

サムネイルの写真は、宮崎県、狭野神社、御祭神は神武天皇の写真です。
その末社に水神社と山神社があり、そこに、大年神、
神武天皇の舅が祭られています。
挨拶に行ってきました。
前回の2023年4月の投稿からだいぶ時間が空いてしまいましたが、ブログを読んでくださる方がいらっしゃり大変励みになっています。
今月、大神神社と石上神宮に行くことになりました。



両方とも初めて参拝します。
饒速日命にお会いします。
参拝したとき、
『お前、間違ったことブログに書いてるぞ』
と言われるかもしれません。
そこで、もう一度、日本古代史をしっかり、というか納得してから行かないとなぁと思っています。
ということで、前回のスピリチュアル正史をもう一度見直してみました。
そうしましたら、なんとなく、不十分な点があることに気づきました。
前回の記事でこんなことを書きました。
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ニギハヤヒはスサノオとクシイナダヒメの子?
これは本当でしょうか?
(略)
原田先生の説で、
スサノオの子の大歳が九州を制圧し、
その後、
大和を治めるときに名をニギハヤヒに変えて降臨したことになっているのですが、その説だと矛盾が生じます。
ひとつは、ニギハヤヒの妻のセオリツヒメが出てこない。スピリチュアルな世界に矛盾が生じます。
それに、大歳という名前だった人物がいきなりニギハヤヒと名乗るのが不自然です。
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前回は、スピリチュアルとの関係を考察していて、ニギハヤヒの妻としてセオリツヒメが出てこないことにこだわり、上の説を受け入れられませんでした。
一番引っかかったのは次の点でした。
大歳だった人が急に名前をニギハヤヒに変えるのは不自然。
ところが、今日になって納得することができました。
今日はそのことを書きます。
いきなり、結論ですが、
大歳がニギハヤヒに名前を変えて降臨したのは日本古代史の真実と思います。
その理由にたどり着けました。
原田先生の本をもう一度読んでみて、納得して説明できる説にたどりつきました。
その説を述べてみたいと思います。
以前の記事と多少重複してしまうのですが、お付き合いください。わかってる方は飛ばしてください。
スピリチュアル古代史で、ニギハヤヒとセオリツヒメは夫婦で、
ニギハヤヒは金龍でもあり、国之常立神でもあり、高御産巣日神でもある。
天孫降臨は2回あって、
一回目は、大己貴命(大国主命)が瓊瓊杵尊に国譲り
二回目は、長髄彦が神武天皇に国譲り
そして、現代につながり、めでたしめでたし!
とまとめたのですが
前回、目を背けたことがあります。
では、
大神神社や石上神宮に祭られている、
ニギハヤヒは、
スサノオやクシナダヒメとどういう関係?
八重垣神社にはスサノオとクシナダヒメが描かれている。
そして、古事記にも大歳(大年)という名の力を持った神様がいて、系譜もあり、ちょうど大物主のくだりに現れている。
あの大物主とニギハヤヒと大歳はどうつながるのか?
スサノオとはどういう関係か?
前回のスピリチュアルな解釈では、
ニギハヤヒとセオリツヒメが夫婦なのだから、
それを前提に歴史を考察しましたが、
日本のここ二千年の歴史(出雲風土記、古事記、日本書紀、神社の記録)においてスサノオもクシナダヒメもニギハヤヒも、もちろん、アマテラス(ヒミコ)も登場する。
その関係を説明できていない。
今回わかったことを先にここで書きます。
1つ目は、
なぜ、日本書紀成立以前は天皇は伊勢神宮ではなく、
石上神宮や大神神社に参拝したのか。
その理由は、日本の成り立ちとして、天皇にとって、
石上神宮や大神神社のほうが、
伊勢神宮よりもはるかに重要だから。
石上神宮にはスサノオの父、スサノオ、ニギハヤヒが祭らている!
