久しぶりにブログを記します。

今年はまだ一回も記せていませんでした…。

あけましておめでとうございます☀️(今更w)

 

年明け一週間くらいは問題なく神社巡りとライブ三昧で何も問題はなかったのですが、それ以降に腰痛 首痛 肩痛が酷く、ブログを記すことどころか座って占い待機をするのも(一時間以上座っていられない)なかなか辛い状況でした。

8割がた回復したのと、表題の件で久しぶりにブログを記して行こうと思います。

表題の件とは「建国記念日」です。

そもそも建国とか建国記念と言われて説明できる人は、日本人にどれだけいるでしょうか?

 

日本という国がどうやってできたのか。

日本という国ができて何年経つのか。

誰が日本を作ったのか。

どういう経緯でなりたった国なのか。

少しでも説明できる人は、おそらく一割もいないと思います。

 

これらを少しずつ紐解いていきましょう。

 

 

<日本国ができたのは何年前?>

日本ができたのは今年(西暦2023年)から遡ること2683年前になります。

この日本が出来てからの年数を、「皇紀○○○○年」と言ったり「紀元○○○○年」と言ったりします。

単純に、西暦に660を足した年数が日本が出来てから経っている年数です。

←橿原神宮に書かれる紀元2682年の字(2022年の写真)

 

つまり、世界的に使われている西暦、つまりキリスト生誕よりも660年長く存在しているのが日本なんです。

(厳密には、今で言う春〜夏で1年、秋〜冬で1年と計算していた時期が数百年ほどあったと言われているので、実年数はおそらく2000〜2200年程と言われています)

 

同じ民族(渡来人も含む)、同じ単一国家として、実はこの少なく見積もって2000年以上今でも続いているのは日本だけなんです。

 

ローマ帝国は今のイタリア人ではないし、そもそもローマ帝国は滅びている。

古代ギリシャもルーツはあっても今のギリシャとは直接関係はない。

インドやエジプトも、過去の王朝は滅び、国がそのまま滅びています。

 

よく中国4000年の歴史と言いますが、過去の唐や清と今の中華人民共和国は民族が違い、民族同士の争いで王朝が崩壊し、それの連続で国が変わり続けていきました。

今の中華人民共和国の漢民族は今までずっと弱く勝てない民族で、中華人民共和国は初めて漢民族が樹立した国で下が、ただし出来たのは1949年なのでまだ70年しか経っていないのです。

なので国としての連続性もなく、民族の一貫性もない国が4000年と言うのはおかしな話ですよね。

 

まあ中国の話は置いておいて、我が国日本は少なく見積もって2000年以上経っていながら、今でも存在し続けている唯一の国であり、それがギネス登録されているわけです。

正確じゃなくても良いので「2000年以上続いている」と覚えてください。

 

 

<誰が日本を作ったの?>

今の日本国を作った(国の設立を宣言した)のは、若御毛沼(ワカミケヌ)という人で、後に神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)と呼ばれ、さらに後には神武天皇(じんむてんのう・初代天皇)と呼ばれるようになる人によるものです。

image←中央の人物が神武天皇

 

神武天皇の父は鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)、さらにその父は彦火火出見尊(ヒコホホデミ、別名ホオリ・山幸彦)といい、さらにその父は邇邇芸尊(ニニギ)といい、さらにその父は天忍穗耳尊(アメノオシホミミ)、その生みの親が天照大御神(アマテラス)となります。

 

アマテラス、つまり皇大神宮(伊勢の神宮内宮)に祀られる神様を先祖に持つのが神武天皇で、その神武天皇から脈々と126代連なって続いてきたのが今の天皇陛下となるわけです。

天皇の称号は後世に付いたものとはなるものの、天皇の歴史がイコールで日本の歴史というのが正しい表現の仕方かもしれません。

 

日本を作ったのは神武天皇です。覚えておきましょう。

 

 

<日本がどうやって出来たのか?>

日本が出来たのは、神武天皇が今で言う宮崎県から徐々に徐々に戦って国を纏める時もあれば、話し合いで国を纏める時もありながら東に進んで行き(神武東征)、最終的に今の奈良県まで来たところで国の設立を宣言しました。

