(問答)
禾山垂語云、習學謂之聞。絕學謂之隣。過此二者、是為真過。僧出問、如何是真過。山云、解打鼓。又問、如何是真諦。山云、解打鼓。又問、即心即佛即不問、如何是非心非佛。山云、解打鼓。又問、向上人來時、如何接。山云、解打鼓。
(語釈)
・禾山 hé shān …禅匠の名
・垂語 chuí yǔ …学僧たちに師が教えを述べる
・云 yún …述べる、言う
・謂 wèi …いう、なづける
・之 zhī …これ
・絕學 jué xué …もう何も学ぶことがない境地
・隣 lín …となり、真理へもう一歩のところ
・如何是 rú hé shì …~はどのようなものか
・解 jiě …よく~できる
・真諦 zhēn dì …究極の真理
・即心即佛 jí xīn jí fú …この心の中に仏がいる、この心こそ仏である
・非心非佛 fēi xīn fēi fú …この心は仏ではない
・向上人xiàng shàng rén …つかんだ真理を超えて、向上の一路を求めて進んで行く人
・如何 rú hé …どのように
・接 jiē …人を接する、接遇する、教え導く
(訳)
禾山が衆僧に示して言った、『勉学中は、本を読んだり人から話を聞いたりするので、これを「聞」という。学習が進んでもう何も学ぶことがなくなったら、真実へもう一歩なので、これを「隣」という。この二つの境地を過ぎたものを、本当に超越したので「真過」という』。僧が進み出て禾山に問うた、『「真過」とはいかなるものでしょうか』。禾山が言う、「よく太鼓を打てるようになりなさい」。また僧が問う、「究極の仏教的真理とはどのようなものでしょう」。禾山が言う、「よく太鼓を打てるようになりなさい」。また僧が問う、『「この心こそが仏である」については問いません、「この心は仏ではない」とはどのようなことでしょう』。禾山が言う、「よく太鼓を打てるようになりなさい」。また僧が問う、「真実を超えてさらに向上を求める人がやってきたとき、和尚はこの人をどのように遇しますか」。禾山が言う、「よく太鼓を打てるようになりなさい」。









