能動的に動く。


ものすごく大事。


なんせ、能動的に動くからこそ自分の糧になっていくんやから。


自分の力で何とかしようと思い、臨むから、何とかなるもの。


誰かが何とかしてくれると期待しているだけなら、何かが起きるのを待っているだけでは何も起きやしない。


ただ、時だけが流れていくだけ。


能動的に生きるか、受動的に生きるか、それによって人生で得られるものは大きく異なり、歩む道も大きく異なる。


ちょっとした生き方の違いが、大きな差となって現れる。


時の経過と共に。


それがものすごく怖い。


なぜなら、自分が能動的に生きているのか、受動的に生きているのか、ほとんど意識することがないものだから。


無意識の内に、どちらかを選び、選んでいることも知らずに日々を生きている。


そして、無意識に選んだものに大きな影響を受けながら普段を過ごしている。


仮に、能動的に生きる習慣が身についているなら何もいうことはない。


おそらく、時の流れと共に、自分の人生が拓いていっているであろう。


だが、受動的に生きる習慣が身についている人は、要注意。


なんたって、受動的に生きている人は、人生の節目節目で大きな壁に出くわすことが多いから。


「誰かがやってくれるだろう」、と期待していれば、この想いが前に進む妨げとなる。


だって、大事な時こそ、「自分の力で何とかしよう」という想いの下に動く必要があるから。


能動的に動くことが求められているものに対して、受動的な発想や行動で臨めば結果がどうなるかなんて一目瞭然。


きっと、受動的な発想や行動で臨み続ける限り、望む結果は得られないだろう。


どんなにあがいたとしても・・・


なんせ、求められていることに応えることができていないから。


また、まちがった努力をし、あさっての方向に進んでしまっているから。


そんなことでは、いつまで経ってももがき続けることになる。


だからこそ、求められている行動の質と、自分の行動の質を比較し、自分の方から合わせていく必要があるんやで。


よっぽど、自分に天才的な力がない限りは・・・


もし、天才的な力があれば、相手の方から歩みよってきてくれる。


だが、こんな人は、ドラフトにかかるような人で、少数に過ぎない。


そのため、自分が相手に合わせていくことが大事であり、現実的なんよね。


ただ、受動的に生きている人は、意識しなければ、相手が望んでいるものに合わしてまで、自分を変えていこうとはしない傾向が見られる。


なぜなら、してもらうことに、与えられることに慣れてしまっているから。


兄弟で言えば、末っ子の特徴と言えば分かりやすいのかな。


末っ子の人は、してもらうことや与えてもらうことが、当たり前となる家庭環境で育つことが多い。


末っ子がゆえに、家族皆が、自分にかまってくれ、様々なことをしてくれる。


でも、このために、能動的な発想や行動が育みにくくなるのも事実なんよね。


ゆえに、末っ子の多くが普通に生きるだけで、受動的な姿勢を身につけてしまう。


知らず知らずの内に・・・


能動的な習慣を身につけるか、受動的な習慣を身につけるかは、環境の影響が大きい。


スポーツや音楽をしたり、長男長女の人は、比較的、能動的な習慣を身につけやすい。


なんたって、能動的に動かなければ、望むもの(実力やレギュラー)が手に入らなかったり、能動的に動くことを周りから求められるから。


自ずと、自分で考え自分の力で何とかしようと何度も何度も試みる。


だからこそ、能動的な習慣が身についていく。


能動的に動けるかどうかは、日々の積み重ね。


どれほど能動的に考え、どれほど能動的に動いているか、これに尽きる。


こういった環境で育っている人は、その環境に感謝しなよ。


なんせ、無意識な内に、自分の中に強力な武器を備えることができているから。


能動的に考え、能動的に動けることは、人生において強力な武器なんやで。


だって、行動によって自分の道を切り拓くことができることを経験として持っているから。


ただ、受動的に生きてきた人は、まず受動的に生きてきたことを認め、できることから少しずつ能動的な行動を取り入れなよ。


特に、今、人生の節目(受検の時期、就活の時期、入社したての時期)にいる人は・・・


今までと違う行動をすることにおいて、不安になるかもしれない。


動くためには、勇気がいるであろう。


だが、何から何まで、自分のためにやってくれる人はいないんやで。


結局は、求められているものを見据えた上で、自分が変わらなければならない。


じゃなきゃ、望むものは、いつまで経っても得られないんやから。


もちろん、日常においては、受動的に生きていても、何ら問題はない。


だが、能動的な行動が求められていることが多い社会だから、それに合わせていく必要があるんやで。


合わせていくことに、多少のもがきや悩みはあるかもしれない。


けど、合わせていった方が高い確率で楽になる。


なんせ、余計な軋轢を生まなくて済むから。


能動的な行動が求められていることが多い社会で、頑なに受動的な行動をしていれば、どうしても軋轢を生んでしまう可能性は高くなるんやで。


できることなら、軋轢はない方が良い。


その方が、まちがいなく、楽しく生きていけるから。


どうしても譲れないものであれば、ぶつかっていけばいいが、そうでないものでぶつかっても、自分のためになることは少ない。


世の中には、より良く生きていく手段があるんやで。


能動的に生きるというのは、その一つの手段。


特に、社会に出た時には必要となる。


ゆえに、企業に入る際にも、持っておいた方が良い。


その方が、後々楽になるから。


とにかく、能動的な習慣を身につけなよ。


能動的な行動が求められている時に、受動的な行動で対応すると、どうしても上手くいかないことは多いから。


また、能動的に動いていた方が、人生に変化が生じるものだから。


能動的に生きることは、自分のためになることが多いんやで。


このことを自覚しながら、日々を過ごしなよ。



サコヤンの独り言

「能動的に生きるか、受動的に生きるかで人生は大きく異なる」