自分の覚悟は言葉に現れる。


普段、発している自分の言葉に・・・


無意識の内に、覚悟の有無を発信している。


自分ではあまり気づいていない間に。


でも、その言葉を聞いている周りの人は、案外、気づいているもの。


特に、普段から言葉を強く意識して使っている人は・・・


覚悟があるかどうかなんて、言葉を聞いていると分かっちゃうものなんよね。


なんせ、言葉には、自然と自分の想いが込められているから。


覚悟を決めている人や、自分の想いを形にしている人の多くが、普段から、言い切る言葉を使っている。


「やってみせる」、「必ずやる」、「これが良い」といった言葉のように・・・


その一方、覚悟が決まっていない人の多くが、普段から曖昧な言葉を使っている。


決して、責任を取ろうとはしないし、どこか逃げ道を残している。


「やりたい」「できることならやりたい」「何でも良い」「任せるよ」といった言葉のように・・・


覚悟を決めている人とそうでない人は、決定的に使っている言葉が違う。


そして、言葉が違えば、そこに込める想いや姿勢、意識といったものまでも異なってくる。


当然ながら、覚悟を決めて生きている人の方が、生きる姿勢、意識、雰囲気、人が感じるオーラといった、様々なものが良く映る。


人生に対しての本気度が、自分の姿に現れているんよね。


ただし、その姿を自分では見ることができないが・・・


見ることができないからこそ、自分の姿を意識する人は少ない。


ものすごく重要なことなのに・・・


日本に住む多くの人が、小さい時に日本語を覚え、小さな時から日本語を言葉として発している。


当然として、意識することもなく、言葉を発することができている。


でも、意識していないからこそ、自分がどんな言葉を発しているのか気づいていない人は案外多い。


だって、自分の言葉を意識することなんて滅多にないから。


普段の何気ない生活を送るのであれば、そんなことをしなくても、何の支障もなく生きていける。


なぜなら、自分と同じような言葉を使う人が自ずと自分の周りには集まってくるから。


自分と言葉の感覚が合わない人とは、仲良くなりにくいもの。


不思議と、そうなっているんよね。


似たもの同士、レベルが近いもの同士が、グループを形成するもの。


ただ、心のレベルが高い人ほど、自分の想いを言葉に乗せ、力強い言葉を発している。


意識しているのか、していないのかは分からないが・・・


言葉って面白く、何という言葉を言うかで相手が感じる意味が異なる上に、どのように言うかによっても感じる意味が異なってくる。


仮に、ある上司が自分の部下に次のような言葉を言ったとする。


「お前なら、必ず、できる」


「お前なら、たぶん、できる」


一方は覚悟や信頼を感じ、もう一方は迷いや不安を感じる。


もちろん、「お前なら必ずできる」と言ってもらえた方が、嬉しいしやる気も出る。


ちょっとした言葉で、自分のモチベーションは大きく変わる。


それが、現実。


ゆえに、自分が使う言葉は、普段から、意識して使った方がエェんよね。


なんたって、どうせなら、相手が喜ぶような言葉を使った方がエェから。


ただし、お世辞であれば、かえって、逆効果になることもあるので要注意。


なんにせよ、想いを込めて人に伝える。


それが大事。


また、自分が発する言葉というのは、人に伝えると共に、自分にも届いている。


なのに、普段から曖昧な言葉を使っていれば、それは、自分に対しても曖昧な言葉を浴びせることとなる。


そして、何度も何度も、曖昧な言葉を自分の口から聞いていると、少しずつ少しずつ、自分が曖昧な態度を取るようになってしまう。


なんせ、言葉には、暗示の効果もあるから。


小さい時から、口癖のように、曖昧な言葉を使っていると、曖昧な態度を取ることが当たり前の行動となってしまう。


決して、自分のためにはならないというのに・・・


それを何度も何度も繰りかえしてしまう。


しかも、繰りかえすたびに、この習慣を強化してしまうんよね。


自分が気づくまでの間ずっと。


普段何気なく使っている言葉が、自分の習慣を強化する。


多くの人が意識していない事実。


仮に、これが自分のためになる良いことであれば何の問題もない。


だが、自分を傷つけることであれば、大きな問題となる。


だって、自分で自分の人生をマイナスに導いているんやから。


言葉には、様々な情報が含まれており、多くの情報を人に与える。


ただ、これは、自分を知る重要な材料ともなる。


自分が使う言葉を知ることで、自分を改善することもできる。


今まで曖昧な表現を使っていたことに気づいたのなら、意識して言い切る言葉を何度も何度も使えば良い。


意識して、何度も何度も使っていると、いつしか、言い切る言葉を使うことが当たり前となるから。


言葉を変え、変えた言葉に想いを乗せることができるようになるにつれ、自分の姿勢や行動も変わっていくもの。


なんせ、人の様々なものは、連動して成り立っているものだから。


何かが変われば、それに伴い、変わっていくもの。


ただ、自分が使う言葉は、案外、盲点になってしまう。


だって、あまりにも、当たり前なものだから。


とはいえ、言葉には多くの情報が含まれているから、意識して過ごしなよ。


なんたって、言葉は、プラスな面を伝えることもできれば、マイナスな面も伝えることができるんやから。


そして、マイナスな面ほど人は敏感に感じるものだから要注意。


ゆえに、覚悟が決まっていないことなどを人に伝えないためにも、自分が発する言葉は意識するんやで。


意識して、損はしないから。


とにかく、言葉には、多くの情報が含まれることを意識して過ごしなよ。


それが、自分のためにもなるから。



サコヤンの独り言

「何気なく発している言葉には多くの情報が含まれているもの」