おたから
バケツに氷^^さむくなったんね~
今日は写真がいっぱいです。全部19日の写真です
今、空家になっているウチの小屋を壊す(おっこわす!)ということで、
私もクギ抜いてトタン剥がしたり、木を折ったり、お宝探ししたりお宝探ししたり(笑)、、、させていただきました!
たぶん都会だったら業者に頼むんだろうな、って思って
全部自分で処理する農家さんは凄いなあと、食べ物も自分で作って
処理できるものは自分で処理して、、、学ぶべきところがたくさんあります。
小屋の解体してると、音が結構してたので、近所の人が何人か様子見に来て
「あれ、さきちゃん!なんでもするんめ~」なんておっしゃって
またいろいろいただいちゃいました。
最近は活動にいくと、それを聞きつけたそこの近所の人が寄ってくれることも増えて
いろんな繋がりができてきたことに喜びを感じます^^
さてさてお宝の紹介です!
(私が「お宝発見!」って言ったら村の人は「またまたそんなものを」って感じな反応のことも多かったけれど(笑)
でも都会の人だったらお金出してでも欲しいものも多いのでは!?
売らずに尾沢の資料館に寄付されますが^^)
臼と杵が2セットありました!
「欲しい?」と聞かれ、欲しかったけど自分だけじゃどうしようもなかったので断念、、、
ただの木の箱?・・・ではなかった!
木の箱に新聞紙が、その上に色紙が貼ってあったのですが、色紙を剥がしていくと、、、
見えますか?新聞の日付が!
・・・!昭和36年7月11日!
50年近く前?
そこで興味をひいたのが新聞の内容!
綿等の輸出入自由化のための会議(IMFか?)に参加し、日本はどうあるべきか、とかいう話。
詳しく読み進めると(【】内抜粋)
【池田首相がケネディ大統領に会ったときにも説明し「正直者がバカをみないようにたのむ」と善処を求めている】
前後読みとれなかったんですが、、、もしかするとこれ、教科書にも載ってた歴史的な会談なような?
【このため米国の綿製品輸入に占める日本の比率は、むしろ綿布などは七十%から十四%に、綿二次製品では】
【香港をとっちめる、欧州にもっと門戸をあけさせることがこの会議の大きな柱と言える】
なんか今も似たような話してるけど、今と立場が全然違うというか、、、
・・・このころの日本つえー・・・
この話を他の地域の協力隊に話したら
「歴史は繰り返すんやなあ」って言ってて本当にその通りだと思いました。
TPPとか
長くなったので次!
これを地下足袋につけて氷の上を歩いたそうです
次!これ誰かわかりますか?
ピアニストだそうです。美人。
次!みかんの箱。
こういう木の箱がいっぱいありました。
たぶん今でいうダンボールみたいなもんとして使っていたのかと思います。
次!戦争のとき持っていたそうな
ご飯炊くの。名前なんでしたっけ・・・
昭和47年のときの南牧の地図!
文マークが7つあります。
小学校と中学校併設が3か所だったと思うので、小学校3つ中学校3つ分校4つ
計、学校が10校あったということです、たぶん。(馬坂分校も含めて)
今は小学校ひとつに中学校ひとつ。
言葉にならないけど不思議なもんです。
分校4つのうち3つは確認したのですが、桧沢分校だけまだ行ったことないので
また行ってみようと思います。
(いま敢えて「また行ってみようと思います」と書きましたが、このように「また」を使うのは
関西のほうだけみたいですね
初めてのことにも「また」を使うのは関西特有だと)
次!岩風呂、なんねん人が立ち入ってないのだろう。
南牧には巨大な岩が多いです。
そのすぐ横に家を建てて岩を壁として利用したということだと思いますが、なかなかないですよね?
見入ってしまいました。
次!履物系統
時間がとまっている、、、
最後!お蚕につかっていた、和紙!
ものすごく丈夫でびっくりしました!おそらく何十年前かとは思うのですが。
一方で、10年ほど前に置いたとみられるビニール袋がありました。
それは持とうとして触った瞬間にちぎれ、床にひらひら舞いました。
なんだか、、、うーん、うん
昔の日本の人は物を大切に長く使ったんだなあ・・・・・と実感させられました。
私もそうなりたいと思うけれど、一度大量生産大量消費に慣れてしまった身では
なかなか難しいです。
それでも、知恵だけでも覚えておきたいと思います。
ふう疲れた、笑
ではでは











