こんばんは。

この記事をいただきありがとうございます。

いままで普通の人間として生きていた私。

この日を境に難病と共に過ごしていく人生に

なりました。今の生活も書きたいことは

山ほどあるのですが、まずは自分を知って

もらうためにも過去のお話をつづります!

自分の血液の難病の関係で起きたのではと

思われる早期胎盤剥離。

早期胎盤剥離の症状はさまざまかもしれませんが

こういう一例もあるんだなと参考になれば。

深刻だったり過激な内容だったりもしますので

苦手な方はご遠慮ください。






私の難病発覚となったきっかけは出産です。

普通に普通に生きてきました。

そんな私にとって最高の幸せが訪れました!

それが子供を授かったことです。

もう毎日がハッピーでとにかく子の成長の

ことばかり気にして赤ちゃんの成長経過アプリ

と睨めっこしてました。

妊娠もとにかく順調で強いて言えば

食べづわりだったので体重が一気に4キロ

増える月もあったりで、地元の産婦人科の

先生に とにかく歩いてくださいね!

と言われましたので、毎日1.2キロを

歩いていました。

出産予定日のちょうど1ヶ月前、

母もその日は休みで一緒に歩こうと

誘い、いつもの散歩コースを歩いていました。

その日はやけにお腹が重だるいかんじで

なんていうんだろうな、、息がしずらいと

いうか、、、とにかく歩くのがしんどくて

引き返すにも距離があったので散歩コースを

休憩しながらまわりきることにしました。


歩いていたら反対側から大きなワンちゃんを

連れた女性の方に出会いました。

母も私も知っている方だったので

立ち止まり少しお話をしました。

ひらめき「もうすぐ出産予定日なの?ずいぶん

  赤ちゃんがおりてきてるみたいだし、、、

と言われ、まだ出産予定日よりも1ヶ月あった

のでおかしいなと思いながらも、いろんな話を

してさようならをしました。


家に帰ってからすぐ休み、夕ご飯も終え、

六花亭のお菓子を食べていました。

22時15分、急にお腹に激痛が、、、

生理痛2日目よりも強い痛み、

それと下痢のピーク時のようなお腹の

ぎゅるぎゅる感、、

すぐにトイレにかけこみ、

10分間隔くらいでこの痛みがきて

もうとにかくシャーシャーの便!

ついには吐き気まできたので母に伝え、

玄関のマットに倒れこみました。

母はこんなことになるとは思わずビールを

飲んでしまっていたので運転できず、

2階にいる兄へHELP!!!

母が呼んできたからね!と言ったものの

兄がこない、、、

ちょっとしてから母がまた兄の部屋へ。

兄は病院へ行ってくるときこえたらしく

部屋にいたと。

それからはすぐ降りてきてくれて

病院へ連絡!病院もすぐきてくれとのこと。

病院までの距離、約30分!

急いで向かっていて病院まで15分といった

ところで生あたたかい水のようなものが

股から垂れてきたのがわかった、、、

しかも止まらない!

病院に再度電話し、破水した!と連絡。

実家にいましたので旦那にも破水したと一報!

次の日は楽しみにしていた予定が

あったみたいで申し訳なかったが

1時間半かけて急いで向かうとのこと。

この日はまた冬の猛吹雪!

天候最悪で、事故しないかも心配でした、汗








病院についてすぐさま車椅子に乗ったとたん

滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗






羊水じゃない!全部、、、血!!!


靴もパジャマも全部血だらけ!!!

すぐさま子供と私の容態を確認!

大好きな先輩からもらった高級パジャマは

見事に真っ二つに切られました!

いつも検診で乗っている股を広げる機材にのり

お腹にベルトみたいなのを巻かれ

赤ちゃんの様子を見ているのはわかりました。

ただもう腹痛がピークで診察台の上で盛大に嘔吐!

