お兄ちゃんだから・・・を考える | さかたのみかん

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みかん農家として独立したので、タイトルを変えました。
家業は相変わらず、肥料屋です。

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最近の息子は兄弟が欲しいようです。

私達夫婦ももちろんその気はあるんですが、仕事との兼ね合いを考えるとなかなか。

やっぱり日本は主婦が働きにくい状況だと言うことを実感しています。

そんな息子ですが、昨日「兄弟ができたら、大好きしてくれんちゃろ?」と言ってきました。

なんでそんなこと思ったのか聞いてみたら、「兄弟は小さいから、カズキにばかり大好きしてたら可哀想」という答え。

まだ妊娠もしてない段階からすでにお兄ちゃんの意識があるようです。

おそらく、保育園で年長であるために、年中さんなどとの交流などから、そんな意識が生まれるんでしょうね。

うちは、長男と長女の夫婦ですので、「お兄ちゃんだから」という言葉は使わないようにしようと、どちらともなく共通した認識です。

妻は「お姉ちゃんだから」と言われてきたことを本当に嫌だったとはっきりと言います。

先日、父との雑談の仲でこの話をすると、「自分が人数の多い兄弟の仲の末っ子だったために、嫌な思いもいろいろしたから、うちはお兄ちゃんだからとは言わなかった」と返ってきました。

「え!?」

私の認識とは全く違います。

私の認識は妻と同じです。

しかし、妻ほどの拒否反応はなかったと自覚しています。

それにしても、親と子ではこうも認識の違いがあるのかと中々興味深いです。

現在の我が息子の姿を鑑みると、上の兄弟は否が応でも兄貴としての自覚が生まれるものなんでしょう。

仮に親が「お兄ちゃんだから」、「お姉ちゃんだから」という言葉を使わなくても、その瞬間の親の状況を子供なりに判断して、兄や姉は「らしい」行動を取るんでしょうね。

それだけでも、無言のうちに「お兄ちゃんだから」という認識をしているのでしょう。

私と親との認識の違いは、そんなところに起因してるのではと思いました。

兄や姉であることは本人が一番自覚しているし、兄弟のためにという認識もあるが、如何せん自分もまだ親からの直接的な愛情を受けたい年齢。

そんな現実と理想の間を行き来してるのかもしれませんね。

そんな状況で親から、「お兄ちゃんだから」攻勢を受けると、「わかってるよ!!」という思いが込み上げるのでしょうね。