トラウマというほど大袈裟なものではないかもしれません。
しかし、この生き辛いほとんどの原因になっていることは間違いないと思っています。


私の幼少時代は、
活発過ぎて、目立ちたがり、好き嫌いがはっきりしていて、言いたいことは遠慮せず言う。
衝動的なところもあったし、落ち着きがなく、お調子者でもありました。言いたいことを遠慮せず言うのでお友達とケンカになることもよくありましたが、とにかく明るかったので自分から遊ぼう遊ぼうと人に寄って行って、自分がこの子と遊びたい!と思ったらどんなタイプの子でも自ら誘って遊んでいました。
こうやって書いていたらなんて自由な子どもなんだ(笑)と思います。
そして自分自身もADHDの気質があったのではないかなぁ~と思っています。


こんなに自由な子どもを誰しもが受け入れてくれる訳ではありませんでした。

特に親や叔母、まわりの大人からは叱られてばかりでした。
本当に困った子と、まわりの大人達からはいつもいつも小言を言われたり、お説教されたり。
その度に、私はダメな人間なんだ。。
と思うようになって行きました。

一方で友達関係は女の子も仲良くしてくれる子もいましたが、男の子と一緒にバカやってふざけて、お腹がちぎれるくらい大笑いしたり、一緒にイタズラしたりして遊んでいたら、おせっかいな上からタイプの女子にめっちゃ嫌みを言われたりしました。
男の子達と遊んでいてすごく楽しいので、すごく遊びたかったけどまた何か言われるのが嫌で、男子やばくなーい?みたいな会話に『そうだよね~』と心にもないことを言ってまわりに合わせていました。

また、宗教の子どもの活動で意地悪な上級生からイジメのような事を言われたり。

ふざけてたり、うるさかったりしていたので、悪い意味で目立ってしまっていたからだと思います。

また、親からはいつも叱られてばかりだったから、人間関係での嫌なことを親に話すことも出来ませんでした。何より、自分のことを私なんか言われて当然くらいに思っていたので、
『あぁ~また言われちゃった。』とすごくショックで悲しいのに心の中にしまって、子どもながらに感じないようにしていました。
さらに、小学生低学年の時からすでに今までの人生リセットして幼稚園からやり直したい。もっといい子になるのに。なんて事まで考えたりもしていました。


こんな私がある日一変します。
小学4年か5年の時だったと思います。
何が原因だったかは覚えてませんが友達とちょっとケンカになりそうな空気の時にいつもなら言い返すのをぐっと我慢をして、確か、私が悪かった!本当にごめんね。と言ったのです。
そしたらその友達はすごく喜んでくれて、
『ううん!いいの!ありがとう。』と言ってくれて、すごく仲良くなることが出来たんです。
この一連の流れで、
『私が我慢すれば、やっぱりみんな喜んでくれるんだ。上手く行くんだ。』と自らの経験を経て、そして親の宗教での人間関係を近くで見ていたりした事、さらに宗教での教えもあり、そこから私の人の目を気にする人生が始まっていきました。


それはもう、上手く行きました。
中学の頃には、私は優しい、全然怒らないいい人
そういう風に思ってもらえるようになりました。
心の中では我慢ばかりしていました。
本当は言いたいことたくさんあるのに波風立てないよう、人間関係を円滑に保つことを最優先に考えて行動していました。


それはそれですごく嬉しい事でしたが、今思えばそうやっているうちに、息をするように我慢ができるようになって、そうして自分の本当の気持ちというものがわからなくなって行ったんだと思います。