 

つまり、日本が出来たのは九州から奈良までを統一した段階で、国の樹立をしたんです。

つまり奈良から東の区域はまだ統一されきっていない段階ではありましたが、少なくとも2000年ほど前に「日本」と言う国ができたことには間違いがないわけです。

image←ヤマトタケル

 

その後、日本武尊(ヤマトタケル)らも含めて東日本が少しずつ統一されて行き、今の日本となって行ったのです。

 

その後一部 渡来人が日本に流入して来ましたが、その統一される前の東日本も、統一された西日本も、全て大和民族、つまり今 日本国に住む日本人が既にその頃から存在しており、先に触れた単一民族のまま今にも繋がっているので、同じ民族・同じ国のまま存在している唯一の国・世界一古い国であることの理由でもあります。

 

 

<日本建国の地はどこ?>

先にも触れた通り、建国の地は奈良県です。

奈良県は平城京で知られるように、都が京都に移るまでの間に奈良の各地に都が置かれてきました。

そして宮中祭祀の元となる祀り(まつり)ごとを行った謂れがある地が複数存在しています。

 

神武天皇が建国を宣言した地は奈良市にほど近い橿原市で、その橿原市には神武天皇の御陵(お墓)があります。

←畝傍山古墳(神武天皇御陵)

 

明治時代に入り、明治天皇を中心に、建国の地であり、建国の祖である神武天皇(と奥方の媛蹈韛五十鈴媛)を祀る神社の創建をする動きが起き、実際に神社が建てられます。

←橿原神宮

 

その神社は橿原神宮といい、建国記念日である2月13日には「紀元祭」という建国を祝い、建国の祖である神武天皇を顕彰し、日本のますますの繁栄を祈願する祭祀が行われます。

 

 

<紀元祭とは?>

紀元祭に限らず、神社の祭祀は大まかに、

・御饌を供え

・天皇による供物を供え

・勅使 神職参向の元

・神職が神様(橿原神宮の場合には神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛)を降ろし

・祝詞を読み上げ

・勅使 神職が参拝をし

・巫女の奉納舞

・神様にお戻り頂く

という流れで行われます。

←橿原神宮紀元祭の案内

 

この紀元祭の場合、祭祀催行にあたって勅使が遣わされます。

勅使というのは天皇陛下のお遣いの方で、天皇陛下の代理となる方です。

 

お遣いと言ってもパシリのようなものではなく、勅使が遣われる場では天皇陛下と同等の扱いをする形となっており、例えば神社に遣われる場合には、神社で一番格が高いのは宮司ですが、勅使と同席する場合には勅使が上手に座る、と言ったような形となります。

 

昨年の安倍晋三元内閣総理大臣の国葬儀でも存在を知られるようになりましたが、その際にも実際に参列されていた(天皇陛下の弟である)秋篠宮皇嗣殿下よりも先に勅使が献花をされ、先に退室されていました。

←紀元祭に参向する勅使の列

 

それだけ、勅使は天皇の名代であり、天皇と同等に扱われる存在であることの証左となります。

その勅使が遣われる紀元祭が橿原神宮の祭祀であり、それだけ重要な神社での重要な祭祀であるということがお分りいただけると思います。

image←橿原神宮 勅使館

 

ちなみに、勅使が遣わされる神社のことを勅祭社といい、勅祭社には勅使殿・勅使館という勅使が来られた際に遣われる建物が神社内に建てらています。

 

 

<紀元祭の日は祭日>

祭日と祝日の違いをご存知でしょうか。

現行の日本国憲法下では、祭日という日は存在しなくなりました。

 

祭日の名の通り、戦前までは宮中で天皇陛下による祭(祀りごと)を行う日だから祭日と呼んでいたのですが、GHQによる統制下では政教分離がなされ、(神道は本来宗教とはいえないのだが)宗教色と国家を切り離す意味で、天皇と国家を切り離す意味で、祭日から祝日と呼ばれるものに切り替わりました。

 

同じく祝う意味合いはあるでしょうが、祀りごと、つまり祭祀を行う日だから日本国中を休みにする意味合いだったものを、巧妙に消されてしまっているんですね。

image←橿原神宮 紀元祭の様子(奉納舞)

