もう随分むかし、前職の時分のお話です。

 ある日、勤務中に父から電話がありました。

家業の現金がいくらか無くなっている、お前を疑う訳ではないが、一応、訊かねばならぬので訊くが下手人はお前のはずがない、間違いはないか、そういう趣旨でした。

 この尋問はきっと形式上の儀式で仕方のないことだと自分に言い聞かせ、自分の記憶に犯行の有無を確かめたうえ、いいえ自分は盗んでないと回答しました。

 就業後、夕方に帰宅すると、まだ警察署に通報していない様子です。

きくところによると被害発覚から既に2日間が経過しています。内心、その空白の数日はなにごとであるかと思いましたが、それは捜査機関も同様の疑念を抱いたようです。

 当時、自分の財布をリビングにおいていましたので、念のため財布を覗いてみたところ、あるはずの1万円札が全て無く、あるのは千円札と小銭、カード類、宝くじなどです。

 自分の現金も盗まれているとは思いもよらず速やかに通報するよう父に申し出ました。

10分もしないうちに刑事課と鑑識担当の警察官が5から10名とパトカー数台が赤いランプを回転させながら甚だ物々しい雰囲気で事務所に到着しました。

警察官はまず室内の状況保全のため、家族全員を屋外に退出するよう指示しました。屋外で事情聴取をするようです。

金銭紛失の発覚の日時や金銭の種類、金額、施錠の状況及び通報が遅れた理由などを尋ねられました。

 通報が遅れた理由についての父の申し開きは、室内が荒らされた形跡がなく、金銭紛失につき本人達の勘違いの可能性があることから、内部調査のため通報に至るまで数日を要したとのことです。

 また、被害にあったものは専ら事業用の金銭のみで、そのほかのクレジットカードを始め、PCや貴金属等の被害はありませんでした。

警察官いわく、動産を盗んだとしても転売する必要があり、クレジットカードも電子上の手続きをしなければ現金化が不可能なので、窃盗犯は手慣れれば手慣れるほど、後日、捜査が及ぶことを避けるため足がつかないよう現金しか盗まないこと、被害者においての発覚を遅らせるためにプロであるほど犯行現場は荒らさないことを説明されました。

一通りの事情聴取が済むと、室内に入るよう指示されました。

室内に入って見ますとドラマでよく見かける様子です。鑑識らしき警察官が指紋採取のため白い綿のようなものでポンポンとやったり、写真を撮ったりしています。

そして我々は家族全員の両手すべての指及び掌の側面の指紋と、全ての靴型を提供しました。

次に、私が、財布を刑事に見せて1万円札のみ無いことを伝え、宝くじは盗まれていないことを伝えると、雑談のような恰好で、ギャンブルをするか否か質問されました。そのことを質問されたのは私だけです。

ドラマで刑事にアリバイ等を尋問される者が、自分を疑っているのかと立腹するシーンが想起され、被疑者扱いされる気分は、なるほどこういう塩梅かと不謹慎ながら少なからず体験できました。

すると、財布を指さしカメラを見て動かないよう指示されて写真を撮られました。

 結局、家族以外の指紋も足跡も出ませんでしたが犯人の進入経路が判明しました。

毎晩、就寝前には、家中の扉及び窓の施錠をしていたはずですが、その日は一か所のみ1階の窓の施錠を忘れていました。家族で一番就寝が遅いのは私です。その日は深夜3時に1階のリビングから2階の寝室に上がり、朝6時に父が起床後に降りてくるまで1階は無人でした。

 つまり、犯行時刻は3時から6時の間です。犯人は定期的に深夜に未施錠の家がないか巡回しており、その巡回コース上の未施錠の坂崎家の窓を発見し、足跡がつかないよう靴を脱いで1階から侵入し、事務所に置き忘れられていた現金を奪って去っていったようでした。

その際、進入口から事務所への道中に置かれていた私のカバンから財布をみつけて財布ごとではなく1万円札のみ盗っています。

ピッキング等で開錠する時間が不要なので犯行時間は5分もありません。しかし、急に家人と出くわすとお互いに危険なので、窃盗犯は家族構成や、家族全員の生活パターンを事前に調査済みとのことでした。

 ですので、被害者がいつまでも被害に気づかない場合は、発覚されない程度の頻度で少額の現金だけ盗み続ける者もいるようです。

 3時間ほどして捜査は終了しました。事業用の現金はおそらく対象外だが、私が盗まれた現金は個人用なので建物保険の適用があることを教示され、後日、警察署発行の書類を加入している損害保険事業者に提出し、私の被害額のみは補填されましたが犯人は未だに逮捕されていません。

 翌日、注意喚起のため職場の同僚に以上のことを話すと、自分のうちにも泥棒が入ったとか、近所のうちにも被害があったとか同様の事件がたくさん出てきます。そんなに頻度が多いものなのかと、ある同僚はおののいていました。

 家族では既に気をつけているのは私のみであることからも推定されるように、防犯意識はつい薄れがちです。

知人ですが、習慣がないせいか家にも自動車にも施錠をしません。その近所で実際に自動車が盗まれたのにも関わらず、安くない車なのに頑なに未施錠を貫いています。コソ泥ならまだしも、強盗犯にでも遭遇すれば命に関わると説得してものれんに腕押しです。

万が一のために、大切な家族や家財を守るため、防犯や防災については平常から意識しておきたいものです。