自分の世界に現れるものはすべて必要な経験。


これまでに起きた一つ一つすべてが必要な経験。


これから起きる一つ一つすべてが必要な経験。


こういった感覚を腑に落とす。


ものすごく大事。


なぜなら、こうやってとらえると受け入れる力が格段に上がるから。


我(が)が小さくなり、何をするにしても抵抗が弱まるから。


どんなことも前向きにとらえることができるようになるから。


なんたって、判断が良い悪いではなく、「必要」、という基準になるから。


何をしようと、自分にとって必要な経験。


そこには、良い悪いの区別がない。


何をするにしても必要な経験だし、何が起きたとしても必要な経験。


自分の世界のすべてのことが、必要な経験となる。


新たなことをする際も、逃げるのも必要な経験だし、立ち向かうのも必要な経験。


一つ一つすべてが必要な経験。


逃げれば、逃げる人の気持ちが分かるようになり、後に活きる。


立ち向かって、上手くいくことも必要な経験。


上手くいかないことも必要な経験。


逃げても立ち向かってもどちらであろうと必要な経験。


ただ、上手いことできていて、逃げることばかりしていると、必要な経験とは思えないもの。


思ったとしても、思うだけで腑に落ちていないもの。


けど、逃げ続けていて、逃げることを学び終えると、不思議と今までのことは必要な経験だったんだな、と思えるようになる。


ゆえに、あらかじめ必要な経験、という考え方を受け入れていれば、逃げる時間を少なくすることができる。


だから、一つの考え方として持っておくことを薦める。


でも、多くの人は、小さい時から損得勘定で生きているため、必要な経験という感覚をつかめていない人が多い。


良い経験は必要な経験として自覚しているのだが、芳しくない経験は必要な経験として認識できていない。


無意識の内に、良いものは善、芳しくないものは悪、と決めつけ、善悪で区別してしまっている。


よって、良い経験は善として受け入れ、芳しくない経験は悪として拒む。


そんなことが起きている。


自分の都合だけで良い悪いを判断してしまっている。


すると、どうなるかというと、選択肢に偏りが出る。


なんせ、自分が良いと感じるものだけを選ぶようになるから。


その時の自分にとって都合が悪いと感じるものは、すべて選択肢から排除するようになるから。


生きる上では、何も問題がない。


だが、この偏った選択に問題がある。


なぜなら、今あるステージよりも上のステージに行こうとすると、高い確率で違和感や抵抗感を抱くものだから。


人は、今ある環境に留まろうとする力が働くため、環境を変えようとすると、今までと違った感覚を味わうもの。


それ以上進むと危険ですよ、と自分自身に対して警鐘を鳴らす。


その警鐘とは関係なく先に進むと、次のステージに行けるもの。


良い悪いで、損得勘定で判断していると、中々、ステージを上げにくいもの。


今のままずっと過ごすことを決めているのであれば、何の問題もない。


けど、そうではないなら、良い悪いで判断するのは都合が悪い。


だからこそ、考え方を修正する必要がある。


物事を損得勘定で判断するのではなく、自分にとって必要な経験として受け入れる。


自分の世界に現れるものは、何でも受け入れる。


そういう心構えが大事。


何かをする際にも、これは必要な経験だからやるんだ、とやる前に思うだけで受け入れ態勢が整う。


もちろん、なぜ、必要なのかはやる前では分からない。


分からなくても、必要な経験と思ってやれば、ちゃんと、必要な経験となる。


大切なことに気づき、大切なことを学ぶ。


それは、自分にとって益となることかもしれない。


自分にとって痛みとなることかもしれない。


どんな形であれ、自分に成長をもたらしてくれる。


成長という観点から見ると、必要な経験なんよね。


決して、無駄ではない。


でも、多くの人は、痛みを怖れ、やる前からやらないを選択してしまう。


やらないこともある意味必要な経験ではある。


逃げるとどうなるのか、逃げ続けるとどうなるかを知ることができるから。


ただ、これは、自分をマイナスに導き、周囲をマイナスに巻き込む。


そういう痛みを知る必要がある人もいるが、必要なのは、教える立場に立つ人くらい。


教える立場に立たないのなら、無理に、そんなことを学ぶ必要はない。


初めから、プラスのことを学び、自分自身の人生をより良いものにしたら良い。


そもそも、人は、変化を嫌うもの。


ゆえに、新たな行動を、今までと異なる行動を嫌うもの。


だが、この背景には、損得勘定が存在する。


損する選択肢を嫌うから、選択肢を選ぶ際に迷いが生じる。


なんたって、人には欲があり、得の選択肢を選ぶことを望むから。


やってみなきゃ、得なのか損なのかはハッキリしないため、やることにためらうし、迷いが生じる。


それが強くなると、動けなくなる。


これは、損得勘定で判断し続けるなれの果て。


しかし、必要な経験という考え方を取り入れると、すべてが得となる。


ためらうことも、迷うことも必要性自体がなくなる。


新たな行動、異なる行動だって容易に受け入れることができる。


むしろ、ドンと来い、と待ち構えることもできる。


やることにためらい、迷い、動けなくなるか。


やることを必要な経験として受け入れ、抵抗感なくアッサリとやるのか。


確実に、人生に大きな違いが生じる。


考え方が一つ違うというだけなのに…


損得勘定で判断するのか。


すべては必要な経験として判断するのか。


物事をどのようにとらえるかが、どう生きるかを決める。


なのに、知らない間に決まっているもの。


だからこそ、意識して、すべては必要な経験、という考え方を腑に落とすようにしなよ。


きっと、人生に変化が生じるはずだから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「自分の世界に現れるものは、これまでもこれからもすべて必要な経験」