美味しくて楽しい酒―熟成古酒　１９８

Ⅱ　古文献に見る熟成古酒

③　旧事諮問禄（きゅうじしもんろく）

旧事諮問禄は、明治政府が江戸時代の記録を残すため、明治二十四年から幕府に仕えていた人たちの証言として、江戸幕府の制度がどうなっていたのかを聞き出した記録で、将軍の日常生活から大奥、勘定所、評定所などに関する証言などが記録されています。

１２代将軍家慶が好んだ真っ赤な酒

その中で、１２代将軍家慶に仕えた奥女中の佐々木鎮子は

「慎徳院（家慶）様はお酒盛のとき私どもへ、甘いのがよいか辛いのがよいかと仰いますので、甘いのと申し上げるとご機嫌が悪うございますから、辛いのと申し上げますと、お燗鍋で、お手ずからお注ぎ下さるのでございますが、それが大きなお吸物椀の蓋（ふた）などでお受けするのでございますから、ザァッと強くお注ぎ遊ばすと、モウあなた、袂の中までも流れ込むのでございます。それが又大層お慰みになるのでございました。・・・・」と、将軍の酒癖が余りよくなかった様子に加え、将軍が飲んだ酒は「御膳酒と申して、真っ赤な御酒でございます。嫌な匂いがいたしましてﾈ。あれは幾年も経った御酒でございましょう。」と語っています。

彼女の話から、将軍家慶は数年間熟成をさせた、真っ赤で香に癖のある酒をお燗して飲んでいたことが分かります。

嫌な匂いという表現が気にかかりますが、厚化粧の香りの中にいる奥女中たちには、何年間も熟成をさせた酒の独特の香を、嫌な匂いと感じたのでしょうが、なんといっても、美味しいものは何でも食べたり、飲んだりすることができる、最高権力者の将軍家慶が好んで飲んでいた酒です。

奥女中たちはともかく、将軍にとっては好ましい香で、きっと、味も満足できるものであったのに違いありません。

なお、この当時の灘酒の仕込み配合は

麹歩合　：２３，３％　　汲み水歩合　：１２０％

※　麹歩合（％）は麹米の重量/仕込みに使用する白米の総重量×１００

　　汲水歩合（％）は仕込みに使用する水の重量/白米の総重量×１００

　「日本の酒５００年｝　加藤百一著　技報堂出版

と現在の仕込み方法と大差はありませんが、精米歩合は８０～９０％程度と推定されることから、数年間も熟成させると真っ赤になり、熟成香もかなり強いものであったと考えられますが、決して不愉快な香りではなかったはずです。

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