全力を尽くしたのか。


今できることはすべてやったのか。


今日できることは全部やったのか。


残念ながら、「Yes」と即答できない自分がいる。


Yes」と即答できないような生活を送っている自分がいる。


全力でやったところで、何にもならない。


今の環境に変化が現れるものではない。


と、勝手に決め付けてしまっている。


自分の都合で、やってもいないのに、思い込んでしまっている。


ただ、これは、事実ではない。


なんせ、すべての力を注いで、何も変わらない、ということは考えにくいから。


どんな人だって、全力を出せば、すべてのエネルギーを一点に集中すれば、人生は好転していく。


だが、そうと分かっていながらも、全力を出して生きている人は少ない。


知識としてはあるが、行動が伴っていない。


なぜなのだろう。


高い確率で、現状が変わるというのに…


それは、怖れや諦めといった負の想いやエネルギーが要因となっている。


全力を出した方が良いと分かりながらも、全力を出すことを恐れている。


なんせ、全力を出して、何も起きなかった場合、打ちのめされるのは自分自身だから。


将来における希望を失ってしまう。


何を求めて生きたら良いのかが分からなくなってしまう。


将来の希望を失うことの怖れが、すべての力をかけるブレーキとなる。


そして、全力を出すことなく、中途半端な力を出して過ごす日々が続く。


けど、中途半端な力を出していて、現状は変わるものではない。


そんなので変わるのなら、世の中の多くの人は、既に変わっている。


でも、実際のところ、変わっていない人の方が多い。


時が流れても、以前と大して変わっていない人の方が多い。


以前と同じような話をする人は多い。


これは、自分のすべての力を出すことなく、中途半端な力を出して生きてきた結果。


時の流れに、流され続けた結果。


自分の力を出し切って生きるのか、中途半端に出して生きるかは、人生に大きな違いを生む。


それこそ、月とスッポンくらいの差を生み出す。


すごく当たり前なこと。


だが、この当たり前なことを、忘れている人は多い。


今に忙殺されてしまって…


全力で生きたってどうもならないと、諦めてしまって…


中途半端な力を出して生きることに妥協してしまって…


人は、歳を重ねるごとに、全力で生きることができなくなる傾向がある。


もちろん、すべての人ではないが、そういう人は多い。


なんたって、歳を重ね成長を重ねるごとに、痛みや傷を負う回数が少なくなり、痛みや傷に対しての抗体が少なくなっていくから。


痛みや傷に対しての抗体が少なくなり、痛みや傷に対しての抵抗力が弱まり、無意識の内に、痛みや傷を負うことを避けようとする。


おそらく、自分自身を守ろうとする本能的なものなのだろう。


全力を出せば、現状は変わる可能性は高い。


けど、上手くいかなかった場合、全力を出している状態であるほど、反動は大きくなる。


抗体が少なくなり、抵抗力が弱まっている時に、痛みや傷を負うのは致命的になりかねない。


ゆえに、無意識の内に、全力を出して上手くいかなかった時のダメージをイメージしてしまい、足を踏み出すことができなくなってしまう。


全力を出すことに躊躇してしまう。


決められた環境の中で、こなすことばかり考えていると、次第に、痛みや傷を負うことができなくなってしまう。


だから、普段の生活において、何かしら、痛みや傷を負うことは大事なことなんよね。


そのためにも、決められた環境ではなく、いつもと違った環境に足を踏み入れることが大切となる。


なんせ、決められた環境というのは、いわば、無菌状態の環境に近いから。


無菌状態の環境に慣れれば慣れるほど、その環境から出ようとしなくなる。


そして、いつしか、出ることを考えなくなる。


でも、定期的に痛みや傷を負っていると、それが抗体となり、自分自身の抵抗力を強めてくれ、様々な環境に対応することができる。


自ら、向かっていくことができる。


一つの環境に留まるのか、様々な環境に足を踏み出すのか、それによって、人生は大きく異なるものとなる。


痛みや傷を負うことは、避けられる傾向にある。


もちろん、痛みや傷を負った瞬間は、嫌な想いをするかもしれない。


だが、決して、嫌なものではない、避ける必要があるものではない。


なぜなら、痛みや傷が抗体となり明日の自分につながるから。


痛みや傷の抗体があり、抵抗力がちゃんとあれば、痛みや傷を怖れる必要はない。


すると、全力を出したところで、どうってことない。


だって、抗体があり、受け入れることができるから。


全力を出すためにも、普段からある程度は痛みや傷を負っている必要があるんよね。


すると、自分を守ろうとする力が過剰にはたらくことはなくなるから。


挑戦し、失敗している人は、失敗に対する抗体ができている。


ゆえに、また挑戦できる。


何度も挑戦できるから、いずれ、上手くいく。


案外、そんなもの。


ひょっとすると、失敗するということは、予防接種のようなものでもあるんちゃうかなぁ…


自分の中に菌を入れることで、抵抗力を強くしているんやから。


そして、失敗を拒むのは、注射が嫌だから、身体の中に菌を入れるのが嫌だからと拒みダダをこねている人のようなものなんやろね。


多少の菌は、かえって、自分を強くする。


同様に、多少の痛みや傷を負うことは自分を強くする。


そのため、普段から、定期的に、痛みや傷を負うことを取り入れなよ。


それが、全力を出して生きることにつながっているから。


全力を出して生きるには、それなりの準備がいるんやで。



サコヤンの独り言

「全力で生きるためにも、普段から痛みや傷を負うことに対しての抵抗力を身につけておきなよ」