大和の国津神であるニギハヤヒ(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)が祭られており、出雲の神であり、日本をほぼ統一したスサノオも祭られている。
伊勢神宮には、日向からきたアマテラス(天照大御神、大日孁女貴、オオヒミコムチ、アマサカルムカツヒメ)が祭られている。
神武天皇の先祖ではあるが、もともとの大和の神ではない。
だから、大和(奈良)に祭られていない。
だから、日本書紀成立以前に歴代天皇は伊勢神宮には参拝しなかった。
もう一つは、
なぜ、ニギハヤヒが歴史から消されたのか。
これはレプタリアン渡来系の戦略でしょうね。
いずれ世界を救う日本人、日本民族、大和民族が日本の大元の神である、ニギハヤヒやセオリツヒメと繋がれないようにするためらしいです。
そのため、古事記や日本書紀ではニギハヤヒは少しだけしか触れず、セオリツヒメは全く触れず、さらに、神社の祭神の名前もニギハヤヒがわからないように消されたり、変更されてきた。
しかし、完全には消せなかった。
時代は風の時代になり、ようやく、地球のアセンションのために、日本人が目覚めるために、ニギハヤヒやセオリツヒメが復活してきているということのようです。
ちなみに、このアセンションのことは以下の方々のYouTubeも参考にしています。
並木良和さん
瀧龍さん、
原田さん、セオリツヒメの巫女
ゆいさん、巫女体質
吉澤尚夫さん サイキック博士
内山弘一さん
ここから、なぜ、大歳がニギハヤヒに名前を変えたかということについて述べます。
もう一度、前回の大和族と出雲族と海部族と日向族の関係をおさらいしておくと、
大和は一番最初の日本の先住民族で、奈良を中心に関西地方にいた種族。
ニギハヤヒとセオリツヒメを崇拝する民族。
国津神系。
出雲は渡来系。神武天皇が生きていた当時はスサノオの父(フツ)、スサノオ(フツシ)が島根あたりを治めていた。
海部族は渡来系で、自称天孫族で、京都とか兵庫、四国あたりを治めていたと思います(自信ない)。
日向族も自称天孫族で、九州を治めていました。
まず、第一回目の国譲りについてですが、
前回の説と変わります、
これは瓊瓊杵尊が天孫降臨するためにタケミカヅチとフツヌシが大己貴命から国の支配権を奪ったわけですが、
これは数万年前(三万年?)のことなんじゃないかと仮定します(吉澤さんのYouTube参照)。
前回は出雲国が海部系天孫族に譲られたと思っていましたが、多分、大和族に譲られたんじゃないかと思います。
なぜなら、国を譲れと迫ってきた神様が、タケミカヅチだからです。
茨城県鹿島神宮の神であり、明らかに関東です。タケミカヅチも国津神で大和の神と思います。
(原田さんのYouTube参照)
そして、時代が下り、西暦00年以降
ちょうど、八重垣神社に描かれているスサノオやクシナダヒメが生きている時代。
(このあたりは、神武天皇が紀元前660年と言われていますが、詳しい年はわかりません)
神武天皇の天孫降臨の少し前の日本の時代の国の支配状況
関東から山陽、四国まで
大和族、長髄彦が支配
ニギハヤヒを祀る国津神系子孫
大和王は古代より富野長曽根地方(奈良)に住む
大和の王の名前は代々、長髄彦命。
(矢追日聖さんの長曽根の伊吹より)
ナガスネは土地の名前であり大王の名前でもある。
つまり、長髄彦命が天照国照大神饒速日命の正統な後継者。
なお、今回、海部系天孫族は大和族に含まれると仮定してます。
中国(山陰)
渡来系出雲族、スサノオが支配
第一次国譲り(数万年前、出雲国の大和への国譲り)はあったものの、中国地方は結局、出雲族が治めていたと仮定。
その時の王がスサノオ。
原田先生によると、騎馬民族でとにかく強い。
九州を鹿児島まで一気に制圧。
スサノオは出雲ではクシナダヒメと結婚。
クシナダヒメの第5子が大歳。
そのため九州には大歳神社たくさんあり。
制圧後の九州でスサノオはヒミコと結婚し、3人の女の子と5人の男の子を産む。それが八重垣神社に描かれている。
古事記と一致。その女の子の1人が市杵島姫。
九州
渡来系天孫族、日向族、ヒミコ(天照大御神)が支配していた。
出雲からスサノオが日向に馬に乗って攻めてきます。
古事記では、スサノオが乱暴狼藉をして、馬の皮をはいで、機織りのところに投げて亡くなってしまうというエピソードがあります。
あのことかなと。
そのあと、スサノオと天照ヒミコは天の安河原で、
ウケイ、つまり、和睦を結び、5男3女を産む
