今まで、リスクを承知で何かをやったということがほとんどない。


いつも無難な道を選び、できる限りリスクが低い道を選び、危険と感じるものをできる限り避けてきた。


おかげで、そないに努力が必要ではないことばかりをやり、その時の自分が余裕でできることばかりをやるように・・・


また、できそうにないものを避け、大きな努力を要するものを避けて生きてきた。


その結果、リスクを受け入れられない体質になっていた。


やれば、得ることがたくさんあることでも、少しのリスクがあると分かるだけで、逃げ腰になり、やらないこともしばしば・・・


リスクをとらずに生きてきたため、リスクをとらないことが当たり前となり、習慣となっている。


自分でも気づかないうちに・・・


リスクをとる・とらないなんて、小さい時からほとんど意識をしたことがなかった。


だから、周りに言われるように失敗を避け、周りに流されるように適当なことをしていた。


そしたら、いつしか、失敗することを避け、リスクをとることを避ける自分が出来上がっていた。


これは、ある意味仕方がないことなのかもしれない。


だって、何気なく生きていたら、リスクをとる機会なんてほとんどないから。


周りに流されるように生きていたら、すでに出来上がっているレールの上を歩んでいたら、そないにリスクを負うことは訪れない。


でも、歩んでいる途中に自分が力をつけていけば話は別。


なんせ、力をつけていけば、学び続けていけば、新たな選択肢が生まれるから。


今までどおりの道を歩むか、新たな道を歩むかの選択ができるようになる。


例えば、働きながら難関資格を取得した場合、独立という新たな道が選択できるようになるように・・・


今の道を行くか、新たな道を行くか、選択を迫られる。


選択肢がない人にとっては贅沢な悩み。


でも、資格があるからといって、独立しない人も多い。


だって、リスクを取りたくないと考える人もいるから。


選択肢が複数ある時、多かれ少なかれ人はリスクを背負う。


そして、どの程度のリスクを背負うかはものすごく重要なこと。


なんたって、どの程度リスクを背負うかによって、得られるものが全然違ってくるから。


それなのに・・・


リスクに関して学ぶことがほとんどない。


だから、よっぽど強い想いがなければ、小さなリスクのものを選んでしまう。


なんせ、多くの人が自分を過小評価する傾向があるから。


自分の力に応じたリスクを選択しようとはしない。


そして、どのようなリスクを選択するかは、その人の心のレベルに比例する。


心のレベルが低い人は小さなリスクを、心のレベルが高い人は大きなリスクを・・・


決して、自分の力の大きさではない。


だって、大きな力を持っている人でも、自分のことを過小評価している人はいるから。


小さい時に、心に大きな傷を受けた人などは特に・・・


どんなリスクを選択するかに、大きな影響がある自分の心。


なのに・・・


心のレベルを上げようとする人は少ない。


心のレベルなんてどうやってあげたらいいのか、誰も教えてくれないし、上げる術が分からない。


心のレベルを上げたくても上げられない、若しくは心のレベルを上げる発想がない。


だからこそ、自分の力を上げようとする。


今まで知らなかった知識や方法を本を読むなどしたり、体を鍛えて体力を向上させるなどして・・・


自分の力を上げる場合、何をしたら良いのか目で確認できるから、取りかかりやすいんよんね。


目に見えない心、目に見える力。


どちらが大切かと聞かれたら、僕は目に見えない心と答える。


だって、自分の力をいくら高めようと、それに応じた心のレベルがなければ、力を活かし切ることはできないから。


ブルペンピッチャーと呼ばれる人がこれになるんちゃうかなぁ・・・


どんなに力があろうと、それを活かせなければ宝の持ちぐされ。


それなら、今ある力を存分に使えた方がより大きな効果になるのではないか。


だからこそ、僕は、心のレベルを上げることが大切だと思う。


心のレベルを上げていけば、自分の力をより大きく使えることができるし、より大きなリスクを選択することができる。


そのため、目に見えない心、目で見ることができない様々なことを大切にしていく必要があるのではないか。


目に見えるものばかりを大切にしている風潮がある今の世界では特に・・・


ひょっとすると、それこそが、自分の道を切り拓くカギなのかもしれないしね。



サコヤンの独り言

「目に見えないものを大切にしよう」