どんな時も、楽しもうとする視点を持つこと。
すごく大事。
なんせ、物事は、楽しんだ方が効果が高いから。
結果が出るから。
ストレスがたまらないから。
楽しむことって、良いこと尽くし。
多くの人が知っている。
ただ、楽しむことって、意識していなければ、忘れてしまうんよね。
日々の雑務に忙殺されているうちに。
こなすように、日々を繰り返すうちに。
子供のような無邪気さが薄まっていくうちに。
ほとんどの人が、子供の頃は、無我夢中になって遊んでいたはず。
何をするにしても楽しんでいた。
時には、自分たちでルールを加え、より一層楽しめるよう工夫していた。
意識さえすれば、工夫さえすれば、何をしようと楽しむことはできる。
大切なのは、楽しむ視点を持つこと。
そして、持ち続けること。
そうやって生きていると、楽しいことを探すことが当たり前になる。
意識して、楽しいことを作ろうとするし、探そうとするから、楽しいことが自分の世界に現れる。
自分の世界には、意識しているものが現れるようになっているもの。
だから、楽しいことに焦点を合わせ、楽しいことを意識していると、自ずと楽しいことが次々と現れる。
世の中は、結構シンプルにできている。
だが、楽しいことに焦点を合わせていない人には、楽しいことがあまりやってこない。
なんたって、楽しいこと以外のことに焦点が合ってしまい、楽しいこと以外のことを意識しているから。
そういう状況で、楽しいことが来ることを望んでも、あまり効果はない。
ゆえに、楽しいことを意識することはすごく大事。
意識することによって、楽しもうとする視点が見つかるんやから。
楽しそうに生きている人は、何も、才能や運だけで楽しく生きているわけではない。
ちゃんと、楽しく生きることができるような行動を繰り返している。
楽しく生きることができるようなことを意識している。
ちゃんと自らの意志でやっているのかは分からないが…
とにかく、楽しく生きることができるのにも理由がある。
楽しく生きることができないのにも理由がある。
どちらにしても、自分がどんな行動を繰り返し、どんなことを意識しているかによって変わってくる。
だから、運や才能といった特別なことだけの理由にしてはならない。
それは、単なる、妬みであって、素晴らしいこととはいえない。
誰にだって、備わっている楽しむという才能。
いつしか、埋もれさせてしまう。
だが、いつまでも持っている人は、素敵な大人として映る。
やはり、嫌々やっている人より、楽しんでやっている人の方が見ていて心地が良い。
しかも、話しかけたくなる。
自分がどんな状況であろうと、関係ない。
各々に、その時その時、やることがある。
どんな気持ちでやろうと、その人の勝手。
どんな気持ちでやろうと、同じ時が流れる。
どうせ、同じ時間が流れるのであれば、できる限り、思いっきり楽しみながらやった方が良い。
その方が、自分のためにも、周りの人のためにもなる。
そもそも、感情は、訓練次第でコントロールできるもの。
コントロールして、楽しもうとすればよい。
すると、今まで以上に、楽しいことが起きるようになっていくから。
楽しいことは待っていても起きるものではない。
楽しもうとするから、楽しいことをつかみに行くから得られるもの。
だったら、自ら、楽しもうとする視点を持って、楽しむ意識を強めて、日々を過ごせば良い。
それだけで、自分のアンテナに楽しいことが引っかかるようになるから。
意識が強まり、アンテナの感度が鋭くなれば、より多くの楽しいことが引っかかるようになる。
自分独自のアンテナに、どの周波数を合わせ、どのチャンネルをとらえるかによって、自分の世界に現れて来るものが変わってくる。
楽しいものに合わせれば、楽しいものが…
イライラに合わせれば、イライラが…
悲しみに合わせれば、悲しみが…
ただ、これは、意識して自分の世界を見なければ、何に合っているのかが分からない。
起きている現象に意識を向けて、初めて、どういったものに意識が向いているのかが分かる。
案外、そんなもの。
ただ、生きていく上では、楽しむことに焦点を合わせて過ごした方が、面白い。
ゆえに、普段から、楽しもうとする視点を持って、楽しむことを意識して、一つでも多く楽しいことを経験しなよ。
そして、目の前にあることをどうやったら楽しめるかを、考え、工夫しなよ。
そうやって過ごしていると、楽しいことはドンドン増えていくから。
しかも、楽しいことが増えていくごとに、人生は楽しく感じるようになっていくから。
人生は、楽しんだ者勝ちなんやで。
サコヤンの独り言
「何をしていようと楽しむことはできる」