否定的な想いが強いと、無意識の内に自分を守ろうとする力が働く。
否定的な想いを抱いて、自分が傷つくのを防ぐために…
例えば、過去、心に大きな傷を受け未だに残っているトラウマを挙げるとイメージしやすいはず。
過去に受けたトラウマは、強力な否定的な想い。
ちゃんと向き合って、解放していなければ、いつまでも残り続ける。
自分ではトラウマのことをすっかり忘れていたとしても、いつまでも留まり続ける。
大人になったとしても。
ただ、自分では気づいていないところで、トラウマの片りんが、様々な場面で現れているんよね。
トラウマの存在に、気づいてもらうように、メッセージを発している。
だが、このメッセージには気づきにくい。
なんたって、一つの出来事を、過去に受けた傷とダブらせる人は少ないから。
そういった習慣を持っている人は、滅多にいない。
だが、過去に受けた傷は、形を変えて、自分の人生の中に現れている事実。
自分の心が、自分の世界に映し出されるから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
仮に、親から怒鳴られて育った人は、外に出ても、誰かに怒鳴られることを極端に怖れる傾向にある。
これは、怒鳴られることで、父親から怒鳴られたことを無意識の内に思い出してしまうからなんよね。
そして、親から怒鳴られた傷を癒さない限り、いつまでも、極端に怒鳴られることを怖れてしまう。
心に傷を負っている場合、それは、人間関係の中に、形を変えて現れることが多い。
何度も何度も、同じような失敗をする人は、似たようなマイナスなことが起きる人は、心に傷を抱えている可能性が高い。
また、人間関係の中で、嫌な想いが発生する時には、過去に何かしらの原因がある場合が多い。
何かが起きるには、何かしら原因がある。
原因がなくて、何かが起きる。
ということは考えにくい。
ゆえに、原因に気づき、解放しなければ、いつまでも続く。
だって、嫌な想いが発生する時というのは、大概、同じパターンだったりするから。
人は、生きていると、様々なことに対して、否定的な想いを抱いている。
意識できるものもあれば、意識できないものもある。
ただ、重要なのは、意識できていない否定的な想い。
意識できているものは、大したものではない。
意識できるようになったものは、どうってことない。
だが、意識できていない否定的な想いは、そういうわけにはいかない。
なんせ、自分の人生に大きな影響を与えているから。
自分が気づくことができていないところで…
でも、気づいた方が良い。
と言ったところで、簡単に気づけるものではないから、厄介。
自分自身に受け入れる準備ができていないと、気づけないようになっている。
なんたって、受け入れる準備ができていなければ、気づいた時、大きな傷を受けることになってしまうから。
準備ができていないにもかかわらず、過去のトラウマを思いしたことで、失神する人だっている。
それほど、デリケートな問題。
自分では、気付くことができていない心の傷が、否定的な想いが、重荷となり、自分自身を足止めする。
そんなことが、平気で起こっている。
至る所で…
そして、前に進もうとしている人ほど、ブレーキがかかってしまう。
上を目指し、ステージを上げようとしている人は、過去に受けた心の傷や否定的な想いに気づき、乗り越える必要があるんよね。
なぜか、そのようになっていることは多い。
そもそも、否定的な想いは、ロクなことを生まない。
だから、否定的な想いが生まれた時こそ、冷静になって、この原因を追究することが大事なんよね。
嫌な想いを膨らませて過ごすのも、原因を追究しようとするのも、同じ時間。
どうせなら、明日につながるような時間を過ごした方が良い。
ゆえに、否定的な想いを抱いた時こそ、チャンスなんよね。
だって、自分の心の傷にアクセスしやすい瞬間なんやから。
嫌に想うことにも理由あり。
しかも、嫌なことが起きた時と言うのは、過去の原因を受け入れやすい瞬間でもある。
なぜなら、受け入れる準備が整っていなければ、そういったキッカケすら起きないはずだから。
不思議なことに、絶妙にバランスが整えられている。
意味なく何かが起きることはない。
何かが起きる時、大概、意味がある。
ただし、その意味を求めようとしなければ、意識しようとしなければ、つかめるものではないが…
意味を求めようとする姿勢があれば、意識しようとする姿勢があれば、どんなことにも意味が生じているようにさえ感じることができる。
結果を見て、原因を探ることもできる。
そうして、過去の出来事に、過去受けたトラウマにアクセスができたりする。
否定的な想いや、過去に受けたトラウマというのは、気づいていないからこそ、強力な力が働いてしまう。
けど、気づいてしまえば、ゆるして受け入れてしまえば、強力な力が働くことはない。
だから、まずは、気づくことが大事。
気づきさえすれば、もうどうってことない。
そして、気づいた後に、ゆるし、受け入れると、もはや気にもならなくなる。
過去受け入れることができなかった想いであっても、時が経ち、成長を重ねた今の自分なら受け入れることができるものはたくさんある。
ゆえに、自分と向き合って、自分を知ることが大事。
受け入れる力はあっても、気づこうとしなければ、いつまで経っても気づくことなく、否定的な想いに縛られ続けてしまう。
過去の意識のまま今を生きることになってしまう。
そんなことをしたら、今の自分に対して失礼。
そのため、どんなことにも意味があると、想いながら日々を過ごしなよ。
すると、過去の様々なことに気づき、色々なものを受け入れ解放することができるから。
しかも、人生が好転するようになっていくから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「否定的な想いを抱いた時こそ、否定的な想いの原因に気づくチャンス」