キッチンのテーブルで
新聞を広げて読んでると
左下からショベルカーでも
来ているような
ゴーという音‼︎
思わず何❓何❓何❓
と口に出して
言ったら目の前の
食器棚の扉が
バダバタと
開いたり閉じたり
一瞬何が始まった❓
と思ったと同時に
ものすごい揺れが
生後3ヶ月の息子の
ベビーベッドのとこに
行くのにすんなり
行けない…
小さな2DKのハイツ
やのに壁に何回も
ぶつかりながら
息子の名前を
呼びながら
やっとの思いで
息子のところへ
ベッドに追い被さった
少し経って洗面所で
歯を磨いてた夫が
歯ブラシをくわえて
口の周りいっぱいに
歯磨きをつけて
飛んできた‼︎
大丈夫か❓
二人で息子のベッドに
追いかぶさった‼︎
揺れがおさまるのを
待って息子を抱き上げた
二人でベッドに
追い被さっている間
息子は笑顔で
ニコニコと…
そのおかげで
パニくる事なく
冷静に居れた‼️
その息子も28歳‼︎
今年は29歳になる‼︎
息子の同級生でも
震災後に生まれた
友達もいる
毎年、年が明けた時
ぐらいから新聞に
チラホラ1.17の事が
取り上げられる…でも
年々その記事も
少なくなってきている…
決して風化はさせては
いけないと…
神戸生まれ神戸育ちの
私は常に思っている…
風化させてはいけないの
繋がりから
震災数日経ってからの
テレビで神戸新聞社の
カメラマンさんの
インタビューが放送
された‼︎その番組が今も
忘れられない…
神戸市垂水区在住の
カメラマンさん
我が家と家族構成が
ほぼ同じやったから
余計に忘れられない
のかもしれない‼︎
生後何ヶ月かの
お子さんと奥さん
奥さんが「行かんといて〜」
と泣いて止められたけど
あるだけの
フイルムとカメラだけを
リュックに
詰め込んでバイクに乗って
変わり果てた
神戸の街を撮りまくった…
長田の街に着いた時にはもう
火が出始めていた
下敷きになった家族を
一生懸命引っ張り出す姿
などを撮っていたら
怒鳴られ写真を
撮ってる暇があるん
やったら手伝えと
殴りかかられたと…
カメラは取られ
フィルムを踏み
つぶされたと…
でも、謝りながら
この大惨事を
いつまでも
風化させたくないから
風化したらあかんから
と言いながら
撮り続けたと…
翌日に同じ場所に
行ったら…
その辺にあった
入れ物にお骨を
拾い集めていた
ご家族の姿を見た時は
涙が止まらなかったと…
でも、シャッターは
押し続けたらしい…
そのカメラマンの
方が帰宅したのは
震災から
一週間後だったと
毎年、1.17には
いろんな事が
走馬灯のように
蘇ってくる…
断捨離のおかげで
28年前の新聞が出てきた
約1ヶ月分は残してた‼︎
1995年1月17日夕刊
1995年1月18日朝刊
の写メを撮ってみた‼️