多くの場合、物事の本質はシンプルだったりする。


これをやればこうなる、といった具合に・・・


だって、感動すれば心が動く。


一歩踏み出せば環境が変わる。


挑戦し続けていれば、道が拓ける。


与えれば与えられる。


物事の本質を見て、本質をとらえれば、多くのことがシンプルであることに気づく。


だが、いかんせん、シンプルにとらえることができていない。


なんせ、本当ならシンプルなのに、自ら複雑にしちゃっているんやから。


自分の意見や自分の感情を、シンプルなものに肉付けすることで・・・


そのため、本来のシンプルな姿が隠れてしまう。


ゆえに、偽りの姿を見て、その姿を本質であるかのように錯覚することに・・・


ただ、それでは前に進めない。


道が拓けることはない。


環境が変わることはない。


だって、あるがままの姿を見て、あるがままの本質をとらえることができていないから。


歪んで物事をとらえたところで、実際のあるがままの本質とはほど遠い。


人は、自分の人生を生きているうちに、自分の主観で物事を判断する習慣を身に着ける。


だが、物事を自分の主観に合わせようとしたところで、上手くいかないことは多い。


なんせ、物事は、自分のためだけにあるものではないから。


ゆえに、物事を自分に合わせようとするのではなく、物事の本質に自分が合わせようとすることが大事なんよね。


自分が相手に合わせるのが嫌だから、相手が自分に合わせろ。


と言ったところで、素直に相手が応じることは少ない。


なんたって、自分が相手に合わせるのが嫌と思えば、相手も自分に合わせるのは嫌と思うから。


普通はそう。


ただ、それでは、ラチがあかない。


だから、まずは、自分が相手に合わせる。


それが大事。


でも、これは、人に対してだけでなく物事に対しても言えることなんよね。


自分が嫌だからといって、物事を拒んでいたら、いつまで経っても、その本質を理解することはない。


本質を理解するには、まず、自分が、物事の本質に合わせる必要がある。


そうしてこそ、物事の本質をつかめるようになるんやから。


自分の意見や感情、主観というのは、時に、物事の本質を見失わせる。


だからこそ、自分の意見や感情、主観というのは、物事の本質をとらえる時には、前面に出さない方がエェ。


だって、本当に大切なのは、今の自分を貫くことではなく、物事の本質をとらえ、そこに自分のエネルギーを注ぐことだから。


それが、自分の成長につながり、環境の変化につながるんやから。


そもそも、物事の本質はシンプルであることが多い。


それを好き嫌いで判断していれば、今までの自分の常識と照らし合わせていれば、損得勘定を計算していれば、高い確率でそういったものに左右される。


ただ、物事を判断する時に、自分の期待や不安を入れない方がエェ。


こうあってほしい。


こうはなりたくない。


そんな想いが、選択肢を絞ることとなり、道を誤らせる。


だから、フラットな状態で物事を見て、物事をとらえること。


それを強く意識して、普段から過ごすんやで。


すると、案外、容易に、物事の本質をとらえることができるようになるから。


素直な心で、あるがままの姿を見て、あるがままの姿をとらえる。


それが、本質をとらえるコツなんやで。


本来、物事の本質というのは、シンプルなもの。


でも、シンプルにとらえることができない大きな要因は自分にある。


複雑にとらえる習慣が自分にあり、自分の心がゴチャゴチャしているから、あるがままの姿をとらえることができないんやで。


今までに築いた習慣や考え方、常識、当たり前が、わざわざ、物事を複雑化にしている。


実際は、シンプルだというのに・・・


ゆえに、もっと自分と対話しなよ。


自分の心の中にあるガラクタを整理し、処分しなよ。


自分の心が整理されればされるほど、物事の本質はシンプルであることを実感できるようになるんやから。


物事をどのように見るかは、今の自分の心が決めているんやで。


仮に、物事が複雑に見えるのであれば、心は混乱している状態なんやで。


自分を知り、自分の心を整理する意識を持って日々を過ごしなよ。


そうやって過ごすことで、自分の心の混乱を鎮めることができるんやで。


すると次第に、よりシンプルに、物事の本質をとらえることができるから。


物事の本質は、いたって、シンプルなんやで。


そのことを自覚しなよ・・・



サコヤンの独り言

「物事を複雑化しているのは自分の心」