寒くなり マスクをしたら 口がくせえ


どうもこんにちは。日に日に寒さが増しております。

さて、唐突だが皆さんに是非とも問いたいことがある。



「ないものねだりしてねえか?」



はい、というのもね、ずっと前から思うのです。「人はどうしてないものばかりねだってしまう生き物なのだろうか」と。これは人間の性だと言ってしまえばそれでおしまいですが、どうしてもそれで片付けたくない。なんだかこの問題って、人の幸せの根本に深く深く関わっている気がしてならないのだ。


例えば、愛する人を失ってからその大きさに気付く。一人暮らしをし始めて初めて親の偉大さを噛み締める。海外に出て日本の暮らしやすさを知る。地元を離れて久々に帰ると地元の良さを味わえる。


全部、終わってから、離れてからじゃないとわからない。
なのに満たされていると、満たされていることに気づかず、「ないものねだり」をしてしまう。
これってどうにかならないのかな、と思う。


愛する人が当たり前に笑って、当たり前にそばにいて、当たり前に怒る。これはものすごく尊いことだと思うが、実際その時にはそう思えない。気に食わないところばかり探して、どうにか治らないかとばかり考える。

家に帰るとおかえりという声が響き、ほかほかのご飯が当然のように出てくる。電気が煌々とついていて明るい。そんな家で何気ない話で盛り上がる。
そんな生活がしたい、そう思ったときにはもう一人暮らしを始めている。家族とずっと一緒にいるのはもう懲り懲りだ、と言って出ていく決意をしたのは他でもない自分なのに。満たされている者は満たされていることに気がつかない。なんて悲しいことだろう。


満たされていることに気がつかないが故に、今の自分に足りていないものばかりを埋めようとし、埋めると他のものが足りなくなる。つまり人間が完全に満たされることなんて絶対にないんじゃないだろうか、と思う。


じゃあどうするか。


今を生き、今に感謝するしかない。


いろんな啓発本にも出てくるありきたりな表現であることは否めない。でもこれに尽きるような気がする。
足りないものに目を向けるんじゃなくて、今あるものをどれだけ有効的に楽しく使えるか。

ないものねだりばかりだった自分は足りないもの探しのプロだった。あるものに感謝する能力が圧倒的に低かった。いつもイライラしていたし、なんだか生活に充実感がなかった。いつも冷めている自分がいた。人の批判ばかりしていた。誰かを傷つけた。



ないものさがしより、あるものさがし。これだ、これだ。