〇〇してあげた、という言葉

 今日、ふと思ったことがあるんです。

 人の善意ってなんだろうって。

 私は哲学のような答えのない問いをお風呂場や洗面所でぼーっと考えるのが好きで、今日はそのことについて考えてました。

 

 例えば、友達の相談に乗るとき。友達からしたら普通に話をしたかっただけなのに、私は相談に乗ってあげたって気持ちになることがあるんです。〇〇してあげた、って凄く上からで傲慢な言葉だと反省するんですけど。

 あとはご年配の方やヘルプマークを付けた方に席を譲るとき。私もバイト終わりで疲れているけど譲ってあげた、みたいな。

 あまりにも見返りを求めるような考え方だと、それもまた反省するんですけど。

 

 一体、人の善意ってなんのためにあるんでしょう。

 見返りを求めた時点でそれって多分善意ではなくて、、。

 

 でも、見返りを求めずして人にやさしくできる人って世界にどれぐらいいるのかなって考えたりもします。

 

 人間、極限状態に追い込まれたときって、私あの時あなたに〇〇してあげたよね。だから代わりに〇〇してよ。みたいな気持ちになるんじゃないかな。それってやっぱりその時、善意としてした行動じゃなかったんだろうな、だって見返り求めてるし。

 

 とかいろいろ考えて、結局振り出しの善意とはの問いに戻っちゃって答えがでませんでした。

 こういう議論、いつか色んな人として、人それぞれの意見聞いてみたいな。

 

 

 そして今日の曲はFACTのslip of the lipです。

 すごくノリのいい曲に聞こえるけど、和訳みたらいい歌すぎてビックリしちゃって。嘘と偽り。それこそ人間の本質に迫るような歌でした。人である限り、どう抗っても悪い考えって消えないと思うけど、それでもいいのかも、だって私は人間だし、って思いました。