健康な身体があってこそ。
体調を崩してからこそ、わかる健康のありがたみ。
普段は、当たり前にあるような健康の身体。
でも、けっして当たり前ではない。
いつ、何が起こるか分からない。
いつ病気になるかも分からないし、いつ怪我するかも分からないし、いつ事故に遭うかも分からない。
普段元気で過ごしている人ほど、体調を崩した時ほど弱いものはない。
いつも元気な人が死んだような目になり、まるで別人。
病気というのは、一瞬で、その人の表情や笑顔、やる気を奪う。
ただ、普段から病気になることを想定していなかいからなおさらに。
病気というのは、なぜか、自分は大丈夫、かかるはずがない、と思っちゃうんよなぁ・・・
決して根拠はないのに。
誰もが、怪我をしたり、病気になったりする可能性はある。
なのに・・・
ついついこのことを忘れてしまう。
毎日を元気に過ごせていればいるほどに。
体調を崩して思うこと。
それは、健康な身体があってこそ、何だってできるということ。
何をするにしても、土台は健康な身体なんよね。
でも、普段は、土台である健康のことなんて全くといって考えていない。
なんたって、健康であることが当然のように感じてしまっているから。
ただ、体調を崩せば否応でも考える機会ができる。
これは、これでありがたいことなんよね。
だって、普段は、全然健康の身体の大切さに見向きもしていないんやから。
んで、僕自身、何か怪我や病気など、苦しいことが起こる場合、何かしらのメッセージが含まれているような気がするんだな。
だって、意味がなく苦しめる必要なんてないから。
そこで、自分なりに体調を崩す意味を考えてみた。
それは・・・
健康な身体は当たり前ではないことを実感させ、日々を懸命に生きさせようとすること。
健康な身体は当たり前のようで、実は当たり前ではない。
明日も同じように過ごせるのかは、明日にならなきゃわからない。
だとすると、今日できることなのに明日に延ばそうとしていたら、何か志があるのに取り組んでいないことがあったら、夢があるのに中途半端にやっていたら、もしものことがあると、ムチャクチャ後悔する自分がいる。
志半ばで諦めるハメになってね・・・
今日と同じような明日が来るということは、本来は奇跡的なことなんやで。
それを、当たり前のように捉えるから、「明日やろう」と自分に甘えてしまう。
こう考えると、今まで、自分がどれだけ適当に考え、どれだけ後悔するような道を歩んでいたのか、改めて思い知らされる。
じゃから、今日できることは今日し、志あることはすぐ取り掛かり、自分の夢があるならそれに全身全霊を傾ける、といったことを強く意識する。
だって、後悔したくないから、より充実した人生を歩みたいから。
今、何かしらで苦しんでいる人がいる。
でも、元気にピンピンしている人もいる。
ということは、今、何かしらで苦しんでいる人には何か大切な意味があるんちゃうかなぁ・・・
おそらくじゃけど・・・
ただ、身体の痛みや苦しみなどに目を向けちゃうと、一層辛くなったりするのも事実。
でも、そこであえて、なぜ、自分がそういった状況になった理由を考えると、何か大きなヒントが得られるんちゃうかなぁ・・・
なんたって、自分に起こることには、必ず意味があるから。
たとえ、それが、病気や怪我であったとしても・・・
仮に、何かが起きた時、それを掘り下げて、別な視点から捉えてプラスにすることって、結構大切な手法じゃよね。
だって、これは、大人でも有効な手法じゃから。
そういやぁ、辛い時、苦しい時、ピンチな時って、かえって、チャンスな時なのかもしれないね。
新たなことに気づき大きく成長するためには・・・
要は、どう捉えるかが大切になるのかな・・・
サコヤンの独り言
「辛いことほど意味がある」