痛みに対して、強く警戒しているから。
痛みを強く警戒すると、それを避けようとする力が働く。
その手段として、逃げたり、やらない、という方法がある。
やりたい、という想いはあっても、マイナスなことに縛られていると、やらないを選びがち。
それが人の性。
ゆえに、すべてを必要な経験としてとらえなよ。
すると、受け入れる力が格段と高まるから。
様々なことを受け入れることができるようになり、マイナスに感じる頻度が少なくなるから。
新たな行動に対しても、容易に受け入れることができるようになり、楽々取り組めることができるようになるから。
痛みが伴うことを必要な経験としてとれることができると、その瞬間から、選べる選択肢が激増する。
今まで避けていた選択肢が、選べる選択肢へと変わる。
ワクワクするような選択肢を選べるようになる。
これって、人生において、大きな変化を与える。
まちがいない。
なんせ、抵抗なく、必要と感じた選択肢を選ぶことができるようになるから。
抵抗って、実は、受け入れていないものをやる時に抱くもの。
だが、必要な経験としてとらえると、既に受け入れている。
だから、抵抗を感じることなくやることができる。
抵抗がなければ、行動に対してのハードルが低く、容易に越えて行くことができるもの。
行動に対してのハードルが低ければ、人は、行動に向かうもの。
率先して向かっていくもの。
なんせ、人には欲があるから。
つかめるものはつかむし、得ることができるものは得る。
こうして考えるもの。
何の制限もなければ…
そして、人に制限を設けてしまうものというのが、マイナスなこと。
マイナスなことを考え、マイナスなことを避けようとするから、制限が生じてしまう。
なんたって、人は、痛みが伴うことから逃げようとするから。
ただ、逃げようとしている間は、制限を設けたまま生きることになる。
よって、受け入れることが大事になる。
決して、逃げようとするのではなく…
そこで、受け入れることができるようになる考え方が、すべて、自分にとって必要な経験としてとらえること。
今までに起きた一つ一つすべてを必要な経験としてとらえること。
これから起きる一つ一つすべてを必要な経験としてとらえること。
すると、何をしようとすべて自分にとって必要な経験となりプラスとなる。
あらかじめ、プラスになることが分かっていると、ためらう必要性がなくなる。
何でもやってみよう、という想いが強まる。
これは自然の流れ。
それに、自ずとプラスのことに焦点を定めているから、プラスに考えやすく、プラスに動きやすい。
よって、プラスの結果になりがち。
というよりも、プラスの結果が出ることが決まっているため、どうしてもプラスの流れが生じるもの。
すべてを必要な経験ととらえることって、こういうことなんよね。
まさに、素晴らしい考え方。
ただ、痛みが伴うものを必要な経験としてとらえることが、一番のネックとなるから要注意。
これまでの経験によって、痛みが伴うものをアカンものとして、悪としてとらえている場合は多く、すんなりと必要なものとしては受け入れがたい。
なんたって、自分の中で我(が)が強くなっているから。
だから、我を手放すよう、普段から意識しなよ。
そうやってこそ、すべてが必要な経験、ととらえることができるようになるんやから。
すべてが必要な経験、という考え方に基づいて生きることができるようになるんやから。
この考え方が身につくと、動きたくて仕方がなくなる。
動くことが当たり前となり、人生が大きく動く。
人生を一変するほどの考え方なんやで。
より良い人生を望んでいるなら、こういう考え方を意識するのも有効な手。
とにかく、動きたくなる心境を創るためにも、すべてが必要な経験、という考え方を取りいれ、自分の中に浸透させなよ。
きっと、人生の中で、良い形として現れるはずだから。
案外、そんなもの。
サコヤンの独り言
「すべてが必要な経験、という考え方が浸透すると自ずと動くようになる」