どうなるのか分からないからこそ怖れを抱く。


また、どうなるのか分からないからこそ楽しくなる。


両方とも正しく、まちがいではない。


どちらの視点を選ぶかは、人によって異なるし、育ってきた環境によっても異なる。


ただ、どちらを選ぶかによって、人生は全然違ったものとなる。


どうなるか分からないものに対して、怖れを抱く場合、大概、自分を守ることを優先し、避けたり、何もしない行動を選びがち。


そして、得することもなければ、損することもない。


上げ下げがほとんどない、フラットな人生を歩む人が多い。


ましてや、どうなるか分からないものに対して、楽しい感情を抱く場合、次々と挑戦し、ドンドン道を拓いていく傾向がある。


得することもあれば、損することもあり、人生全体に、動きがある。


しかも、損することがあるといっても、一回の得でチャラになることは多い。


人生に動きがない生き方と、動きがある生き方。


時の流れと共に、クッキリと差が現れる。


おそらく、充実感だけでなく、結果、人生ぞのものに違いが現れてしまう。


残念ながら…


でも、よくよく考えてみると、これほどまでの大きな差を生み出しているのは、どうやって世界をとらえるかという視点。


それだけなんよね。


どうなるのか分からないものに対して、怖れを抱くか、楽しい感情を抱くかその違いだけ。


最初の段階では、まったくといって差はない。


あるといっても、僅かな差でしかない。


この僅かな差が時を刻むごとに、大きな広がりを見せていく。


なんたって、たとえ、スタート地点がほとんど同じであっても、両者の進む方向が一度違うだけで、進めば進むほど、お互いの距離は大きくなる。


時が流れ、進めば進むほど、お互いの距離は離れ、終いには、どこにいるのかさえ分からなくなってしまう。


それほど、差が出てしまうんよね。


僅かな違いであっても。


そりゃそうじゃよね。


一方は、怖れを抱き、怖じ気ついて逃げるばかり。


もう一方は、楽しい感情を抱き、何度も挑戦し、自分の道を拓き続ける。


差が出ない方がおかしい。


意識が違い、行動が異なるから、差が出て当然。


どうなるのか分からないものに対して、怖れを抱くのか、楽しい感情を抱くのか、それによって、人生は大きく異なる。


どうせなら、楽しい感情を抱ける方が、人生は面白くなる。


だが、多くの人は、自らの意志で、楽しい感情を抱くことを選べることを知らない。


だから、選ばない人は多い。


怖れを抱くことが当たり前と思い込んでしまって。


長い間、怖れを抱いて育ってきたため、それが正しいと決めつけて。


他の方法があることを知らないから、疑うことがなくて。


多くの人は、どうなるのか分からないものに対して、怖れを抱く傾向がある。


日本人は、そういう人が多いのではないか。


なんたって、小さい時から、どうなるのか分からないものに対して、怖れを抱くような育ち方をしている人は多いから。


挑戦させて、身をもって経験させるのではなく、禁止させることで、やってはいけないものとして思い込むようになってしまうから。


大人が子供を心配するあまり、挑戦する機会を奪ってしまう。


どうなるのか分からないものに対して、考える機会を奪ってしまう。


そして、小さい時からの思い込みを持ったまま修正することなく育つことで、どうなるのか分からないものに対して怖れを抱いている大人は多い。


ゆえに、今の力でやれるもの、安心してやれるものばかりを選ぼうとする。


そして、リスクを感じるものは敬遠しがちなんよね。


いつまでも、怖れを基にして生きるから、どうしても、自分を守るような選択をしてしまう。


時には、自分を守るために、逃げ、何もしない選択をしてしまうこともある。


すべては、どうなるのか分からないものに対して、怖れを抱く習慣があるから。


だったら、この習慣を手放して、どうなるのか分からないものに対して、楽しい感情を抱けるようにもっていけば良い。


すると、人生は大きく変わっていくから。


もちろん、最初から、いきなり変えることはできない。


だから、徐々に変えていけば良い。


最初は、どうなるのか分からないものに対して、やったら分かる、ととらえるのも良い。


なんせ、怖れよりは、まちがいなく、楽しみに近いから。


怖れを抱いている場合、自分を守るために何もしない選択をする可能性もある。


だが、やったら分かる、というスタンスなら、経験の回数を増やすことはできる。


増やしていくうちに、自分なりに、どうすれば楽しんでやれるのかを探していけば良い。


やはり、回数を重ねていかないと、どのようにして楽しんで良いのかは分からないしね。


拒否ではなく、許容。


それが、最初の段階では、大切なことなのではないか。


何も、0か100の手段を取る必要はない。


中間の手段があるなら、それを用いるのも一つの手。


なんたって、怖れを抱き、何もしなければ、何も変わらないから。


これは、最悪な状況でもあるんよね。


そのため、やったら分かる、というスタンスを取り入れる。


やることを許容して、前に進む。


すごく大事。


だって、前に進んでいたら、何かしらにつながるから。


動かなければ、何にもつながらない。


案外、人生は、そうなっているものなんやで。


今やれる、最善な方法を選びなよ。


それが自分のためになることだから。



サコヤンの独り言

「どうなるのか分からないものに対して、怖れでも楽しみでもなく、やったら分かる、というスタンスもあり」