この間、同僚と一緒の時、カレと奥さんに会った。


「会社の人。」


そう言って紹介された。


笑顔で会釈して、奥さんの目を見た。


変わらずきれい。そして冷たい感じも相変わらず。


カレの奥さんは覚えているだろうか。五年前、私を睨みつけたことを・・・。


身振り手振りであれこれ会話をする。


何かを欺くように必死に。


奥さんを横にしたカレは、頭の上がらない50過ぎのただのおっさん。



知ってるよ。


分かってる。


私だって、17年間結婚生活を経験した。


「夫婦」って関係が、どんな関係なのかは分かってる。




私はカレにとっては、「物わかりのいい女」


だから、平気な顔して「会社の人」なんて紹介ができるんだよね。




カレにわがままなんて言わない。


ああしてほしい。こうしてほしい。ああしたい。こうしたい。


こんな関係なんだもん。言い出したらきりがない。


落ちるのは私だけ。


幾度となく落ちた気持ちを掬ってきたのは私自身の強さ。


「あんな気持ち」になりたくないから、深く、強く考えないようにしてきた。


だけど・・・。だけどね。


たまに、そんなカレが、そんな自分が許せなくなる。


何やってるんだって突っ込み入れたくなる。





私が傍にいることを通常だと、当たり前だと思われたくない。





どんな言葉をもらっても、どんなに熱く触れられても


それは通り過ぎていくだけのもの。


いつまで続ける? こんな関係。


2本の道は交差しても重なることはない。


知ってるって! 分かってるって!


