津森神宮【熊本県上益城郡益城町】 | 酒と神社とテクノと私

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呑んだ日本酒、参拝した神社、テクノをはじめとする様々な気になった音楽の紹介です。
なかなか県外へ出られないので、熊本県外の神社への参拝へ行けません。

先日、記事を載せた白山姫神社から6kmほど熊本市内寄りに鎮座する津森神宮です。

 

 

540年に神武天皇の神霊神勅により国司の藤原法昌が創建。

この辺りは海の津でしたが、神武天皇の霊体が現れるとたちまち森になり、「津森」と呼ばれるようになり名前の由来となったようです。

創建時は現在地より南東の丘の上に本宮があり、「影向石(碑伝)」(ようごうせき)と言う史跡となっています。

1247年に源頼嗣が現在地に遷宮。

 

三段の階段を上がり鳥居をくぐります。

 

目の前には立派な楼門があります。

楼門は明治14年に建立され、神仏習合の建築様式で県内一の大きさを誇ります。

二階には梵鐘を吊り下げるようになっているようです。

五段の階段を上がり楼門を通ります。

楼門内にも左右から祭神をお守りする白い狛犬がいます。

楼門を抜け七段の階段を上がると拝殿です。

拝殿に至るまでの三, 五, 七段の階段は七五三段の石段と呼ばれており、この階段を上る子供達は健康にすくすく育つとされています。(写真は楼門前の五段)

 

 

主祭神:神武天皇

祭神:~第29代欽明天皇

拝殿には絵馬が何枚も飾られており、正面のものは武運長久を祈願したものとのこと。

 

拝殿に参拝後は、「三社詣り」として拝殿から右回りの順路で東末社, 西末社に参拝します。

拝殿右の東末社には以下の三柱がお祀りされています。

御祭神:天照皇大神, 倉稲魂命, 十一面観音

十一面観音は、江戸時代までの神仏習合の名残で同じ社に合祀しているとのことです。

 

東末社の隣には神輿殿があり、立派な神輿が収納されていました。

本殿裏には平成29年に祠が寄贈された水神さん(祭神:弥都波能売神)があり、古くより祭祀に使用されている水が湧いているとのことです。

また本殿の裏には9万年前の阿蘇山噴火の火砕流の層に掘った、太平洋戦争中の空襲から御神体を守るための神様の避難所(防空壕)があります。

拝殿左には西末社があり、以下の鎮魂八神がお祀りされています。

御祭神:高産日神, 神産日神, 魂留産霊神, 生産霊神, 足産霊神, 大宮賣神, 事代主神, 御膳神

社務所の前には樹齢500年の銀杏の木があり、夜泣貝という小さな貝が住んでおり、この貝を赤ちゃんの枕の下に置くと夜泣きしなくなるという言い伝えがあるようです。

 

 

最後になりましたが、津森神宮の鎮座地名を見てお気付きの方もいらっしゃると思いますが、熊本地震で2度に渡り震度7の揺れに襲われ被害が最も大きかった「益城町」に鎮座します。

津森神宮でも、楼門が土台からずれてねじれたり、手水舎が崩壊するなど様々な被害が出たようです。

お賽銭箱へ再建のための寄付をできるようになっていましたので、わずかですが寄付させていただきました。

↑「寄付された方はお持ち下さい」と置いてありましたので戴いて来ました。

レアな?ノベルティです。

 

 

御朱印は書き置き(¥300)と宮司さんがいらっしゃる場合には手書きの御朱印(¥500)もいただけます。

先日、参拝した際には宮司さんがいらっしゃったので手書きの御朱印をいただきましたが、デザインは書き置きと一緒です。

本宮へも参拝しましたので、それに関しては次回。

 

 

 

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