SAKKUNのエッセイ集

SAKKUNのエッセイ集

街歩き、小旅行、人間観察…。SAKKUN執筆のエッセイ集です。

すっかり更新頻度が減ってしまった。


たまには何か書かなければいけないと思いつつ、サボり癖が付いて、皆様にはすっかりごぶさたしてしまっている。


さて私の近況だが、最近は「セルフレジ」が好きになった。


商品のバーコードを読み込ませる。


会計ボタンをタッチする。


支払方法を選択する。


私は交通系ICカードを利用しているので、電子マネー→交通系ICの順に進み、カードをタッチする。


レシートを受け取る。


それだけである。


初めは「自分にできるかな」と心配だったが、すぐに慣れてしまった。


私の生活範囲では、スーパー、100円ショップ、ファミレス、牛丼店などがセルフレジだ。


飲食店では商品でなく、伝票のバーコードを読み込ませることになる。


セルフレジ導入の背景には、人員不足やコロナ禍の対面回避など、いろいろな事情があると思う。


私たちの年代になると「昔は良かった」と嘆く人もいるが、私は新しいことに慣れて前に進みたいと思っている。

小学生の頃から、テレビで国会中継を見るのが好きだった。


「変な小学生だな。国会の審議内容が理解できるのか」と奇異に思われよう。


当然のことながら、神童でもない私に理解できるはずがない。


国会で大人が「くん」という敬称を用いるのが、私は面白くて仕方がなかったのだ。


小学生から見た大臣、議長、議員各位は「おじいちゃん」だった(もちろん「おばあちゃん」もいた)。


小学生の私は「くん」は子ども、特に男の子を呼ぶ時の敬称としか理解していなかった。


だから大人が「くん」で呼び合う場面がたまらなく面白く、興味深かったのだと思う。


ところで今、私も「くん」で呼ばれる機会が少なくなった。


学校時代の同級生ぐらいだろうか。


同級生のお母さまも「くん」で呼んで下さる方が多いが、鬼籍に入られた方も少なくない。


SAKKUNは私の幼名だが、当ブログで皆さんに覚えていただいた名前なので、年齢に関係なくこれからも使い続けたいと思っている。

年末に左足ふくらはぎ、正月に右足ふくらはぎの肉離れを発症した。


いずれも歩行中、突然激痛に見舞われた。


筋肉がよほど劣化していたのだろう。


整骨院で治療を受け、今はすっかり良くなった。


薬剤を用いなくても、整骨院の先生の施術で、ここまで快復できた。


自動化やIT化ができない世界である。


手技の威力を痛感したこの4ヵ月間だ。


治療期間中、人間についていろいろ考えた。


私たちは自力で空を飛べない。


水中生活もできない。


陸上でしか生きられない。


陸上でも山林や原野で、野生動物と共存することはできない。


都市や集落など、人が暮らすための場所でしか生活できない。


動物は4本の足で体重を支えている。


人は2本足で体重を支えて直立する。


腰や足に大きな負担がかかるのは当然だろう。


人は前足を手として用い、作業を行える。


それが技術を生み、産業を生み、文化や芸術をも生み出した。


肉離れは辛かったが、人間について深く考える良い機会になった。