何のために挑戦するのかというと、次に進むためなんよね。
次に進むために、今目の前にあることに挑戦する。
なのに・・・
こうした本質的なことを忘れ、周りを意識し、どんな結果が出るのかをやる前から気にする。
そのため、意識が散漫となり、ためらい、挑戦することから避けたりもする。
目先のことに目を奪われ、何のために挑戦するのか。
その意味を見失っている自分。
周りを意識したところでどうなるわけでもないのに・・・
どんな結果が出ても次に進めるというのに・・・
周りからどう思われるかを過剰に意識し、失敗をしたくないという強い想いからやる前から過剰に結果が気になる。
こうした習慣が自分の進むことを阻んでいる。
長い時間をかけて培ってきた習慣が、自分のために築いた習慣が、時の流れと共に、効果を失い、自分の足枷となっている現状。
皮肉なもんじゃよね。
本来、自分のためにあるものが、自分を足止めしている大きな要因となっているんやから。
ただ、多くの人が、自分の中にある考え方や習慣、常識や当たり前に縛られて生きているのではないか。
昔からあるものだからといって、何も疑うことなく、平気で使っているものって、自分が思っている以上にたくさんある。
もちろん、その中には必要なものもたくさんある。
だが、残念なことに、不必要なものや今では通じないものもたくさんある。
いわば、多くのガラクタを心に抱え生きているんよね。
それでは、自分が思うようには、前には進めない。
だって、多くのガラクタが、前に進むパワーを奪っているから。
確かに、一つひとつを見れば、ガラクタは軽いものなのかもしれない。
だが、それがたくさん集まれば、重いものとなる。
ここで一つ想像してもらいたいことがある。
必要以上にたくさんの荷物を抱え、旅をするとしたら、どんな旅になるのかを・・・
荷物が重ければ重いほど、100m歩くのだって億劫になる。
そんな重たい荷物を背負って、果たして、自分が望む旅ができるだろうか。
ちゃんと行きたいところに行けるだろうか。
残念ながら、こういった状況では、望めない。
なのに、実際には、多くの人が、自分の心に必要以上に重い荷物を抱え、人生という旅を歩んでいる。
だが、不必要な重い荷物を抱えたままでは、自分が望むようなところには、中々、到着することができない。
もちろん、到着することはできるが、どうしても、多くの時間を要してしまう。
なんせ、重い荷物が、前に進むパワーを奪っているから。
前に進むのであれば、できる限り軽装備で進んだ方が、明らかに早い。
100m走だって、何の重りを持たずに走るから、10秒前後で走ることができるんやで。
それを1kgでも重りを持てば、愕然とスピードは落ち、より多くの時間がかかってしまう。
自分の心の中にある余計な荷物は、自分と向き合うことがなかった時間が長ければ長いほどたくさん溜まっている。
放ったらかしにしていた状態であれば、とんでもないことになっているだろう。
だからといって、これからも放ったらかしにしていいものではない。
なぜなら、自分の人生は、まだまだ先があるから。
より輝き、より楽しく生きるためには、心の中にある荷物を整理し、かつ、処分する必要がある。
それがすごく大事。
本来なら、不必要な荷物がない単純なものなのに、そこに余計なものをたくさん詰め込むから、単純なものではなくなっちゃうんよなぁ・・・
なんたって、次に進むためにさっさと挑戦したらエェのに、そこに、不安や怖れ、期待といったものをくっつけちゃうから、重たくなって、挑戦ができにくくなっているんやから。
本質的に見れば、簡単で単純なものが、不必要な自分の様々な感情がくっつくことで、複雑なものになり、難しいものとなる。
そんなことが平気で起こっている。
だから、何かをやる際には、物事の本質と、自分の感情を別々にとらえる必要があるのだろう。
物事の本質はこう、自分の感情はこう、といったように・・・
頭で考えると、ゴッチャになりやすいから、紙に書くのが良いのかもしれない。
余計なものがあればあるほど、前に進むパワーは奪われてしまう。
だからこそ、何をするにしても、できる限り、軽装備で臨むことが大事なんやで。
それでこそ、自分が望むことを自分が思うようにやれるんやから。
せっかく、やりたいことや夢を見つけても、自分の心の中にガラクタがたくさんあれば、そこには、中々、一歩を踏み出すことができないもの。
これは、すごくもったいない。
ゆえに、自分のやりたいことや夢のためにも、普段から、自分の心の中にある余計な荷物を取り除こうではないか。
必ず、自分のためになるから・・・
サコヤンの独り言
「不必要な荷物はできる限り下ろすことにしよう」