 

なので、呼び方すら変わってしまっており、例えば

・紀元節(きげんせつ)→建国記念の日
・春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)→春分の日
・昭和天皇の誕生日→昭和の日
・秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)→秋分の日
・明治節(めいじせつ)→文化の日
・新嘗祭(にいなめさい)→勤労感謝の日

となってしまっています。

紀元節や皇霊祭については元の意味が薄れ、それ以外に至っては全く意味がよくわからなくなってしまっています。

また、祝日に受け継がれずに廃止となってしまった祭日としては
・元始祭(げんしさい):1月3日
・新年宴会:1月5日
・神武天皇祭:4月3日
・神嘗祭(かんなめさい):10月17日

があったりもします。

 

日本の根幹であるいろんな祭日が、本来の意味が薄れ、意味がわからなくされ、宮中祭祀が行われていることを知らしめない意図があるのです。

日本を弱体させる意図があったのは明白でしょう。

image←橿原神宮 紀元祭の日の参道

 

なので、せっかくなので祝日を迎えるにあたっては、その祝日の本来の意味を知ってもらいたいですね。

そして、その祝日(祭日)があることが日本の成り立ち、日本の存在につながっていることも知ってほしいですね。

 

 

<各地の神社での紀元祭>

建国記念日には日本全国の多くの神社(全てではない)で紀元祭が行われます。

当日に勅使は橿原神宮のみ参向となりますが、橿原神宮とは時間の前後はありながらも午前中に紀元祭が各神社の神職によって執り行われます。

image←橿原神宮 鳥居

 

なので時間のある人は、出かける前にでも近くの紀元祭が行われる神社に参拝してみてください。

また紀元祭を行わない神社であっても、例えば同じく奈良県の春日大社は、橿原神宮の紀元祭の時間に合わせて遥拝(橿原神宮の方角に向かって遠くから拝む)する祭祀を執り行っています。

 

また、祭祀のある日ない日に限らず、日本の根幹に関わり、一番身近に存在するのが神社ですので、時折空いた時間や思いついた時に、どこでも良いので神社に訪れてみてください。

かなり時間が空いてしまいましたが久々の更新です。

10月頃からなかなか更新できない日が続いていましたが、気がついたら年末、もう大晦日です。

ですので、今回は今年の自分なりのまとめをしていきたいと思います。

 

<1月>

毎年恒例ですが、正月3が日及び1月は自身の中では初詣ツアーの月でして。

元日に一番最初に氏神さんに行くことから始まり、1月だけで恐らく20〜30社くらいの神社を巡るのが常です。

そんな神社巡りをしている中で、なかなか普通に神社巡りをしているだけではいけない神社にも行けるのが正月だったりもします。

そんな神社に行けたのも今年初めてでしたね。

 

その場所については正月明けにでもまた記したいと思います☀️

 

 

<2月>

2月は悲しい月でした。

ロシアによるウクライナ侵攻が起きたのが2月です。

12月になり、年も変わろうとしているのに、まだ終結に至っていません。

 

あまり適切な表現ではありませんが、自由な民主主義の国に住み、平和ボケをかまし続けてきた日本人の意識には多少なりとも影響を与えたのではないかとも思います。

しかし、いつまでもロシアにこんな一方的な状況を続けさせてもいけないわけで。

 

日本も他人事ではない、改めて日本の近隣国の影響による存立危機事態にもなりかねないことを、改めて知ってほしいと思います。

 

また、航空自衛隊のF15が行方不明になったのもこの月でした。

亡くなられた自衛艦の方には哀悼の誠を捧げます。

 

初めて建国記念日の日に橿原神宮にて紀元祭に参列したのも思い出です。

 

 

<3月>

3月は自身の誕生月なんですが、ほぼ毎年のように自分が子供の頃から行っている鈴鹿サーキットのイベントに、ラウンジ席で観戦するというブルジョア体験をしたのがこの月でした。

寒ければ室内にて観戦すれば良いし、お昼は豪勢なお弁当が出てくるし、飲み物はノンアルコール含めて飲み放題、駐車場は一番近くの場所に停められる、ピットレーン解放時には優先入場できると行った至れりつくせり🍱

