多くの人が、安心を求めている。


そして、自分なりの安心を様々なものに求めている。


人に、お金に、物に、地位に、名誉に、所属に、環境に・・・


他にもあるだろうが、パッと思い付くものを挙げてみた。


自分以外の何かに、安心を求めがち。


それは、無理もない。


なんたって、社会がそうなっているから。


多くの人がそうしているから。


ただ、自分なりの安心を求めると、それに応じて、不安もついてきてしまう。


なんせ、何かを求め、実際にそれを得ると、今度はこれを失いたくないという気持ちが芽生えるから。


得ることに苦労したものであれば、それに固執する可能性は高くなり、手放すことが難しくなる。


仮に、社会に出て、年間300万円稼いだとする。


すると、この300万円よりも下回らないよう必死に守ろうとする。


そして、なんやかんや結果を出し、500万円稼ぐことができた場合、今度は、この500万円を下回らないよう必死に守ろうとする。


300万円稼いでいた時より、500万円稼いでいた時の方が安心度は高いはず。


だが、不安度もそれに応じて高まっているもの。


なぜなら、給料が高くなるにつれ、自分の生活の質を上げているはずだから。


一度上げた生活の質は、中々下げることができないもの。


ゆえに、質を上げた生活を必死に守ろうとする。


せっかく得たものに固執してしまって・・・


手放すことができなくなってしまって・・・


こういったことが、お金以外においても度々起こる。


人の醜い面が、様々な面に顕著に現れる。


案外、そんなもの。


でも、最初から、安心を求めている人って、あんまりいないんよね。


実のところ・・・


そもそも、安心って、いつも、何かを得て初めて求めてしまうものだから。


給料であれ、地位であれ何かを得て、それを当たり前と思うことで、そこに安心を投影させる。


そうやって今いる環境を安心できる環境と認識する。


そして、その環境がしばらく続くと、今いる環境こそが絶対的な安心を得られる環境と思い込んでしまう。


しかも、この安心が今後も続くことを期待し、信じて疑わない。


こういう人は、意外と、たくさんいる。


だが、末永く続く安心なんてどこにもない。


なぜなら、今の時代は、何が起きても不思議ではないから。


安心なんて、案外、簡単に崩れちゃう。


そのため、普段の生活に、あぐらをかいている人は要注意。


なんせ、安心というのは、自分の行動によって築いていくものだから。


自分の行動によって修繕、補強しながらよりよいものにしていく。


こうした行動によって、安心というのは成り立っている。


ゆえに、安心って、誰かに与えてもらうものでもない。


待っていて得られるものでもない。


自分自身で得るものなんよね。


だから、今ある安心なんて、本当の安心とは言えないのかもしれない。


だって、今ある安心自体、築いている途中のものなんやから。


だが、今ある安心に固執することは多い。


最低限、今ある安心を失いたくなくて・・・


そんな想いが、無意識の内に働いているんよね。


このため、新たな行動ができずにいる人は、意外と多い。


新たな行動には、何かしらリスクが伴うと思い、そのリスクを避けてしまって・・・


リスクを負うことで、今ある安心を損ねるのを恐れてしまって・・・


新たな行動を傷つくものと思い込んでしまって・・・


ただ、末永く続く安心なんてものはないし、絶対的な安心もない。


また、あぐらをかいていれば、ある時、今の安心がなくなり奈落の底に落ちてしまう。


何もしなければ、時間と共に、今ある安心はなくなっていくもの。


だとすると、新たな行動はできる限り早くにやった方が良い。


もちろん、傷つく可能性等はあるが、新たな行動によって安心度を高めることもできる。


傷つけば一時は痛みを感じるが、それは糧となり、次なる安心につながる。


ゆえに、何をしても、自分なりの安心度は高まっていく。


放っておいたらいずれなくなる今ある安心。


これを考えると、新たな行動を実践することの方が賢い選択と言える。


なんたって、将来を見据えた上で、安心を得ようとしているんやから。


今ある安心が不安定なものであることを理解しているから。


なんにせよ、今ある安心を、絶対的なものと思えば思うほど、新たな行動からは遠ざかる。


なんせ、今の状態で強固な安心を得ている、と思い込んでいるから。


そんな状態で、わざわざ新たなことに挑戦しようとは思わない。


そりゃそうじゃよね。


なぜなら、心が満ちてしまい、挑戦することが無駄なことのようにさえ感じているから。


心が満ちてしまっては、モチベーションなんて上がりはしない。


それが現実。


ただ、今ある安心なんて不安定なもので絶対的なものではない。


ということを考えると、不安定な安心に絶大なる信頼を置くこと自体、大きな危険に満ちている、と言っても過言ではない。


これでは、ある時、本当に奈落の底に落ちてしまうこともありうる。


この可能性を否定することができない。


残念ながら・・・


今ある安心の不安定さに気づくと、新たな行動を拒むことが非常に愚かな選択のようにさえ思えてくる。


「新たな行動をするのは嫌」なんて言っている場合ではない。


なんせ、安心は、自分の行動によって強化されていくものだから。


とにかく、今ある安心に自惚れることなく、将来を通しての安心を得られるよう、できる限り、様々な行動をすることを心がけなよ。


それが、後になって、ちゃんと自分に返ってくるから・・・



サコヤンの独り言

「今ある安心は絶対的なものではない」