重なることを望んでいるわけじゃないんだよ。




言い表しがたいこの気持ちは…。


そう、嫉妬。


奥さんの横にいるただのおっさんの姿が本当のカレ。


私の横にいるカレはかっこつけた偽物のカレ。

彼と別れようと考えています。


元だんなの病気のこともあるけれど…。


会えない時間は彼との距離を縮めることはできないみたい。


いつからか、「何を、誰と、どうしたい」ということに答えを見いだせずにいたけれど、私の「これから」に彼は、必要ない。

冷たい言い方だけど、そう思えばこそ、「別れ」という結論に達したのかも知れない。


彼にはもちろん、「情」はあるけれど、振り返って考えれば考えるほど、かみ合わなかったことばかり思い返してしまう。


二月に一週間考えて送った渾身のメールもかみ合わなかったし…。

きっと、私が今「別れよう」と言っても「いつまで?」って返ってくるような気がする。

そういう状況にも何だか疲れた。



春先、久しぶりに会った時…。

私は○○。彼は不機嫌だったけど、そんなことなくしても…!と考えていたのは私だけで、彼は私をそのためだけの女みたく扱った。

私の頭や耳を両手で押さえ、動かし、果てる。


終わった後、嫌悪感だけが残った。本当に嫌だった。

彼の性欲を満たすだけの道具だったのかと、今更ながらに思い知った。

もちろん、男女の付き合いはSEXなしでは語れない部分もあるのかも知れないけれど、それだけじゃ淋しすぎる…。

話を聞き合うこと、触れ合うこと、気遣い合うこと…。

私と彼に欠けていたものばかり。



十日後…。彼の誕生日。

彼とは五月四日以来、会ってないし、メールもしていない。

ここが、彼との関係にはっきりピリオドを打てる一日だと思う。

彼と過ごした六年半。

別れることに迷いがないと言えば…。悲しくないと言えば…。


嘘になる。


だけど、ここで、けじめをつけようと思う。今の私には、彼と「会う」ことの意味を見出せないでいるのだから。

カレは、今の私の現状をほぼ知ってる。元だんなの存在、そして「彼」の存在。


週末、仕事が割りと落ち着いたので、連休の話をしてた。

映画を観にいったこと、ゲームで景品をたくさん取ったこと。

そして‥「彼」に逢ったこと‥。


言った途端カレは一オクターブ高い声で驚いた。


カレには「彼」と別れたいという話もしていたし、相談にも乗ってくれてた。

だから、「逢った」という私の言葉にびっくりしたのかも知れない。


私にとって、カレの存在というのは‥

何か、すごい自分でも変だと思うんだけど、好きとか嫌いとか、必要だとかそうじゃないとか‥そんな言葉では括れない存在なんだよね‥。

好きなのか?と言われると、もちろんそうだけど‥

以前のように、せつな死にするような感じでもない。

敢えて、こうなんです!って言えないような関係。


カレは口癖のように言う。

「オレと咲季が同じ気持ちでいないと、俺達は成り立たない」って。

どんな気持ちなのか?って言われても言葉にはできない。


それが多分「同じ気持ち」なんだっていうことなのかも知れない‥な。



お昼になり、食堂でご飯を食べて、部屋に戻る。

私達は昼休みを話して過ごしたり、昼寝して過ごしたりしてる。時に近くでいちゃいちゃしてることもあるけれど・・笑。


でも、その日の昼休み‥

カレは私を寝かさなかった。

「どうしたの?」って言うくらいに抱きしめてキスしてきた。


唇から指から‥カレの気持ちが伝わってきたような気がした。


カレは私より全然大人だから、妬くような言葉も、好きだという言葉も、何一つ言わないし、聞いたこともない。

だけど、きっと態度には出してくれているんだろうなって思う...。



自分が年を重ねるごとに、ただ単純に好きだからという想いでは付き合えなくなってきたような気がする。

そこに、同じ時間を共有する「意味」を探してしまう。

私はカレといることで、話すことでプラスになってる。

カレにとって私もそういう存在であってくれれば...嬉しい。

昨日、一人になる時間が少しあったから‥

ダーさんが病気になってからは自粛していた彼と逢った。


本当は2月の中旬に

一週間悩んで、悩んで、私の今のダーさんとの関係や状況をすべて彼に告げた。

別れる決意をしたメールを送った。

返メは‥

「それでも構わない待ってるから」的な内容だった。


それから3月に2回。三十分と一時間。

4月に1回。五分。

そして先日、一時間くらい同じ時間を共有した。


それで‥思ったこと‥。


情はある。うん‥確かに。

だけど、もう私の中では2月に終わっているのかも知れない。


彼への「愛しさ」や「逢いたい」気持ちが薄れているのが、よく分かった。

触れたいって‥‥思わなかった‥。


友人は言う、

「あなたが彼と結婚しないと思ってる以上、いつかは終わりが来るんだよ。それが今なんじゃないの?」

って‥。


ほんとね、ほんとに。嫌いになったわけじゃない。

だけど、今はそれ以上にダーさんのことで私自身がいっぱいで、余裕がない。

余裕がなきゃ、つきあえないってどういうことよ‥。

本当に気持ちがあるのなら、そんな状況関係なく、付き合えるんじゃないの‥?

私の本心はどこにあるの‥。


はぁ~、またしても自問自答w

私…。生きてます・・・。
生きてました(゚∀゚ ;)

この半年間、状況や環境が目まぐるしく変わりすぎて...
身体が対応しきれない状態で、現在に至ってるて感じです。

半年前、四日間で大切な人を3人亡くしました。

お互いジャイアンツが好きで、よく野球の話をしていた会社の社長。
その二日後、小さい頃から可愛がってくれていた、ばぁちゃん。
その次の日、行方不明になっていたマイミクさんが亡くなっていたことをその方のマイミクさんより、メッセをいただき知りました。
私は、彼の葬儀が行われている時間に東の方を見て手を合わせました。何とか、生きていてくれるコトを願っていたんですけど‥。
一年半ぶりにやっと家へ‥奥様の元へ帰れた彼に心の中で「よかったね」と言いました‥。

その数日間はもう涙も出なくて、何が悲しくて、何が楽しいのかさえ、分からなくなっていました。

年が明けて‥
気分を変えて頑張ろうと思っていた矢先‥

離婚してから2年が経とうとしている今日この頃‥。
それでも元だんなとは連絡はしょっちゅう取ってました。もしかしたら夫婦でいる時より、今の関係の方が仲良しかも知れません。