そして今まで全く知らなかった鈴鹿サーキット内の神社にも連日参拝できたし、今年はあまり存在の知られていない神社に訪問できた年でもありましたね⛩

 

しかし月末には子供の頃には既に大ベテランで、日本のモータースポーツ界で大御所であった国さんこと高橋国光さんが亡くなったことが発表されました。

日本人としてルマン24時間耐久レースで初めてGT2クラス優勝をする快挙をなし得、誰からも愛される優しい人柄、50代でも国内トップカテゴリーで快走する姿は憧れでもありました。

(日本人3人組での優勝は史上初、この年の上位カテゴリーGT1では関谷正徳が日本人初優勝)

 

この1995年のルマン24時間は、見ていた自分が歓喜 感動した本当に良いレースでした。

感動をありがとうございました。

そして、国さん安らかに。

 

 

<4月>

この月が自分にとっての変化の月でもありました。

自分にはヴィジュアル系のライブに行くという趣味があったのですが、この4月までの約2年ほどは熱が冷め、

「一応ライブには行くけど…」ぐらいの感じであまり熱心ではありませんでした。

 

しかしこの4月以降(詳細は色々とややこしいので省きます)は本当に楽しくなってきて、以降今日に至るまで遠征しながらのライブ参戦が増え、せいぜい月に1回ライブに行けば良い程度だったのが、多い時は毎週東京に行くレベルになった月もあった程…w

今は月一東京遠征程度に抑えながらも、ライブ本数は過去二年どころか一番通っていた4年ほど前とは比較にならないほど増え、充実した日々を送っていますw

おかげで神社巡りが滞りがちになっていますが…。

 

 

<5月>

5月はライブに行きながら神社巡りをし、ひたすら自分の車のミッション修理をする日々でした。

バラしては部品が壊れ、組み替えては部品が壊れ、何度も中途挫折をしながら組んだ覚えがあります。(部品待ちを含め、結局6月まで続きましたがw)

しかし、バランス良く趣味をこなしていたという意味では平穏な月でしたね。

 

 

<6月>

というわけで、6月も5月同様にライブ 神社巡り ミッション修理の日々でした。

なので特筆する出来事もなく…。つまり平穏だった月ですね。

問題はこの後です。

 

 

<7月>

この月は一生忘れられない月となりました。

7月8日、大和西大寺駅にて安倍元総理が暗殺される悲劇が起きた日です。

 

今まで「いるのが当たり前」とか、「まあ何かあっても安倍ちゃんがいるしな」と思っていた中で起きた惨劇でした。

正直、この7月以降しばらくは現実を受け入れられない日々を過ごし、(後に記しますが国葬儀を終えてから)日に日に怒りと悲しみは徐々に弱まってはきましたが、それでも安倍晋三を失ったという事実を、どこかでまだ受け入れられない部分があるのも事実です。

思い出しては涙ぐみ、こんな世界情勢・国内情勢にある中で、一人の世界的に影響力を誇った宰相がいなくなった現実に対し、大変悲観的になっています。

 

現実、マスコミの良くわからない方向へ発展した報道や、緊急搬送された医師とドクターヘリの医師の発表と奈良県警の検死結果の齟齬、そして犯人のあの手製銃で本当に暗殺が可能だったのかという謎を誰も突っ込まないまま(一部のネットでしか話題にされない)のこの状況に、深く疑義を抱いています。

image

7月以降、おおよそ国葬儀を終えるまでの3ヶ月ほどの間、何かふとした瞬間に思い出しては涙していました。

それほど忘れられない、そして悲しい月だったのがこの2022年の7月でした。

 

 

<8月>

8月は盆休みに東京に行く用事(ライブ)があったため、靖国に参じ、昇殿参拝をしてきました。

終戦の日 前々日、かつ季節外れの台風の日で参拝者は少なく、非常にのんびり参拝できました。

しかし、遊就館の出口にこの掲示があり、また涙をしたのでした。

靖国にとって、靖国神社を本当に大事にしてきた政治家の一人だったので当然でしょう…。

 

