怖れを抱くのは、新たな一歩を踏み出すまでの間に過ぎない。
新たな一歩を踏み出すまでは、自分を守ろうとして、怖れを抱いたりする。
特に、過去、何かしらの失敗をして、自分を守ろうとする傾向が強い人は・・・
新たな領域は、今までの経験則が使えないことも多く、どうしても躊躇してしまう。
なんせ、多くの人が傷つくことや、失敗することを回避しようとするから。
怖れを抱けば、自然と、自分を守ろうとする力が働き、前に進もうとする想いが薄まる。
そして、思考が停止し、やらない選択肢を選ぶ。
だから、怖れを抱き続けている間は、新たな一歩を踏み出すことができない場合が多い。
たとえ、前に進もうとする想いを抱いていたとしても・・・
怖れの方が優先されてしまう。
「新たな一歩を踏み出した方が良い」と頭では分かっていても、怖れを抱くことで強烈なブレーキがかかる。
ゆえに、今ある怖れを和らげる必要があるんよね。
怖れのとらえ方を修正する必要があるんよね。
なんたって、過去に抱いた記憶のまま、今も同様に怖れをとらえている可能性は高いから。
そもそも、怖れを抱くのは、心理的要素が大きく影響しているもの。
ある人は怖れを抱くが、ある人は全然怖れを抱かなかったりする。
いかに、大丈夫と思えるか。
もちろん、各々の力量にもかかっているが、それ以上に大事なのは心。
自分を信じる心がしっかりとしていれば、怖れを抱く回数は減少していく。
案外、そんなもの。
ただ、怖れを和らげ、新たな一歩を踏み出した瞬間、今まで抱いていた怖れは、過去のものとなる。
また、どうでもいいものとなる。
今まで、自分を縛っていた怖れが、自分を縛るものではなくなる。
なんせ、新たな一歩を踏み出せば、その時から、見る世界が変わり、何に焦点を合わせるかも変わってくる。
すると、意識の持ち方や考え方、といったものまで変わってくる。
踏み出す前も後も、同じ自分なのに、何か違う感覚を抱く。
それほど、多くのものが変わっていく。
しかも、人は適応力に優れており、新たな一歩を踏み出したところで、意外とすぐに、その環境に順応していく。
たとえ、踏み出す前に、どれほど強く怖れを抱いていたとしても・・・
踏み出す前は、単に、過剰に怖れを抱いていただけなんよね。
新たな環境に踏み出すことに対して、強く危険を感じて・・・
だが、新たな環境に踏み出したところで、その環境に順応する能力を人は備えている。
これは、明らかな事実。
ゆえに、必要以上に怖れを抱く必要はないんよね。
なんせ、自分が思っているより、新たな環境は、危険に満ちていないから。
危険と思い込むことで、あたかも、危険と感じているだけ。
やらないことを正当化しているだけ。
そもそも、やってもいないのに、危険かどうかは分からない。
危険かどうかも分からないのに、危険と決めつけるのはいただけない。
そんなのは、理不尽。
危険かどうかは、新たな一歩を踏み出してから、新たな環境を自分の身体で味わってから判断するべき。
じゃなきゃ、いつまで経っても、思い込みに支配され、思い込みによって行動が決まってしまう。
新たな一歩を踏み出せば分かるが、新たな環境は、危険な環境ではない。
むしろ、刺激に満ち溢れている環境なんやで。
確かに、新たな環境では、今までの経験則が使えないことが多く、最初は、上手くいかないことも多いだろう。
けど、この上手くいかないことこそが、大きな刺激となり、自分の成長のキッカケとなる。
なんたって、上手くいかないことが起これば、どうすれば上手くいくのか、考え、工夫するようになるから。
すると、今までにない、発想や視点に気づくことができる。
新たなことに気づく。
今までできていなかったことができるようになる。
こういったことが、成長と言えるものなんよね。
成長するためには、今までと同じことばかりをやっていても、大して意味はない。
なんせ、同じことには、刺激は感じなくなるものだから。
ひょっとすると、新たな一歩を踏み出すことに怖れを抱くのは、上手くいかないことに対してのとらえ方に問題があるのではないか。
過去、上手くいかなかったことで、強烈に嫌な想いを抱いたりして・・・
そして、その時、上手くいかないことは、嫌なもの、危険なもの、やりたくないものといったように意味づけをしたのではないか。
しかも、こういった意味づけをしたまま何年も過ごしたことで、より一層、新たな一歩を踏み出しにくくなっているのではないか。
過去に抱いた記憶を修正することなく育ってしまって・・・
これでは、怖れを抱くのも無理はない。
なぜなら、自分の中では、怖れを抱くようインプットされているから。
ただ、過去の記憶は、とらえ方を変えると、意味を修正することができるもの。
ゆえに、修正すれば良い。
それで、怖れを和らげることができるはずだから。
一つの出来事に対して、自分がどのように解釈をするかは、無限にある。
過去、自分がした解釈は、たくさんの中から一つを選んだに過ぎない。
偶然にも、その一つが、嫌な感情を抱く解釈だっただけ。
そして、それによって、新たに一歩を踏み出すことに対して、危険なものととらえてしまっただけのこと。
だから、怖れの原因になっている過去にした解釈を意識して修正すれば良い。
すると、今ある怖れは、新たな一歩を踏み出せなくなるような怖れではなくなるから。
自分の心に制限をかけるのは、いつも自分。
しかも、無意識の内に制限をかけているから、少し厄介。
そのため、意識して自分と向き合い、自分の心にかかっている制限を取り除きなよ。
制限を取り除くことで、怖れが和らぎ、新たな一歩を踏み出しやすくなるはずだから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「過去にした解釈を今も続け、必要以上に自分を守ろうとする必要はない」