自分自身を人に見てもらう。


せっかく、この世に生を受けたんやから。


また、どんな人にも素晴らしい魅力を備えているから。


たとえ、今がどんな状況であろうと・・・


一人一人が素晴らしい作品。


しかも、どれもが未完成で、日々進化している。


そんな作品が、他にあろうか。


いや、ありやしない。


きっと、人間だけであろう。


人は、誰もが成長する。


しかも、その成長には、限りがない。


上を目指せば目指すだけ成長する。


自分の能力を疑わない限り・・・


それに、地球には、何十億という人が存在する。


その一人ひとりが独自の素晴らしい魅力を持っている。


だから、生きている間に、できる限りたくさんの人を見て、できる限り多くの人に自分を見てもらう。


それが、この世に生を受けた一つの意味なのではないか。


なんだか、そんな気がする。


人に見てもらうこと。


ものすごく大切と、言葉で言うのは簡単。


じゃけど、恥ずかしがり屋の人にとっては、人に見てもらうことには、いささか抵抗を感じるもの。


だって、人に見られることに慣れていないから、恥ずかしいから、できることならやりたくないから。


確かに、人に見られることに慣れていない人は、人に見られるとドキドキするし、何をしたらいいかわからなくなることも多い。


ただ、それは、今までに人に見られることが少なかっただけの話なんよね。


もしくは、人前に出る場面が苦手と思い込んでいるだけなんよね。


変な思い込みを取り除き、人に見られることに慣れていけば、そんなことはなくなる。


不思議なことじゃけど。


そして、人前に出ることが増えると、自ずと顔が輝き、命が輝いてくる。


自分でも驚きを隠せなくなる。


しかも、人前に出るよりも以前の自分とは別人のようにさえ感じちゃう。


芸能人を考えたら分かるだろうが、人から見られている立場にある人というのは、輝いている人が多い。


もちろん、芸能人は才能や能力が高いことは分かっている。


ただ、人から見られているという意識が、その人の才能や能力を高めている一つの要因になっているのではないか。


だって、常に人からの視線を気にし、細部にいたるまで注意を怠ることがほとんどないから。


ひょっとすると、人は、人から見られることで、一つひとつの細胞が活性化するのではないか。


その結果、能力が著しく伸び、また、若々しく見えたりするんちゃうかなぁ・・・


だとすると、人前に出ることに恥ずかしがっている場合ではない。


なんせ、恥ずかしがってやらなければ、成長できるチャンスを捨てていることと同じなんやから。


当然、恥ずかしさを感じることは、決して悪いことではない。


単に、恥ずかしさを感じるばかりでは自分のタメにならないだけ。


なんせ、恥ずかしさの先には、大きな成長が待っているんやから。


恥ずかしさを感じていたことを乗り越えることは、ものすごく大切。


なんたって、間違いなく一周り大きくなれるから。


そもそも、自分の周りには、成長できることって結構たくさんあるものなんよね。


自分が見えていないだけで、避けているだけで・・・


一つひとつをこなしていけば、ものすごく成長した自分に出逢える。


きっと、自分を人に見てもらうことって、本来、すっごく重要なことんなんやろうね。


なぜなら、自分という素晴らしい作品を、多くの人と共有する機会を与えているんやから。


もちろん、素晴らしいのは自分だけでなく、周りにいる大勢の人もそう。


なんせ、自分が持っていないものを持っている人ばかりなんやから。


ダメな人なんて一人もいなく、すべての人が何かしらの魅力を備えている。


だから、自分に自信を持ってエェんやで。


人と比べたり、何か上手くいかなかったからといって、卑下することはない。


とにかく、次のようなことを自覚してもらいたい。


自分も他に劣らず素晴らしい存在であることを。


自分も人に見られる価値がある存在であることを。


自分には自分独自の魅力が備わっていることを。


誰が何と言おうと、あなたは、素晴らしい存在なんやで。


もっと自分自身を信じて生きてもエェんやで。



サコヤンの独り言

「人は誰もが成長し続ける素晴らしい作品」