春の光が痛々しく
やがて
憂いを帯びて
地上へと。
私は今日
夏を見ました。
体感いいえ、目視です。
太陽とその手前にある
空気の層たちが、たしかに生きとし生ける瞬間を感じます。
眩しいのは、光そのものではなく
強くあろうとするその肉体です。
私が止まったそのときでも
表情を変えずに
ただ、輪廻を送り続けている。
景色は変わってゆきます。
そのものが変わるのではなく、
変わった私たちの変わった目視。
目を閉じても開けても
パソコンの画面をみても
絵の具を溶かしても
見えるのは木漏れ日。
この世の天邪鬼は連鎖しています。