この東京遠征に合わせて初めて埼玉の神社巡り(大宮氷川神社、埼玉護国神社など)をできたのも良かったです。

帰宅した翌日が終戦の日で、例年通り愛知県護国神社に参拝し、日本のために戦われた方々を慰霊顕彰する月となりました。

 

 

<9月>

9月は国葬儀の一般献花に行った月でした。

8月9月で何度も何度も東京に行ったのですが、この時は前日に仕事を終えて東京入りし、想像の斜め上をいく参列者の数に圧倒されながらも黙々と数時間歩いて献花をしました。

かなり暑い日で、ヒールを履いたことに後悔をしたくらい脚がズタボロ。

それでもいざ献花の番が回ってきたときにはやはり我慢できずに泣いてしまいました…。

 

ここではようやく、奈良では伝えられなかった感謝の気持ちを伝えられましたね。

国葬儀に合わせて夜にライブに行って帰ってきたので、もっとズタボロになったのも思い出です。

 

 

<10月>

10月はまたライブ行きながら神社巡り、空いた日にエンジンを組む、そんな日々でした。

ハロウィン仮装なんて数年ぶりにしましたねw

 

 

<11月>

金銭的に厳しい時期で(遠征しすぎ)、不要物の売却と、それに合わせて断捨離と整理、部屋の改装をし出したのがこの月です。

正直収集癖があるので、(他の人からしたら)不要なものを抱え込んでいると思われる環境なので、これを機に必要なものや価値のある物の中でも自分が生きている間は手離さないでおこう、という物以外は売却することを決意しました。

 

これが意外にバカにならない量で、清掃しては箱詰めして発送、清掃しては袋詰めしては保管、売れない物は処分、今はまだ売り切れていない物や出品すらしていない物が部屋にまだ多数ありますが、整理したおかげですぐに梱包できる状態にまでなりましたw

飾ってはいたものの埃を被っていた物を掃除し、埃が新たに被らないように整理、使っていないタンスまで解体して搬出したお陰で部屋がかなり広くなりましたw

といっても平日と土日の休みどちらかをこの断捨離 掃除 整理 不用品売却に充てていたので、ブログなんてとても書ける時間的余裕がなく、占い待機も滞るレベル…。

 

しかし自分としては、不要物を整理して処分すると、今までのあった物の代わりに新しいも物が舞い込むと信じているので、ここは徹底してやろうと決めて毎日毎日やり続けてました。

結果はまだわかりませんがw

 

物であろうが人であろうが、不要なものは手放すことも必要だと思っています。

 

 

<12月>

12月もライブ、それに合わせて東京の神社巡り、予定のない休みの日は断捨離と整理でほぼ終わりましたw

 

お陰で大掃除なんて必要ないレベルに。

東京に行く機会が多かったことから、准勅祭社であった東京10社巡りも年内に完了できたのが良かったですね。

 

東京の神社は、明るくて綺麗でカッチリした印象の神社が多いのも特徴。

大阪のゴチャっとした雰囲気や、名古屋の独特な社殿とはまた違う、江戸っ子な雰囲気を感じられる都会の神社といった印象で個人的には好きです⛩

 

12月は新たに通いたくなるバンドを発見したので、新たな出会いを得た月となりました🌸

カッコいい中性的な人、女型が似合う人ってホントに良いですね…☀️www

 

そんなわけで、年内最後のブログとなりそうです。

年明けには怒涛の初詣ツアーが始まります。

いい加減、おみくじの引き方なんかについても記したいところですが、また次回にでも。

 

それではよいお年を👋

今月は文化の日に続いて勤労感謝の日があります。

 

文化の日は本来「明治節」という明治天皇誕生日であり、という話を今月初頭にしましたね。

 

 

「勤労感謝」って言っても確かに働く人への感謝なんでしょうけど、本来は全く意味合いの違う祝日でした。

 

11月23日は宮中にて天皇陛下による五穀豊穣に感謝する祭祀が行われます。

それを「新嘗祭(にいなめさい)」と言い、Wikiには以下のように記されています。

 

新嘗祭は、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式である。

毎年11月23日に宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。

同日には全国の神社でも行われる。

 

