今年の夏至のそぎ落とし
春分からの流れとしては
無条件の愛を学びながら
自我のエゴをそぎ落としていくという流れ。
集大成はもしかしたら冬至なのかな。
ただ、生きる ということ
これまでは
<無意識に>目先だけを見て
「問題」に対して解決するために必死に動く。
いつもそうやって
<自我>は抵抗してきた。
たくさんの自我・エゴの崩壊により
この世界が無意味・無価値だと思える
ニヒリズムに陥る。
けれども今回は
この荒波に飲まれようと思った。
これは
自我が「抵抗」を「手放す」
ことを意味する。
「ただあるがまま」とは
目的意識をもたない生き方のこと。
無作為に生きること。
無条件の世界を生きること。
私=我をなくしていくこと。
今、内側の世界の崩壊と
目に映る世界の分離と
あらゆる手放しを体験して
無条件の世界で
生きていくことを促されている。
人生に意味はあるのか?
・・・という
普遍的な問いがある。
人生に意味を求め、
目的を探す・目的の中で生きることは
<条件付き>の「生きる」になる。
愛する人に尽くすのが
生き甲斐な人がいるとする。
その愛する人がいなくなったら
その人はきっと
生きる意味を見失ってしまう。
それは
<愛する人がいる>から私は生きられる。
<愛する人がいない世界で>私は生きる価値がない。
という<条件付きの世界>に生きているから。
自我は<目的>を手放したくないと思っている。
自我(私)が存在する<目的>を
失うわけにはいかないから。
自我を手放していき
<目的意識>で生きていく世界から
出ていくことは
無条件の世界で生きることであり
「ただ、生きる」ということである。
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