ソロという黒猫がうちに来て丸四年。


人生で二回捨てられた猫。
私が出会った2回目は、もう歯が3本しかなくて、多分高齢だ。

浅草の喫茶店のドアの前に座ってた。

この店からもらわれて、長いこと飼われてから戻されたらしい。

黙って戻されたから、理由はわからない。

もらわれた時に、その人のお母さんが黒猫を亡くして悲しんでいるから、という理由で選ばれたそうなので、そのお母さんが亡くなったのかな、という憶測。

兎角、妙に貫禄というか度胸ある猫で。

喫茶店のおばちゃんはすでに7匹飼ってるし、80超えてるからもう増やせないと言うので、もし誰も貰い手がいなかったら引き取ると伝えて、一ヶ月様子見。

何人か声がかかったらしいのだが、おばちゃんは何故か私を選んだのだ。




浅草で可愛がっていてくれた皆様が喫茶店に集まり、送別会。
猫の送別会なんて初めて聞いたし見たな。
しかし幸せな奴だ。

そのクロちゃんは我が家へ来て、ソロと言う名前になった。
スペイン語でブラックコーヒー。

しばらく泣き通したので、ある夜『浅草に帰るか?』と相談したところ、翌日からピタリと泣くのをやめたのだ。




少しずつ距離は近くなり、高熱を出す私の首に乗ってくれたり(ありがた迷惑)
ざらざらの舌で顔を舐めてくれる可愛い奴になっていったのだ。

あれから四年。



ソロの命はもう僅かだろう。
自らご飯を食べないのだから、仕方ない。

信頼している先生にお願いしたままにするか、連れて帰るか、、
きっと預けたままの方が1日でも長くは生きるのだろう。

でも、2度捨てられたこの子が、最後もまた捨てられたと思ってしまって終わるのは違う気がして。
自宅で終わりを迎えてもらうのは、飼い主のワガママなのかもしれない。
仕事に行っていて看取れないかもしれない。

でもおばちゃんが私とソロが一緒に生きることを選んだのだ。
だから最後まで私なり一緒にいよう。


ここ一ヶ月ほど。


心がわさわさする。

震災の時よりも暗いような、
終りが見えず、
それでいて何と闘っているかわからない、

そんな不安。

私の仕事はさほどの影響はないけれど。

むしろ、自家需要が増えているのかな。


こんな時だからこそ
珈琲の香りで不安な日常をリセットしてもらいたいものです。



私自身は
なんだか妙に性格が悪い。

もちろん元からなのだけど、
いま、ここ数年で最も状態が悪い気がする。

身近な人に引っ張られやすい性分、
身近な人が不安定だと、ふりまわされてしまうのだろう。

できるだけ避けていたいのだが、
今回は逃げられない。
いまさら、やっぱりやめた、は、できない。


信じてる日と
信じられない日

本当は自分次第。

強くならないとな。


無理矢理移転を決めて、あとから資金繰りや、店のコンセプト作りでワタワタ。

でも、この場所でやっていきたいんだ!、と心から思える店舗に出会ってしまったのだから、もう迷いはなくて。

決めたものの、やっぱり無理かな、と思う日もあった。
だっておかねがないのだもの。

焙煎機売るか、グラインダー売るか、エスプレッソマシン売るか、なんなら全部売るか、、、
真剣に悩んで。実際話もしてみた。
道具を売ると決めたらボロボロ泣けてきた。

でも、道具を売る前にやれることやってみろ、と言ってくれる人がいて。
クラウドファンディングを始めてみた。
正直、小さな珈琲屋が珈琲屋続けていきたいんだ、なんてワガママに誰が付き合ってくれる?って不安だった。
でももうダメ元で。
スタートして1日で10人以上が支援してくれた。
しかも少なくない額を。。
良い歳して涙腺緩みます。


珈琲屋、続けて良いんだな、世田谷代田に戻って良いんだな、って。
人の想いが暖かくて。

街の人に報告したら、おかえり!、って沢山の人が言ってくれた。
一年もやってなかったのに。

ビルのオーナーは、なんだか貴女とは縁がある気がするのよ、と、色々と条件を譲歩してでも私が店を始められる手伝いをしてくれた。

そして一緒に店を作る人は、私をよく見て、程よいサポートをしてくれている。

写真を撮ってもらって、なんとなく、その人の想いを知ることができたような気がした。
このままで、私が自然体で珈琲屋を続けていけるように考えてくれている。


そんな沢山の人の想い。
想いが重い。

冗談じゃなく、
その重さを忘れないように。

今だけじゃなく、過去から未来まで、関わって助けてくれた、いまいる人も、もういない人も、これから出会う人も。
自分ひとりじゃ、できても足りない。
そしてひとりじゃ楽しくない。

人として生きる以上は、人と関わって、少しでも沢山笑い合っていたい。

さて。珈琲を通じてこの先どれだけ笑えるか。

もうすぐ春。



数年ぶりのブログ。

読み返してみれば、よくもまぁ、
競馬のことばかり書いていたものだ。

でも所々に大切な記録。
祖母の旅だった日や、
当時の自分が感じたこと。

言葉を記しておくのは悪くない。


今年の2月に自分の店を持ち、
今年の10月に一度手放した。

理由はひとつではない。

得たものと、失ったもの。
どちらも多すぎる。
自分が生きてきた中で、最も濃い一年だった。
出会いも、別れも。

自分というものをどこまで出せるか。

それを目標に自身の店を実現していく中で
誰よりも受け容れてくれた人達。

小学生みたいな落書き自慢したり。

いつも、支えてくれていたふたり。

11月に移転してからも、
新しい店を私らしく創り上げるために
力や知恵を振り絞って助けてくれた。

たった9ヶ月。
されど9ヶ月。

生きてるな、と。
自分のために、自分らしく。

もう珈琲屋を辞めるという選択肢はない。

死ぬまで続ける。
どんな形でも、
どんな所へ行っても。