「こういうものなんだ」
と、どこか諦めている自分がいる。
自分一人が、何をしようと大して変わらないと思い込んで…
努力はしたのに結果が伴わなかったことを過去に経験して…
人生そのものにまったくといって希望を抱くことができなくて…
今、自分がどんな環境にいようと、人は、様々な環境を経て、多くの人と競争しながら、今の場所をつかみ取っている。
勝ち続けて手にした人もいるし、負け続けて手にした人もいる。
また、途中までは勝っていたのに、ある日、負けて今の環境に至っている人もいる。
人生は様々で、色々なことが起きる。
その間、多くの人と出会い、多くの出来事を経験する。
そして、自分独自の考え方や価値観を身につける。
皆が皆そう。
ただ、育っていく過程で、人生に対してどこか冷めた目で見るようになる人は意外と多いんよね。
何のために生きているのかが分からなくて…
こなすことだけで一日が過ぎてしまって…
考えることを止めてしまって…
人は、「こういうものなんだ」と決め付けちゃうと、それ以降は、思考を停止させる。
なんせ、決め付けたあとに考えても意味がないと判断しちゃうから。
考えることが止まると、そこからは何も進まない。
しかも、一度、思考停止の状態が当たり前になると、何をするにしても自分で考えないようになってしまう。
人からの指示が出てからでしか、動かないようになる。
自分で考えて自分の意思で動かないようになる。
自発性を失っちゃうんよね。
人生のあらゆることに対して、「こういうものなんだ」と決めちゃうと。
でも、誰も好きで、決めているものではない。
自然と学び、自然と思い、自然と自分の中に定着させる。
親や友達の姿、社会を見ていると自ずと。
多くの人は、知らず知らずの内に、暗示をかけられている。
ある意味、洗脳されている。
なんせ、親は子供に「このようにしなさい」といったことを何度も何度も繰り返して言う。
親の都合の良いように、子供を支配するために。
子供のためと言いながら、子供に小さな世界を押し付けていることもある。
当の本人は、そんなこととは露とも知らずに…
また、TVでは、何度も何度も不安を煽り、世界は不安で満ちているかのように錯覚させる。
世の中は、膨大な情報に満ち溢れている。
けど、こうした情報には、正しいものもあれば、そうではないものもたくさんある。
そして、正しい、正しくないに関係なく、触れる機会が多い情報を真実のように思い込んでしまう。
自分では意識していない間に。
そういう情報は、自分が見る世界に大きな影響を与えている。
自分がいる世界の枠の大きさの設定に大きな影響を与えている。
自分で積み重ねた経験や、人から言われた言葉などが、複合的に合わさり、膨大な情報が自分の中に蓄えられている。
この膨大な情報によって、自分がいる世界が決定される事実。
もちろん、人によって蓄えられている情報が異なるため、皆が皆異なる世界に暮らし、異なる世界を見ている。
今のあなたがいる世界は、どういった世界だろうか。
広くて、幸せや楽しみに満ち溢れている世界だろうか。
それとも、狭くて、不安や怖れに満ち溢れている世界だろうか。
どんな世界にいるのかは、あなたが、今までどのような情報を蓄えてきたかによって変わってくる。
ただ、本来は、誰の世界も、広く果てがない。
人一人の一生の時間では、全てを見ることができないほど広い。
ただ、自分の世界を広くとらえていない人は多い。
なんたって、家と仕事場(学校)の往復ばかりに多くの時間を費やしている人は多いから。
世界は広いのに、小さな世界しか見ていない人は多いから。
だからこそ、「こういうものなんだ」と人生を決め付けるのは言語道断。
なぜなら、決め付けることは、自分で自分の可能性を捨て、自分の手で未来を奪うことになるんやから。
自分に対して、枠さえ決めなければ、人は、どこまでも行ける。
ものすごく大きな世界で生きることができる。
本当は、そういうものなんやで。
それなのに、人生をどこか冷めた目で見て、人生を半ば諦めた状態でとらえるから、自分の世界が小さなものになるんやで。
小さくしているのは、自分であって、他の誰でもない。
このことを自覚しなよ。
そもそも、あなたの力には限界もなければ、あなたの世界には枠なんてないんやから。
枠があるように感じるのは、そう思い込んでいるからなんやで。
思い込みさえなければ、どこまでだって力を伸ばすこともできるし、果てのない世界で堂々とノビノビして生きることができる。
そして、こういった世界が本来の姿なんやで。
それを、あなたの思い込みや、「こういうものなんだ」という決め付けで、広い世界に制限をかける必要はない。
枠のない広い世界が実の姿なんやから。
広い世界で毅然と生きれば良い。
これが、あなたのためになるんやで。
サコヤンの独り言
「思い込みや決め付けは世界を狭める」