自分の現在地を知ること。
ものすごく大事。
だって、現在地を知らなければ、目的地にすんなりと着くことはできないから。
何気なく歩んでいて、自分の目的地に着くことは少ない。
中には、何も考えずに目的地に到着できる人もいるが、そんなのは稀。
多くの人が、現在地を基点として、目的地を目指す。
なのに、人生においては、自分が今いる場所がどこなのか、疎かにしがち。
夢や目標を持ち、目的地は決めるのだが…
いくら夢や希望、目標を持ったところで、今の自分がどこにいて、どんな装備をしていて、何ができるのか、何が好きなのか、何が楽しいのか、そういったことを知ることなく、目的地に着く可能性は限りなく低い。
だって、その時の自分の状況によって、目的地に到着できる手段も到着にかかる時間も、何もかも変わってくるから。
そんなのは、ちょっと考えてみれば、よく分かること。
仮に、目的地を北海道とする。
今の自分の状況やいる場所などが分からなければ、ほとんどのことが決められないことになってしまう。
なんせ、青森にいるのと、沖縄にいるのとでは、手段も、かかる時間やお金も大きく異なる。
また、飛行機といった交通機関を使いたくても、その時の所持金が足りなければ、交通機関を使うことはできなくなる。
その時の自分は何ができるかによって、どんな手段を選べるかは変わってくる。
これは、人生全てにおいて言えるのではないか。
自分は何ができ、何ができないのか、今の自分を知らずして、効率的に目的地に着くことはできやしない。
だから、現在地を知るためにも、自分という人間を知る必要があるんやで。
なんせ、そこからが、目的地へのスタートなんやから。
現在地を知らずに、やみくもに歩けば、高い確率で迷うであろう。
どんなに優れた方向感覚を持っていたとしても、現在地を知らずに、進めやしない。
そして、目的地は頭では分かっているのだが、あちらこちらをウロウロして、結果、目的地に付けないまま、多くの時間が流れてしまう。
すると、不思議なことに、本来の目的地なんてどうでもよくなり、いつしか目の前のことが目的となり、目の前のことで精一杯になってしまう。
また、今をこなすことだけに意識が向いてしまう。
そんなことが、普通に起こる。
学生を卒業し社会に出た時は、大きな希望や野望を抱いているのだが、数年も過ぎれば、生きるタメに、生活費を稼ぐタメに働いている自分がいたりする。
完全に本来の目的地を見失い、現在地を見失い、どこかの場所で今をこなすだけの生活を送ることに…
そうやって過ごす人がいかに多いか。
人は、誰もが、無限の可能性を持っているというのに…
その可能性が表に出ることなく、多くの時が流れていく。
むしろ、自分の可能性を萎ませているのではないか。
なんせ、今をこなすだけに精一杯になっているから。
もちろん、生活があるから、守るものがあるからそうなるのも無理もない。
ただ、時には、自分を知る時間を持ち、現在地を知ると共に、本来の目的地がどこだったのか思い出すことをしてもいいのではないか。
自分の命を輝かせるタメに…
機械のように、馬車馬のように働くだけが、人生ではない。
心がイキイキするようなことをしてもいいのではないか。
それに、現在地を知ることは、自分の道を切り拓くことにもつながったりするんやで。
それなのに、力があるのに、自分のことを過小評価して、その力を存分に使っていなかったりするのはもったいない。
仮に、自分の目的地が北海道だとして、現時点ですでに青森にいて距離的には近いはずなのに目的地に行こうとしない人がいる。
自分には無理だ、自分が行ったところで仕方がない、自分では役不足だ。
といった誤った思い込みをしてしまって…
だが、そういった人が、一度、自分のことを知れば、本来の目的地に着くことなんて容易にできるもの。
不思議なことに、自分の力がどれほどあるのか、知らない人は多い。
だから、自分の力を活かそうと発想すること自体がない。
そのため、可能性を埋もれさせている人は、たくさんいる。
単に、自分を知らないだけで…
そして、自分を知ることが大切、という発想を抱くこともない。
そのため、自分を知る時間はないし、作ろうともしない。
TVを見る時間や、パソコンをする時間はたくさんあっても…
ひょっとすると、自分を知らないことが、自分の現在地を知らないことが、ほとんど変わることのない環境に自分を留めている大きな原因になっているのかもしれないね。
とにかく、自分を知り、自分の現在地を知りなよ。
なんせ、それが、自分の道を切り拓くことにつながるんやから。
あまり、意識されないことだが、現在地を知ることはものすごく大事なことなんやで。
そのことを意識して過ごしなよ。
意識するかどうかで、人生は大きく変わってくるから…
サコヤンの独り言
『自分を知ることで人生が拓けていく』