楽しんでいる人に人は集まる。


植物が光に向かって伸びるように、虫が街灯の光を求めて群がるように、人は楽しんでいる人を求めるようになっている。


なぜか、そう思う。


楽しんでいる人というのは、人にとっては、一種の光みたいな存在なのかもしれない。


なんせ、楽しんでいる人がいれば、引き付けられるように足が向かっちゃうから。


ほとんど意識することもなく自然とね。


ひょっとしたら、何か、嗅ぎ分ける能力があるのかもしれない。


目では見ることができない不思議な力があって・・・


んで、楽しんでいる人と一緒にいれば、自然と自分も楽しくなっちゃう。


不思議なことじゃけど、楽しさって伝わり、強く影響を受ける。


そういやぁ、自分自身が楽しむ、という欲求を満たす一つの方法として、楽しんでいる人を求めるのかもしれないね。


なんたって、自分が楽しめることを見つけるよりも、楽しんでいる人を見つけることの方が、結構、簡単にできたりするから。


そんなこんなで、皆が皆、楽しんでいる人に向かうから、結果、楽しんでいる人には人が集まるようになってしまうんじゃろう。


よくよく考えてみたら、「楽しむ」って、すごいことなのかもしれないね。


だって、自分は好きに楽しんでいるだけで、自然と人が集まるようになるんじゃから。


これって、自分の応援団を自然と作っていることにもなるんよなぁ・・・


人は、何をするにしても一人では限界がある。


でも、人がたくさん集まり、各々が支援していけば、一人では限界だったことでも、ドンドン可能なものになっていく。


じゃから、何かを楽しんでいる人というのは、大きな可能性を秘めていることにもなるんちゃうかなぁ・・・


なんたって、そんな人が、一度、何かをしようとしたら、既に応援してくれる仲間がたくさんいるんじゃから。


始める前から、上手くいく要素を備えている。


侮れないね、楽しむ力って。


じゃあ、どうやったら楽しめるようになるのか?


一度、考える価値はあるような気がする。


だって、誰もが、本気で楽しみたいという欲求を備えているから。


なのに、様々なことを気にして、楽しめなくなっている現状。


そもそも、現時点で、楽しんでいる人だって、最初から楽しんでいる人ってそんなにいない。


色んなことを経験して、様々な人に出逢い、ようやくたどり着いたんちゃうかなぁ・・・


もしくは、一つのことを徹底的に掘り下げていったか・・・


そのどちらかやと思う。


と、考えると、誰にだって、楽しむことはできるんよね。


なんせ、自分がその気になれば、色んな経験はできるし、様々な人にだって会える。


それに、どうやったら楽しめるのか、どうやったらより上手くいくのか、といったことを意識さえしていたら、自然と追求していることになるんやから。


ちょっと意識を変えて、行動を変えていくだけで、楽しめる道を歩むことができる。


要は、自分自身の意識次第、行動次第、単にそれだけ。


ただ、誰もが、小さい時には、何も躊躇することなく楽しめていた。


ということは、肝に銘じておいて欲しい。


けど・・・


大人になるごとに、何をするにしても、ためらい、躊躇し、動けなかったりする。


様々なしがらみができたり、余計なことを考えたりして・・・


結局は、自分を抑えているのも、楽しまない道を選んでいるのも、他の誰でもなく、自分自身なんよね。


なんせ、誰かに指示されているわけでもないから。


自分が積み重ねてきたものに、自分自身が縛られている。


まずは、そのことに気づくことが大事なんちゃうかなぁ・・・


そして、自分の想いに正直になり、素直に出す。


それさえ続けていたら、いつの間にか、自然と楽しんでいる道を歩んでいるはず。


だって、しがらみのない子供の時は、全力で楽しんでいたんやから。


だったら、今からでも、自分にあるしがらみをほどいて、解放したらエェ。


時間はかかるかもしれないけど、効果は抜群だから。


誰にだって楽しむ力は備わっている。


ただ、育つ過程で忘れているだけ。


だから、大人になった今こそ、想い出そうやないか。


きっと、毎日が楽しくなるから。


しかも、楽しんでいる雰囲気は周りに伝わり、次第に仲間ができるようになるから。


楽しむことって良いこと尽くめなんやで。


ゆえに、今日を楽しみ、人生を楽しんだ方がエェ。


その方が、絶対に面白いはずじゃから。


とにかく、どんなことでもいいから、楽しんで生きなよ。



サコヤンの独り言

「自分に正直になればなるほど、楽しんでいる自分と出逢える」