元だんなは岡山で働いていました。
日勤に夜勤と一生懸命働いて、仕送りも毎月してくれていました。
そんな元だんなから変な時間に電話。その日は夜勤だと言っていたため「あれ‥今頃寝ているはずなのに‥?やな感じだな‥」と思いながら電話を取ると、
「頭の後ろに心臓があるみたいだ。汗が滝のように流れる‥。今から病院に行ってくるから‥‥。」とのこと。
電話の声からもただごとではないのが読み取れました。
嫌な予感は的中するものですね。
その数時間後、元だんなの携帯からの電話。電話の相手は看護婦さん。
搬送する救急車の中からの電話で、病名がくも膜下出血で今から大学病院に運ぶと‥‥。電話をもらった直後、岡山へ走りました。
今は他人なんだけど‥私に一番に電話をくれたこと‥。それがとても嬉しかった。紙の上だけでは語れない歴史が私と元だんなにはあるんだとつくづく実感しました。
長い道のりが私の焦る気持ち、緊張感を和らげてくれました。広島街道のあまりの長さにうんざりしつつも、広島の夜景にはとても癒されました。


川崎医大はドクターヘリのあるとても大きな病院で、暗闇に浮かぶ赤い「救命救急センター」の文字がやけに不気味に見えました。

着いてすぐICUにいる元だんなと再会しました。年末年始に会ったばかりなのに、こんな形でまた会うことになると思ってもみませんでした。
ベッドに横たわる元だんなの姿に、張り詰めていた糸が切れたように涙が溢れて止まりませんでした。

頭の中の血管の破れた箇所に、不思議なことに瘡蓋がかかった状態になっていて、出血が止まっている状態だということで、言葉もおぼつかないながらも話すこともでき、手術も翌日の午後から行われることになりました。手術は六時間かかりましたが、執刀してくれた先生からの「成功しました」の言葉にただただ有難く、感謝するばかりでした。
手術後の元だんなの顔は腫れぼったく、赤紫色に浮腫み、おでこの中心部から右耳の上までとても大きな傷がついていて、私の全然知らない顔をしていました。その顔は衝撃で未だ忘れることはできません‥。
翌日には意識も回復し、話せるようになっていました。
子供の学校や、仕事の為に、3日しか滞在することが出来ず、入院の準備を足早に済ませ、後ろ髪をひかれる思いで自宅へ帰ってきました。

その二十日後に退院するとの電話をもらい、今度は飛行機で岡山まで行き、帰りには元だんなの車を運転して九州へ。
まさかの一ヶ月二回岡山でした。

おかげさまで、経過は良好で何の後遺症もなく、お医者さんもビックリの早さで退院することができました。

が‥。
もう一つ、くも膜下出血の原因となる血溜があるため、地元の医大で再度、開頭手術をしなければなりません。
十人に一人か二人はこの血溜はあるみたいですが、大概の人はそれに気付かないまま生涯を全うする人もたくさんいるそうです。医者にもそれが破れるとか破れないとかの判断は難しく、いい切れないんだそうです。元だんなの場合、一度破れている為に処理をしていた方がいいだろうとのことで、また今回、手術をする運びとなりました。
爆弾を持っていると分かっていながら、破れるか破れないかと、一か八かの毎日は送りたくないもんね‥。

そんな闘病中の元だんなさんを今‥私面倒見ています。

きっとこんな状況は「変だ」って言われると思うし、言わなくたって思う人もいるかも知れない。
だけど、私は生死の境を彷徨った元だんなに冷たくすることは出来ませんでした。
多分、これからもそう‥。
私が未だ、元だんなと同じ姓を名乗っているのは、「またいつか」という気持ちがあったから‥。
離婚してからのこの数年。私が元だんなと完全に縁を切れなかったのは、この病気のせいだったのかなって‥そう思わずにはいられません。

元だんながくも膜下出血に倒れた二ヶ月後。ジャイアンツの木村コーチが同じ病に倒れました。
木村コーチは残念ながら命を落とされました‥。
私はとてもショックでした。木村コーチも好きでしたし、元だんなも、それ程の病気をしたんだと改めて実感したからです。

「人の命」というものを身をもって考えさせられた半年間でした。

まだまだ‥これから色んなものとの戦いは続くと思います。
けれど、私、頑張ります。
ゆる~く頑張ります(*^^)v
咲季さん、元気だけが取り得ですから♪
な~んだか、生真面目な日記になってしまいましたが‥。
みんな、色々あると思うけれど‥
健康第一です!元気があれば何でもできる!
まさにアントニオ命ですw