たまたま大学病院の先生がいる日であり

あんぐり「まずは、母体優先です!」

と言われたのは記憶に。


その後も2回くらい嘔吐、、、

あんぐり「子供の心拍が弱っています!とにかくまずは

赤ちゃんを出しましょう!」

と言われました。

出血がひどいのと、寒い時期もあったのか

震えが止まらずもうとにかく寒すぎて

知らない間に体がブルブルと震えはじめ、

背中に麻酔をうちます!といわれ

この瞬間はドキッとなったのを覚えてます。

すると、研修医の方かな?その方が

手をぎゅっと握ってくださり、

その行動がとても嬉しく、麻酔は何も覚えて

いません。痛い記憶もない、、

そして帝王切開!超緊急ということで縦に

切られていました。

バルーン!などの会話は聞こえてきました。

するとあっという間に赤ちゃんが!

一瞬だけお尻が見えました!

小児科の先生に運ばれていきました。

泣き声も聞こえまずよかったと、、



今度は自分の出血が止まらない!!!

もう寒さと震えがピークにきていました。

ただこのとき、自分が非常にまずい状態なのは

わかりました。




絶対死んでたまるか!絶対死なない!

絶対生きる!



この時の頭の中はこの言葉たちがループして

いました。

自分にもいいきかせるように。


ドクターヘリが必要でしたが、猛吹雪のど深夜で

して救急車で運ばれました。

救急車に乗った後、出血多量で意識が朦朧として

救急救命士に「眠いです、、、」

といった記憶。すると

「こんなときに眠いんですかハッ!!!!

と強めに言われた後綺麗に意識が無くなりました。





よく言われる三途の川、、、




















まったく見えませんでしたよ!






目を開けたら

大学病院についていました。

ニヤリ「はい、もう大丈夫ですよ〜」

とタンカで運ばれてきた私に一言。

この一言は未だに忘れられないくらいの安心感を

味わいました。

どんなに危機的状況でも患者さんを不安に

させない。。。たくさんいろんな経験を

されてきているからこその一言に感じました。



そこから出血を止める手術に入りました。

カテーテルです。

昔は子宮全摘出していたようですが

医学が進み、2.3ミリの切り口をつくり

動脈?を辿って止血手術だったかな、、、

違っていたらごめんなさい。

既に出産後でお腹は訳のわからないような

痛みを味わいながらの手術でしと

最初この2.3ミリ切られたとき痛みを感じて

咄嗟に痛いです!と叫ぶ、

麻酔再度しますといわれ

手術室は心地よい音楽が流れて

先生方もリラックスしながら手術されていまして

苦しいながらも感心していました。

私の手術のときに曲は 糸 が流れてまして

それまではあんまり関心のない歌でしたが

たまに聴きたくなるようになりました。


みたことのない機械がお腹の辺を行き来して

いて医学はすごいなとまた感心しました。



なんと、輸血の量は7ℓ!

私の体の中には献血をしてくださった皆様の

血液が入っていましてそのお陰で生きています!

本当にありがとうございます!

献血に行く側だった人間が

まさか献血の方の血で助けられる人生に

なるとは!

日々感謝です泣き笑いびっくりマーク

ちなみに旦那はん、、猛吹雪の中

超特急できてくれてまさかの救急車より

早くついた事件。。、


まず無事でよかった!

先生から電話があり、

助かる確率は50パーセントと言われたそう。

母も同じことを言われたと。

そして父は携帯を近くに置いて寝る習慣がなく

爆睡していました、爆ガーン



病院にかけこんでくれた親族のみんな

私の顔を見た瞬間、白い壁と同じ色だった

と。あと30分遅れていたらダメだったと。

そしてたまたま手術できる先生が

会議で集まっていてくれたこと、

すべてすべてが奇跡!

本当に命って儚いし尊い!

生かしていただいている!

いまこうやってブログをかけることも

感謝しなきゃいけないし

この記事をみて、早期に剥離が発見できる

人が増えたらいいなぁ、

とにかくおかしいと思ったらすぐ病院に限る!



今日子供に強く怒ってしまったから

改めて生きてくれてうまれてきてくれて

ありがとうをこめて明日から接します。






ここまで読んでくださりありがとうございます。

続きはまた後日かきます!