出雲のスサノオに制圧されるが、スサノオ、ニギハヤヒ(大歳)が亡くなると、ヒミコの政略によって、日本(大和、出雲、日向)を統一するためイワレヒコを大和のニギハヤヒ(大歳)の娘の婿にし、神武天皇として即位させる。
結果、ヒミコは日本の総氏神となり、伊勢神宮に祭られることとなる。
ちなみに、実際に生きたヒミコの本当の両親がイザナギとイザナミかは不明。
前置き、長くなりましたが、
この当時、出雲のスサノオはめちゃくちゃ強かった。
九州をあっさり制圧します。ヒミコと結婚もして、市杵島姫も生まれます。
その勢いで、大和に入ります。
大和に入るのはスサノオではなく、第5子の大歳。
このときに、名前を、大歳からニギハヤヒに変えます。
なぜかといいますと、
饒速日命の正式な後継者になれたからです。
それまで、大和の王は長髄彦でした。
長髄彦は言い換えれば、その当時の饒速日命の正式な後継者、代理人です。
ホツマツタヱにもありますが、大物主も饒速日も役職名です。2代目饒速日命がウマシマジです。
原田先生の本によると、
大歳はスサノオから命じられ、大和を制圧するため、長髄彦と交渉しました。
その結果、長髄彦の妹のミカシギヒメの夫になります。
長髄彦の弟、後継者として、受け入れられ、饒速日命を名乗ることを許されたのです。
そうだとすると、大歳がなぜニギハヤヒに名前を変えたのか納得がいきます。
古事記で有名なのは、
神武天皇が大和に攻めてきた時に、長髄彦が
『私は今、もう1人の天孫の饒速日命に仕えている』
と言ったのは良く知られていますが、
僕の解釈では、
『我々大和民族は代々天孫饒速日命に仕えている!』
饒速日命がもともといた高天原は出雲ということになります。
瓊瓊杵尊と神武天皇の高天原は九州
もうどこが高天原かは色々様々です。
おそらく、大歳は饒速日命の霊をもっておられた方だと思います。
なんと言っても、日本を最初にほぼ統一したスサノオの息子ですので、
霊レベルでも、スピリチュアルな世界でもつながっていたはずです。
そして、亡くなったあとは、三輪山に祀られました。
大神神社です。その御祭神の名は大物主です。
饒速日命であり、大物主であり、金龍でもあり、国之常立神でもあると思います。
古事記では、国作りをしていた大国主命が少名彦命がいなくなった時に悲しんでいると、
大物主が現れて、私を三輪山に祀れと指示します。
そうすれば国は治まると。
その古事記のくだりで出てくる神が大年です。
つまり、大年が饒速日命です。
饒速日命だから国が治まるのです。
もうひとつ、明らかになったこと。
饒速日命は大物主であり、
大物主の子孫が物部氏です。
言われてみれば、ですね。
このように考えると、さらに、わかることは、
饒速日命と瓊瓊杵尊の兄弟説がありますが、
兄弟ではないですね。
スピリチュアルな世界ではわかりません。
しかし、リアル古代史では、
瓊瓊杵尊は日向系天孫族
饒速日命(大歳)は渡来系国津神※の出雲族
※
もともと、出雲族は渡来系だが、時代がくだり、弥生の時期にはスサノオは国津神系神としての存在
※
一方、大和族は日本土着の国津神系、ムーの末裔と思う
兄弟であるはずがない。
ただし、スサノオと天照ヒミコは結婚してるので、
無理やり親族にはできる💦
旧事本紀では確か兄弟となっていますが、
物部氏が天皇家(日向族)の瓊瓊杵尊の兄になる必要はなかったのではないか。
古代はそれが官位を得るための有効な手段だったのかもしれませんが。そこかも。
もともと、最初に日本を統一したのは、出雲族なのだから。むしろ、系統は違うと、しておいたほうがよかったかも。
饒速日命に十種の神宝を渡したのもスサノオ。
これが2代饒速日命のウマシマジから神武天皇に受け継がれ、三種の神器に簡略化されます。
だから、日本の天津御祖は素戔嗚尊です。
その素戔嗚尊と饒速日命が祭られているのが石上神宮です。
だから、歴代天皇が最も崇敬を寄せています。
日本の最も重要な神社は大神神社であり、
最も重要な神宮は石上神宮です。
前回は、饒速日命は1人しかいないという固定観念で考えていましたので、たどり着けませんでしたが、饒速日命が役職名であり、
神の霊は何度も日本のために降臨、下生できると考えると、ニギハヤヒがスサノオの子の大歳として下生することは自然と思います。
これで多分、大神神社、石上神宮に参拝しても大丈夫と思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。