人は、皆必要とされて生きている
必要とされていない人なんて一人もいない。
ただし、その時その時、自分がいる環境によって必要とされている要因は異なるが…
職場では、単なる労働力を必要とされているかもしれない。
家族の前では、存在自体が必要とされているかもしれない。
友達の前では、心地良い空間を創るのに必要とされているかもしれない。
人は誰もが、会う人や今いる環境に応じて一人で様々な役割をこなしで生きている。
この様々な役割をこなすことこそ、あなたが必要とされている証。
なんせ、必要とされていなければ、役割を担うことはできないから。
一つでも役割があれば、あなたは誰かに必要とされていることはまちがない。
そして、生きる中で、役割が増えれば増えるほど、あなたは多くの人に必要とされていることになる。
ゆえに、必要とされていない人はいないんやで。
なんたって、人と一切関わることなく、一人で生き続けることはできないんやから。
生きることは人と関わることと言っても過言ではない。
人と関われば、その瞬間、あなたに役割が生じる。
先輩後輩の関係だったり、恋人の関係だったり。
時には、お店とお客の関係だったりもする。
役割は無数にあり、必要とされる機会もたくさんある。
ただ、そんな中においても「自分は必要とされていないのではないか」と自分に疑念を持っている人がいるのも事実なんよね。
残念ながら。
でも、これは、思い込みや自分の都合だけで考えている場合が多い。
「必要とされていないのではないか」と思っている人は周りの人が自分に対して冷たく接しているように思い込んでいる。
ひょっとすると、こうしたことも、中にはあるのかもしれない。
だが、多くの場合、勘違いなんよね。
なんせ、必要とされることを望むのであれば、あなたが必要とされる人間になる必要があるんやから。
何もしないうちから、「私を必要としてくれ」と思ったところで、誰も応えてはくれない。
では、必要とされる人間になるにはどうしたらいいのか。
それは、相手が求めていることを、相手が喜ぶことを、ちゃんとやること。
すると、少しずつ、着実に必要とされる人間としてとらえられるようになるから。
これは、どの環境にいても同じ。
職場であろうと、友達の前であろうと、恋人の前であろうと、家族の前であろうと。
ただ、お互いの関係が近しいものになればなるほど、相手が求めていることをやらなくなったりするから要注意。
基本的には、相手が必要と感じていることを実際にやれる人が必要とされる人間になる。
だから、今以上に必要とされる人間になることを望むなら、人を意識した上で動けば良い。
人が何を望んでいるのか、今何を欲しているのか、力になれることはないか。
といったことを念頭に置いて、人と接すれば良い。
こうした意識で人と接していると、自分にもやれることがたくさんあることに気づく。
そして、実際にやれば、相手は喜んでくれるだろう。
しかも、これを誰に対しても同様に、かつ、頻繁にやっていると、相手はあなたに対して必要な人間としてとらえてくれる。
あなたの言動によって、必要な人間としてとらえるかどうかが決まるんやで。
ちなみに、「必要とされている」という想いの根本的には、両親から愛情を注いでもらった、という実感があるかどうかなんよね。
実感があれば、ほぼ無条件で「自分は必要とされている」という自覚がある。
だが、実感がない人がいるのも事実。
なんせ、親がどのように子と接するかなんて、家族があればそれだけ答えはあるんやから。
けど、実感がないからといって、必要とされていないわけではない。
単に、そう思い込んでいるだけ。
なぜなら、必要とされているからこそこの世に誕生するんやから。
「子供が親を選び、親にとって必要な子が誕生する」と言う人がいるくらいなんやから。
必要とされているから生まれ、生まれた時点で必要とされていることはまちがいないんやで。
でも、必要とされているのに、必要とされていないと思い込めば、残念ながら、必要とされていない、という想いが、その時の答えのようになってしまう。
そういう人は、「自分は必要とされているんだ」という想いに気づくことを、生きながら学ぶ試練を与えられている。
この試練が、いつまで続くかは、その人次第。
短い期間で乗り越える人もいれば、いつまで経っても乗り越えることができない人もいる。
乗り越える期間は、各々によって様々。
ただ、こういった試練を与えられ、乗り越えた人の多くが、人に伝える道に進んだりする。
なんたって、試練を乗り越えた経験が、これから乗り越えようとしている人の役に立つから。
また、試練を乗り越えた者にしか語ることができない言葉があるから。
不思議と、次の人のために、自分の経験を活かそうとするんよね。
世の中には、子供の頃いじめられた経験がある人が、教師になっている人がいる。
子供の頃いじめられっこだった人が、後にプロボクサーになっている人がいる。
子供の頃、落ちこぼれ扱いされていた人が、後に人気予備校講師になっている人がいる。
「必要とされていないのではないか」と思い込んでいた時期を乗り越えると、その人は、活きた経験を得ることができる。
実体験によって得たことだから、人の心に響く言葉を発することができるようになる。
ゆえに、見方によれば、「必要とされていないのではないか」と思い込むことも大事なことなんよね。
その期間は辛いかもしれないが、乗り越えると、高い確率で、後々に活きるようになるから。
とにかく、人は、必要とされてこの世に誕生してくる。
そして、今以上に必要とされる人間になることを望むのであれば、自分の中に備わっている能力等をフルに使って、人が喜ぶことを、人が欲することを率先してやりなよ。
ただし、見返りは一切期待することなく。
そうやって、普段から過ごしていると、徐々にだが、あなたを必要とする人が増えるようになるから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤン独り言
「皆が皆必要とされている存在なんやで」