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前回の記事の続き
もう9年前?の話かなぁ
長男が希望する高校のオープンキャンパスに行った時の事
学校の横には大きな川があり
その川の向こう側にある駐車場に車を置いてありました
オープンキャンパスが終わり、息子と2人高校を出て駐車場へ
息子の手には体験授業で描いた丸く筒状にしたデッサン
橋を2/3程渡ったところで海から吹く風が息子の手からデッサンを奪い橋の下へと落とした
「あっ」
橋の上から川を覗くと、丁度岸になっている部分に落下していた
「どうする?欲しい?取りに行く?」
と息子に訊ねると
「うん」
どこか降りられる所は無いかと探すと
橋の袂の薮に獣道のようなものが見える
背丈より高い草木に覆われ、果たしてデッサンが着地したあの部分にたどり着けるかどうかも分からない
でも、うん
息子が大切だと思っているデッサンだ
行ける所まで行ってみよう
草をかけ分け降りていく
すると橋の真下の部分が開けている
え?
誰かいる
突然現れたそこは
村?
粗末な家が並び、人が火を炊いて何か焼いている
戦中戦後を描いた映画などで見るバラック小屋そのものだ
ドクン
心臓が跳ね上がった
自然と足の運びが早くなり
視線を正面に固定し、そこに居る人と目が合わないように急いだ
あった!
急いでデッサンを拾い上げ、来た道を戻る
走り出したい気持ちを抑え
足早に獣道を抜けた
「怖かった…」
息子が呟いた
後日橋の近くに住む友人にその話をしたが
橋の下にそんな村がある事は知らなかったと驚いていた
大きな川なので、大雨で増水すれば流されてしまうような場所だと思う
恐怖で直視出来なかった為、記憶も定かでは無いが
街で見かけるホームレスのダンボールハウスなどとは明らかに違っていた
二度と見ることの無い風景
再び足を踏み入れる事は間違いなく無い
なんつってーw
2年振りに更新したかと思えばどうでもいい話www
あ、実話ですよ
本当に怖かったです
無事で良かった
ちょっと更年期障害でやられてましてね
人付き合いが億劫になって、
それだけじゃなく、色んなことが億劫で引きこもってました
他のブログも少しずつ再開したので
またたまには書こうと思います
皆さんお元気でしたか〜?
異常気象なんて耳慣れない言葉が飛び交った夏
27年前の夏は狂った様な暑さだった
オーストリアに日本のホテルがオープン
そのセレモニーの為にヨーロッパに向かった
まあそのまま帰るにはあまりに遠い道のりだったので
帰りはイタリア経由でフランスに向かい帰国するコースにした
ミラノで買い物を楽しみ、モンテカルロ観光
ニースで牡蠣を食べるのを楽しみにしていた
ところが、地中海にあるまじき湿度で絡みつく様な暑さ
ココ本当にコートダジュール???
こんなところで食中毒なんぞになったら洒落ならんって事で牡蠣もムール貝も断念
移動したコースがいいのでイタリアンから南仏プロバンス料理とどこで何を食べても美味しかったのは幸い
ただ、快適なはずの旅は始終異常な暑さで否応なく体力が削られた
当時のヨーロッパのホテルなんてシャワーも空調もお粗末ですからね
最後はパリ
立ち寄った程度も含めて3度目のパリ?多分
同行したメンバーにパリが初めてな人がいたので
タクシーで足速に観光
夜はセーヌ川でディナークルーズ
↑ 丁度先日写真を整理したばかりだったのでw
多分だけど、ディナークルーズの後かな
ベロンベロンに酔ってますwww
どこ行っても酔ってます
大概和服を持っていくので、日本の恥をまき散らしていますwww
26才とは思えない貫禄wどっかのクラブのママみたいですね
因みに・・・横に映ってる人ね
当時高校生、翌年大学進学して猛アプローチされて付き合い始めました(笑)
この夜何があったんだかwww
そして帰国
帰国した日本もやっぱり異常な暑さ
家族でエジプトに行く計画を立てていたが
エジプトの情勢が悪く渡航禁止となり断念
オーストリアに一緒に行ったディスプレイデザイナーの友人から誘われて、スペインに行くことになった
サクラダファミリアを見たいって言うのよ
まあ、私は興味なかったが本番のフラメンコ💃に凄く興味があったので快諾
その手配をしようとしていたら
母が倒れた
ヨーロッパから戻って僅か数日後の事だった
母はクモ膜下出血で、救急搬送された時には既にダメな状態
2週間脳死の状態で私に時間をくれ、そして逝ってしまいました
まだまだ続く激動の半年
母が逝った後は、父の問題となった
母に逢いたいと毎夜呑んでは泣く日々
ただ父は仕事人間だったので、そんな毎日でも朝になれば仕事に行く
とてもではないが、私が家を離れられる状態では無かった
私自身も母を亡くした心の穴を酒で埋める日々
スペイン行きもキャンセル
あちこち飛び回っていた仕事も辞めた
母の供養とお墓を建てる準備
他には何も手につかないでいた
季節は変わり冬
母を亡くして4ヶ月
静かに年を越して17日
毎朝7時に父は仕事に出掛ける
その日の朝も父のお弁当を作り、朝食の準備をしながらテレビから聞こえてくるニュースに耳を傾けていた
神戸で地震
「お年寄りがタンスの下敷きですって」
そんな一言を父に言ったのを覚えている
高速道路が崩れて倒れている映像が流れていたが、朝7時前の報道ではまだまだ静かな感じだった
「大きな地震みたいだけど、それほど被害は無いみたいねえ」
と、父を送り出し
片付けをしながらチラチラとニュースを見ていた
やがて手を止めてテレビの前から動けなくなるまでにそれほど時間は掛からなかった
この辺りの記憶が一つのパッケージとなって私の中にある
私は阪神淡路大震災で被災した訳ではないけど
このパッケージに含まれている為、非常に色濃く記憶に残っているのよね
あの時26才
あの頃背負っていた人生と同じだけの時間がたったんだ
現在21歳の長男が高校進学って時に、行きたかった高校のオープンキャンパスに参加したの
遠州灘まで700mくらいかなあ
高校のすぐ横には川
帰り道で長男がポツンと言った
「ここって、地震来たら一発だよね」
絵を描くにはその高校がベストの選択だと思われたが、その一言で却下された
実は、この話にも大きなネタがあるんだけど
どうする?
長くなるし、コメントでリクエストが多ければ後から付け足しますわwww
で、話戻すね
思うんだけどね
そういった災害が予想される環境におられる方々はどう思ってるんだろう
子供の頃から東海地震が騒がれていますが、その規模だとどこ行っても同じでしょ?
どこ行ってもその規模の地震は予測されてる
でも、津波とかの範囲ってもっと小さい訳で
引っ越すとかの選択はないのでしょうか
東日本大震災の時の痛ましい災害
あの津波の規模は予測されていたのでしょうか
近年の台風被害もそうですが、備えというのはどこまでなのでしょうか
家の裏が山で、大雨が降ったら崩れてきそうな所
で、案の定大雨で土砂崩れとか・・・
キリが無いのは分かりますが
人それぞれ、そのキリのラインがどこに引かれるかが大きな別れ道になるのでしょうか







