この写真に出会いました。
国之常立神は金龍である。
また、ニギハヤヒであり艮の大神である。
これまで疑問に思っていたことが氷解するようなひらめきがありました。
以下の疑問です。
スピリチュアル的にニギハヤヒとセオリツヒメは日本の縄文の神と言われている。
これと日本の歴史、とくにホツマツタエ、日本書記との関係。
国常立神と艮金神の関係。
矢追日聖さんの説
ニギハヤヒはスサノオとクシイナダ姫の子は本当か?
ニギハヤヒはオオナムチで大国主命か?
ニギハヤヒと天火明命との関係
ニニギとニギハヤヒの関係
ナガスネヒコとニギハヤヒの関係
オオナムチの国譲りとナガスネヒコの国譲りと歴史の関係
このあたりののことについて、スピリチュアルな世界とも古史古典ともほぼ矛盾なく説明できる説にたどり着きました。
では、ここから入ります。
まず、天照大御神。
この説は、天照大御神はニギハヤヒという説です。
スピリチュアル的に、ニギハヤヒとセオリツヒメが夫婦神であるというのは、スピリチュアルYouTubeでよく見ます。
これは真実だと思います。
では、ホツマツタエではどうなっているかというと、
天照大御神とセオリツヒメが夫婦です。
この天照大御神がニギハヤヒなら、つじつまが合います。
では、その根拠についてです。
ホツマツタエで天照大御神はイザナギとイザナミの子供でこれは受け入れるものとします。
ですが、ホツマツタエで、天照大御神はあまりにも謎に包まれていて、ミステリアスです。
そもそも、卵で生まれてます。
これはあまり追及しないことにします。
着目したのは、その子供のオシホミミです。
このオシホミミは天照大御神の子ですが、本拠地は日高見国です。
この日高見国はどこかというと、東北、宮城です。
なぜ、天照大御神の子なのに東北にいるのか不思議です。
もし、天照大御神がニギハヤヒならどうでしょう?
この写真の
ニギハヤヒ=国常立神=金龍=艮金神
だとしたらどうでしょう?
明治の大本教のおにさぶろうも国常立神は艮金神と言っています。
国常立神は日本書記で、日本の国土に最初に降り立つ神です。
おそらく縄文時代です。
その神が縄文時代に国土を開発し、数千年?数万年?経過すると、渡来人がやってきます。
その渡来人たちによって、やがて、ニギハヤヒを信仰する縄文人である国津神は東北に追いやられ、艮の金神とされます。
ニニギが生まれる時代の頃はすでに、東北に追いやられており、ニギハヤヒの子孫は東北にいた。
だから、ホツマツタエでは、天照大御神
すなわちニギハヤヒの子のオシホミミは日高見の国にいた。
書きながら、思いだしましたが、ニギハヤヒはトヨウケ大神でもあると思います。
ホツマツタエにおいて、豊受大神は日高見国、東北にいるからです。
豊受大神は国之常立神の第五代で、タカミムスヒです。
このタカミムスヒは大和政権になっても、強い発言力を持つ神です。
ここまでをまとめると、
天照大御神がニギハヤヒなら、セオリツヒメの夫としてスピリチュアルな世界的にもホツマツタエの歴史的にも問題ありません。
次に、矢追日聖さんの説の検証です。
ニギハヤヒはスサノオとクシイナダヒメの子。
これは本当でしょうか?
これは違うと思います。
スサノオは渡来人です。
これは間違いないと思います。
スサノオの息子の一人の五十猛が朝鮮から九州に木を植樹したとか、
原田常治先生の本ではスサノオのお父さんはフツ、スサノオはフツシ、ニギハヤヒはフルとかモンゴル系の名前を持つことから見ても渡来人です。
そのスサノオとクシイナダヒメの子がニギハヤヒという説は、上の原田先生の説で、スサノオの子の大歳が九州を制圧し、
その後、大和を治めるときに名をニギハヤヒに変えて降臨したことになっているのですが、その説だと矛盾が生じます。
ひとつは、ニギハヤヒの妻のセオリツヒメが出てこない。
想定されることとしては、ホツマツタエに出てくるニニギとアメノホアカリの二朝政権のときのアメノホアカリがニギハヤヒと思われるのですが、妃にセオリツヒメが出てこないので、スピリチュアルな世界に矛盾が生じます。
それに、大歳という名前だった人物がいきなりニギハヤヒと名乗るのが不自然です。
ニギハヤヒは国津神、国之常立神と仮定し、元々の日本の縄文の国土の神で渡来系から東北に追いやられ、
一方のスサノオの渡来系は出雲に居続けられた歴史を見ると、ニギハヤヒとスサノオは別の種族だと思います。
しかし、ひょっとしてと思われるのは、それくらいスサノオとニギハヤヒは国津神と渡来系の違いはあったとしても宗教的には近く、共に、同じような神を奉っていたと思います。
とはいえ、やはり、スサノオが渡来系で、悪者扱いされるのは、古事記あるいはホツマツタエでもとりあげられている高天ヶ原でのスサノオの狼藉の件に表れていると思います。
古事記では天照が女性がですので、そもそもおかしいので、ホツマツタエですすめると、ホツマツタエでは天照は男性です。
私の説ではこの天照大御神がニギハヤヒです。
同時期に生きたとすると、ニギハヤヒは国津神でもともと日本にいた神で、日本の嫡流。
スサノオは大陸から来た外国人です。
所作や振る舞いが国津神に比べれば荒かったに違いありません。確認ですが、この説ではスサノオは国津神ではなく、渡来系です。
ニギハヤヒとスサノオが同時期に国を治めていた時代があるとすれば、ニギハヤヒにとって、スサノオは国を荒らす隣の国の神だったでしょう。
そのため、ニギハヤヒは一時期、スサノオと絶縁したことがあるのだと思います。
それが岩戸隠れだと思います。
二人はうまくいかず、スサノオは結局、地元の出雲、島根に戻ります。
ということで、ここまでをまとめます。
ニギハヤヒはスサノオの子ではない。
スサノオの子はオオナムチ、オオナモチ、大国主。
これは間違いないと思います。
なぜなら、出雲風土記にもその記述があるからです。
ここから、国譲りの検証に入ります。
国譲りは大きく分けて二回あります。
これは古事記でもホツマツタエでも共通ですので真実です。
ではこの二回の国譲りの真実は?
