未熟者だからこそ、あなたは、何度でも失敗してもエェ。
失敗することは未熟者の特権なんやで。
なんせ、あなたは、未熟者だから、失敗を繰り返す必要があるんやから。
これは、未熟者が成熟する道をたどる過程なんやで。
この過程は、避けることはできない。
だったら、受け入れたらエェ。
なんせ、あなたは、今までもこれからも未熟なままなんやから。
未熟者は未熟者らしく、何にでも挑戦し、何回でも失敗したらエェ。
それが、未熟者であるあなたが取るべき姿勢なんやで。
なんたって、未熟者であるあなたが、成熟するためには、欠かせないことだから。
ただ、未熟者であるあなたが、失敗を怖れ、避け、逃げるなんて、おこがましいことなんやで。
そのことを自覚しなよ。
未熟者であるあなたには、失敗がつきものなんやで。
失敗をし、肌で感じ、身体で覚え、そうやって成熟の道をたどるんやで。
あなたは、未熟者であり、未完であり、まだまだ成熟するのには程遠い。
だからこそ、今は、何にでも挑戦し、何回でも失敗したらエェ。
その積み重ねが、あなたの糧となるから。
上手くやろうとせんでエェ。
完璧にやろうとせんでエェ。
そんなのは、あなたの強欲でしかない。
上手くいってもエェし、上手くいかなくてもエェ。
それが、本来の姿。
あなたは、これまで、つまらないプライドや、変な見栄によって、物事の基準を高く設定してきた。
それが、あなたを苦しめる要因の一つなんやで。
だって、上手くやらなければならない。
完璧にやらなければならない。
人に良く見られなければならない。
こういった想いを抱いたまま、事に当たると、上手くできることが当然で、そうではないものが耐えられないものとなってしまう。
そんなキツイ設定をして何になると言うのか。
自分を傷つけて、自分を否定し、自尊心を低くするだけではないか。
物事には、上手くいくこともあれば、上手くいかないこともある。
両方あって当然なんやで。
様々な挑戦をして、すべてを上手くやることなんて、よっぽどのことがない限り、できやしない。
仮にできるのであれば、その人は天才か、もしくは、できることしかやっていないかのどちらかであろう。
大概は、できることしかやっていないから、上手くいっていたりする。
だが、それでは、あなたが成長しない。
頑張っている振りしているだけだから。
だから、今のあなたの基準の設定を変えればエェ。
失敗することを最初から受け入れて、上手くいけば儲けもの、といった意識で臨めばエェ。
上手くやりたい、という想いがあるのは分かるが、冷静に考えてみると、今のあなたは未熟者なんやで。
未熟者のあなたが、良い結果を期待し、それに縛られるなんて、おこがましい。
十年早い。
だから、未熟者であるあなたは、未熟者らしく、堂々と失敗をし、痛い目に遭えばエェ。
痛い目に遭うことで、肌で感じることができ、感覚や身体で覚えることができるから。
知識を入れるだけでは、いつまで経っても未熟者のままやで。
感覚や身体で覚えてこそ、成熟な道をたどることができるんやから。
日本では、知識を入れることばかりが重要視されているが、本当に大切なのは、その人が実際に感じ、感覚や身体で覚えることなんやで。
頭に入れた知識は、よっぽど深く記憶に刻まなければ忘れてしまうが、感覚や身体で覚えたことは、何か特別なことがない限り忘れやしない。
そういうものこそ、あなたにとって、時代を超越したあなただけの武器となるんやで。
これからは、自分だけの武器を持つ人が、力を発揮する時代がやってくるんやで。
だからこそ、実際に、肌で感じ、感覚や身体で覚えなよ。
そのためにも、未熟者であるあなたは、何にでも挑戦し、何回でも失敗したらエェ。
そうやって、痛い目に遭うことであなたの武器は洗練されていくから。
失敗すること、間違うことは、未熟者の特権なんやで。
なんせ、成熟である人ほど、周りから高く期待され、失敗や間違いが許されなかったりするんやから。
でも、あなたは、まぎれもない未熟者。
だからこそ、未熟者であるうちは、できる限り挑戦し、何回でも失敗したらエェ。
その一つひとつがあなたを育んでくれるから。
知識を入れると共に、感覚や身体で覚えるんやで。
そうしてこそ、成熟な道をたどることができるんやから。
とにかく、上手くやろうとせんでエェ。
完璧にやろうとせんでエェ。
上手くいけば儲けもの、という感じで臨めばエェ。
なんたって、あなたは、まぎれもなく未熟者なんやから。
未熟者は未熟者らしく、堂々と挑戦し、思いっきりよく失敗したらエェ。
それが、未熟者である本来の姿なんやから・・・
サコヤンの独り言
「未熟者であることを受け入れると心持ちが楽になる」