今思い返せば・・・「眠り病?」 | 息子がアルコール依存症になった日・・・母の記録

息子がアルコール依存症になった日・・・母の記録

息子が重度のアルコール依存症になり、相談した元夫(父親)も程度は違えどアルコール依存症とわかり私の苦しみは何倍にもなった。

「ん?人が変わった?」

と思ったのは6年前に赴任先の福岡から3年勤務の末に帰ってきた時でした。

福岡は上司や同僚酒豪が多く、3次会4次会あたりまえみたいなことも言っていました。

 

・なんかいつも不機嫌。

 

・下腹がポッコリ出てメタボ体系に。

 

・福岡に行く前は、2階のウォークインクローゼットのある部屋を寝室にしていかが、

戻ってきた時には1階のリビングにベッドを置き、1階の和室に洋服を置き、

すべて1階だけで生活できるようにしていた。

 

・それからは、休日は見ると寝ている。

「君の名は。」のDVDがつけっぱなしで最後まで観終わっていたことがない。

 

【寝てばかりいる】【眠り病】で調べて、

「あんた会社で寝てない?」と聞くと大丈夫だと言うので、

会社には遅刻もせずに行っているようなので

「眠れてるのはストレスのない証拠だね」と、まあ、なんでもそつなくやる子だし

対人関係も昔から良かったし・・・と良しとしてしまいました。

 

【寝てばかりいる】で調べても【アルコール依存症】はヒットしなかったのです。

・雷がすぐ近くに落ちて爆音でも気づかない。

 

 ・弟と三人で1日ウォーキング、ショッピングと銭湯という約束の日、

約束の時間に起きてこず、やっと起きるもずっと不機嫌でとろとろ歩く。

歩きながら「あんた趣味とかないの?」とか、「自宅に帰ってきたんだからインテリア

に凝るとかとか庭仕事とかしたら」とか話します。

もうこの頃からお酒を飲むことが一番になっていたのでしょう。

 

・中学時代からの友達3人はみんな社会人になってからも麻雀仲間です。

ある日、隣の私の家に彼らが訪ねてきました。

「優一君が約束の時間に来ない」と・・・携帯も出なかったようです。

呼びに行くと寝ていました。

友達は「優一、具合が悪いんだったらいいよ」と

長男のドタキャンを優しく許してくれました。

長男は「猛省した!」といいました。

今、その友達との連絡はしていないと思います。3人の友達は皆結婚してお子さんもいます。あの時のドタキャンで疎遠になったのかはわかりません。

長男がこんな状態になったとは知っているのか知らないのか・・・

あの頃と違うのは、今はドタキャンはしょっちゅうで、

猛省どころかあやまりもしなくなりました。

 

・部屋ですごしているのに考えられない謎のケガをしていることが数回ありました。

 

・「自分は飲めるから(と少し自慢気に言う事が増えた)」

 

・ガスコンロをつけたままウトウトでこがす。2~3回

 

・数年前までは多少の自炊はしていたのに2019~2020の年末年始は全くやらなくなっていた。

 

・一番近くのコンビニがなくなったこともあって、とにかく近くのコンビニの場所にこだわる。(お酒を買いに行くため)

 

 ・長期の連休や正月帰省は「休日関係ない部署なんだ」と言ってそそくさと帰ってしまう。(今思えば、2~3日が限界だったのだと思う。一人暮らしの部屋に戻って一人飲みをしたいと言う欲求を抑えるのが

 

ちょっとおかしいと思ったこと、思いつくまま書きました。

アルコール依存症だということを気づいてやれただろうか?

 

気づいてやることは・・・難しかったと思います。

 

お酒に強いのはわかっていました。私も一緒に飲むことも多かったですし、

いつも楽しく飲んでいましたので酒癖が悪いと言うことなど全くありませんでした。

福岡から帰って来てからの自宅暮らしで、私は多少管理を始めました。

肝臓の数値的な事はわからなかったので、まずはポッコリ出たお腹を何とかしようと

2階の空いている部屋に○○ザップを作りました。

ウォーキングマシーンやトランポリン、フラフープなどを置いて、

土日の夜のストレッチタイムからの体重測定。

減らなければ罰金で、本家の○○ザップに行くお金を貯めると言う企画です。

 

自宅に住んで私が多少食事運動の管理していた時は、会社に残ってる数値データが

良かったと聞きました。

戻れなくなるくらいまでアルコール依存症が悪化する前に、

こういうあたりまえな健康管理で保てるものだったんだなと・・・

元々は生活習慣病なんだなと・・・

もしも、転勤のない仕事だったらとか、お嫁さんがいたらとか考えてしまいました。

 

この自宅での生活3年後に神戸に転勤が決まり、

 

2年間の一人暮らしの末、重度のアルコール依存症発症となります。