いきなり結論です、といいたいところですが、
整理して話します。
4つの部族を紹介します。
1つめは、ニギハヤヒを祖先とする国津神、大和族と呼びます。
2つめは、スサノオを祖先とする出雲族です。
出雲族は渡来系で、山陰を中心に支配した部族です。
この2つは国津神と渡来系ですが、どちらもともに近い神の信仰をしています。
3つめは、海部族です。
この部族は籠神社によると、アメノホアカリを祖先としています。アメがついているので天孫と思いたくなりますが、天は海のことで、海部族が後に海を天に変えて天部族、天孫族を名乗るようになります。
これは矢追日聖さんの説と同じです。
海から来たものたちが天から来たと言い張って天孫降臨をつくりだしました。
最後に、4つめが日向族です。日向族は弥生時代の渡来系で九州にいた部族で、天皇家の祖先です。天照族と呼んでもいいと思います。
さて、
縄文時代が終わり、弥生時代になると、大陸から3つの渡来系がやってきました。
最初に来たのは、出雲系。
この部族は日本の国津神と同じような神を信仰し、ニギハヤヒの岩戸隠れの件のようにケンカすることはあったものの、しばらくは仲良く暮らしていました。
例えば、オオナムチ。
オオナムチはスサノオの子で、ホツマツタエでは初代大物主で、軍事を司る役職です。
そして、その子は事代主で、政治、神事を司る役職です。
その活躍は、古事記にもホツマツタエにも述べられています。
まず、それぞれの支配地ですが、
大和族は東北から関東、関西、山陽まで。
海部族は関西、大和。
出雲族は山陰。
日向族は九州。
この時代は主に4つの部族が協力して日本を治めた時代で邪馬台国といいます。
国の神は国津神で、ニギハヤヒを神としていました。
ところが、次第に、海部族と日向族が支配力を強めてきました。
古事記でいえば、ニニギが天下ろうとしているころです。
多分、九州から大和にでしょう。
すると、出雲系の人たちと意見が合わなくなりました。
すると、何やら、オオナムチは高天ヶ原に謀反の疑いがあるようだと、疑いをかけられました。
そのため、海部族は出雲族から力ずくで国を奪うことにしました。
その結果、出雲族は大和族、海部族、日向族に従うようになります。
それが1つめの国譲りです。
次は、時代がくだり、神武天皇のころです。
しだいに、日向族が力を強め、日向族が国をまとめることになりました。
このあたりのことは、複雑だったと思います。
大陸でも戦争もありましたし、いつ、日本が中国から襲われてもおかしくなかったと思います。
日本の神様は神国日本が外国に支配されないためにも、国を統一し、強い国にする必要があったのだと思います。
そのため、神武天皇が大和に向かいました。
このことは、原田先生の本にも、矢追日聖さんの本にも書いてありますが、内実は婿入りです。
しかし、当時の大和国の王は容認しませんでした。納得できなかったようです。
大和国の王は、神武天皇が邪馬台国を奪いにくると思っていたようです。
その王とは、ナガスネヒコです。
矢追さんの本で、ナガスネヒコはニギハヤヒの子孫と言われています。
神武と対峙したとき、ナガスネヒコは
私はニギハヤヒに仕えている
といいました。
これは、自分はニギハヤヒの末裔であると言う意味です。
結果的に、ナガスネヒコは争いの責任をとる形で、神武に国を譲ります。
これが二つ目の国譲りです。
この2つめの国譲りによって、一端、大和族から海部族、日向族に国が譲られます。
この海部族がアメノホアカリ系、
日向族がニニギ系で、ニニギ系が勝ちます。
ナガスネヒコの子孫の大和族は青森に逃げ、復活、繁栄します。
そのため、神武天皇が初代天皇となって、新しい大和政権を立ち上げようとしたものの、旧大和族も政権に介入してきます。
その結果、2代から9代までの天皇は旧大和族、つまり、国津神系から天皇が生まれます。
ようやく日向族の天皇になったのが、祟神天皇のときです。
自らを天孫族と呼ぶ、日向族にとってほ、敗者の天皇の歴史を認めたくありません。
そのため、この時期の天皇は欠史8代の天皇とされ、歴史的から消されています。
これが日本の歴史だと思います。
長文ご一読、ありがとうございました。