←上皇陛下による大嘗祭の様子

 

新嘗祭には、天皇陛下がその年に採れた米を用いた蒸し米 粥 粟の御飯 粟の御粥 白酒黒酒、鮮魚で鯛 烏賊 鮑 鮭、干物の鯛 鰹 蒸鮑 鱈、果実では干柿 かち栗 生栗干 ナツメ、蛤の煮付け、海藻の煮付け等を神饌として供えます。

 

←伊勢神宮HPより神饌の例

 

つまり新嘗祭自体が五穀豊穣に感謝する宮中祭祀であり、天皇陛下が夕刻から2時間、夜中に2時間の2回行い、その事前祭祀を含めると昼から始まり、半日以上かけての祭祀となり、天皇による祭祀の中では長時間かつ最も重要な祭祀を執り行う日が11月23日であると言えます。

 

ちなみに写真の大嘗祭は、天皇即位後最初の新嘗祭のことを大嘗祭といい、初めて宮中祭祀の様子を公開したものです。

現在の上皇陛下は、長時間の新嘗祭が近づいてくると毎日のように長時間正座をし、練習というか訓練をなされていたと言います。

それだけハードな祭祀であることが伺えますし、それだけ祭祀を執り行うことへの体力的な心配があっての生前退位であったとも思えます。

 

であるからして、かつては「新嘗祭」という祭日として日本国の休日の日であったのですが、戦後のGHQの統治によって天皇による祭祀を国事行為と分離したり廃止する動きに合わせて新嘗祭は単なる宮中祭祀として扱われるに至ってしまいました。

 

そしてGHQ統治が終了しても新嘗祭としての祭日は復活に至りませんでしたが、よくわからない「勤労感謝の日」として11月23日が祝日となりました。

先ほどのWiki抜粋に記されている通り、全国の神社では「新嘗祭」の祭祀が行われています。

写真は橿原神宮での新嘗祭催行時の神職退場時の写真です。

 

その代表的なものが伊勢の神宮で、毎年天皇の勅使(ちょくし)が遣われ、勅使参内による新嘗祭が行われます。

 

勅使とは天皇陛下の代理で遣わされる人のことで、勅使が遣わされた場合にはその場にいるのが総理大臣であろうが、(神社の場合では)神職のトップである宮司であろうが関係なく、天皇陛下と同等に扱うこととされています。

 

なので先の安倍元総理の国葬儀では、勅使の方が岸田総理どころか秋篠宮殿下よりも先に献花をされていましたよね。

それだけ天皇陛下のお遣いが来られると言うのは非常に大きな意味があるのです。

その勅使が派遣される神社のことを勅祭社といい、全国でも数限られた神社しかありません。

 

新嘗祭の起源はいくつか言われていますが、一つは奈良県の等彌(とみ)神社で、この地で初代天皇である神武天皇が皇祖天神を祀ったのが最初と言われています。

 

また、日本書紀には、

乃ち丹生の川上の五百箇の真坂樹を抜取にして、諸神を祭日たまふ。此より始めて厳瓮の置物あり。

との記述があり、これが新嘗について記された初めての内容となります。

この記述の通り、その祭祀が行われた場所が奈良の丹生川上神社を指すとされてもいます。

 

しかし、宮中や伊勢の神宮にように新嘗祭の際に勅使が遣わされないそれ以外の全国の神社では、その神社にて神饌を供えて新嘗祭を執り行います。

(多くの神社は朝9時〜10時頃から祭祀を行いますので、若干早めとなりますが…)

 

伊勢の神宮でもなくとも近くの神社に訪れ、普段の五穀豊穣に感謝を伝えるために新嘗祭の祭祀に参列されてみてはどうでしょうか。

ただ中には熱田神宮のように10月に執り行う社もあるので要注意ですが👆

 

戦前までは新嘗祭が執り行われ、天皇陛下が新米を口にするまでは新米を食してはならないという考え方が一般的でした。

今では外食が多く意図的に新米を口にしないということはなかなか難しいですが、こういった機会に思いを馳せ、食べるものに困らないのが当たり前になった今の世の中に対して改めて感謝をするのも良いものだと思います。