先週11月1日、私は髄膜炎になった。
ことの始まりは、10月31日。
当番組立ち上げからいたベテランDの送別会が終わった。
それはもう一大イベント(笑)
ほっとしたからか、私は寒気を感じる。
「風邪引いたかなぁ
」
家に帰っても悪化する一方で、むしろ震えが止まらなくて眠れない。
「明日早番なのに
」
朝、深夜に帰ってきたにも関わらず、7時に起きた私。
母に泣きながらすがりつく。
「熱い熱い熱い

」
その時点で、原因も感染源も分からない。
ただひたすら4時間病院にいて、その大半を点滴で過ごす。
「助けて…寒い熱い。」
3日連続点滴に通った土曜。
お医者様から診察結果。
「血液にウイルスが入って、髄膜炎だと思いますよ」
やっと熱が下がった、日曜早朝。
お母さんから報告。
「おじいちゃん、亡くなったよ」
週明けの月曜。
病院で朝から点滴。
夕方から弟と2人で月曜に熊本入り
「こんな痩せちゃってたんだな………」
昨日8日(木)。
もう日常でリハビリしていかないと無理だ。
仕事に復帰。
「さこち取り扱い注意令発令」
怒濤の1週間でございました……(;´∩`)
この病気って2種類あって、私がかかったウイルス性は1週間程度で治るもの。
一方の細菌性は死に至る病気らしい。
私はそれどころじゃなかったけど、原因や病気が分かるまで時間かかってたから、周りは凄く焦ってた

スタッフに「紙一重だったんだね」って言われて、初めて気付いた位。
そんな中での、おじいちゃんの死。
正直、私の熱が平熱に下がった瞬間に来た訃報。
26年前。
私が生まれた瞬間に亡くなった、北海道のおじいちゃん。
お母さんが言ってた。
「そういう星の生まれなのかもね」
もっとちゃんとした体調で、ちゃんとした形でお見送りしたかったな


天国では苦しまず、幸せで笑顔であることを願ってます。
もう仕事復帰して、体力すんごくなくなってて凄くびっくりした

課題は山積みだ

無理せず、頑張ろうと思います(*´∇`)
ことの始まりは、10月31日。
当番組立ち上げからいたベテランDの送別会が終わった。
それはもう一大イベント(笑)
ほっとしたからか、私は寒気を感じる。
「風邪引いたかなぁ
」家に帰っても悪化する一方で、むしろ震えが止まらなくて眠れない。
「明日早番なのに

」朝、深夜に帰ってきたにも関わらず、7時に起きた私。
母に泣きながらすがりつく。
「熱い熱い熱い


」その時点で、原因も感染源も分からない。
ただひたすら4時間病院にいて、その大半を点滴で過ごす。
「助けて…寒い熱い。」
3日連続点滴に通った土曜。
お医者様から診察結果。
「血液にウイルスが入って、髄膜炎だと思いますよ」
やっと熱が下がった、日曜早朝。
お母さんから報告。
「おじいちゃん、亡くなったよ」
週明けの月曜。
病院で朝から点滴。
夕方から弟と2人で月曜に熊本入り

「こんな痩せちゃってたんだな………」
昨日8日(木)。
もう日常でリハビリしていかないと無理だ。
仕事に復帰。
「さこち取り扱い注意令発令」
怒濤の1週間でございました……(;´∩`)
この病気って2種類あって、私がかかったウイルス性は1週間程度で治るもの。
一方の細菌性は死に至る病気らしい。
私はそれどころじゃなかったけど、原因や病気が分かるまで時間かかってたから、周りは凄く焦ってた


スタッフに「紙一重だったんだね」って言われて、初めて気付いた位。
そんな中での、おじいちゃんの死。
正直、私の熱が平熱に下がった瞬間に来た訃報。
26年前。
私が生まれた瞬間に亡くなった、北海道のおじいちゃん。
お母さんが言ってた。
「そういう星の生まれなのかもね」
もっとちゃんとした体調で、ちゃんとした形でお見送りしたかったな



天国では苦しまず、幸せで笑顔であることを願ってます。
もう仕事復帰して、体力すんごくなくなってて凄くびっくりした


課題は山積みだ


無理せず、頑張ろうと思います(*´∇`)


と誇れる作品があるって幸せだなと思った。