榊邦彦 OFFICIAL BLOG new

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けれど一方で、言葉や愛がまったく立ち向かうことのできない不安や困難も、
また、存在しないのではないか……僕は、今そう思っている。
『100万分の1の恋人』榊邦彦(新潮社)

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 選手の熱い闘いに心沸き立ったパリオリンピックも閉幕し、二週間ぶりに『光る君へ』の新しい回が放映されました。
 今回の「月の下で」。なんともタイトルからして、おしゃれ極まりないです。

 今週はそのあたりを中心にコメントしてみたいと思います。

『源氏物語』全54帖の中に「須磨」という帖があります。光源氏は、都でのトラブルから一時期、須磨に籠居するのですが、その頃の様子を描いた帖です。

 以下に挙げたのは「須磨」の第二段の冒頭文です。
「月のいとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊び恋しく、所々眺め給ふらむかしと思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもられ給ふ。」
【口語訳:月がとても明るく差し出たので、「今夜は十五夜であったのだ」と光源氏はお思い出しになって、殿上での管弦の御遊びが恋しく思われ、「あちらこちらの女性も月を眺めて物思いにふけっていらっしゃることであろう」とご想像なさるにつけても、月の顔ばかりおのずとお見守りになってしまう。】

「光源氏が十五夜を見つめながら、遠くにいる女性を思い出し、『あちらでも月を眺めて物思いにふけっているだろう』と想像する」いう描写です。この光源氏の物思いは、今回のドラマで、道長の語った「誰かがこの月を一緒に見ていると思いながら、自分も月を眺めている」と、同じです。

 月の下で、まひろへの思いをギリギリの言葉で伝えた切実な場面でしたが、『源氏物語』「須磨」の「今宵は十五夜なりけり」の一節が、この場面の下敷きになっていたのを感じます。月も同じ満月でした。

 それだけでも、今回の「月の下で」のトリヴィア的見所・勘所と言えるのですが、「月の下で」には、もう一つの大仕掛けを感じます。

 今回、ついに、まひろは『源氏物語』を書き始めます。

『源氏物語』第一帖「桐壺」の冒頭文「いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひける中に」が、ドラマの中でもまひろの声で読み上げられていました。まひろが、越前紙に書き起こすアップのカットがありましたが、一文字目「い」でしたね。

 たいへん有名な第一帖「桐壺」の冒頭文ですが、実は、『源氏物語』は、この「いづれの御時にか」から書き始められたのではなく、帖の順とは関わらず、違うところから書き始められたという説があります。

『源氏物語』の古注釈本や、紫式部が『源氏物語』の構想を練ったといわれる石山寺に残る古文書などにも記されていますが、それら古文書では『源氏物語』の書き始めは、「桐壺」の「いづれの御時にか……」ではなく、先に記した「須磨」の「今宵は十五夜なりけり」であったとされているのです。

『源氏物語』の書き始めにフォーカスした第31回は、「桐壺:いづれの御時にか」という現存する書き出しに、「須磨:今宵は十五夜なりけり」という別の書き出し逸話が重ねられた、おしゃれな趣向の潜んだ回だったとも言えるのではないでしょうか。タイトルにもなっている「月の下で」が、趣深いですね。

 毎回毎回、『光る君へ』の深みのある作り込みには驚かされるばかりです。

 

 今週、『光る君へ』は、パリオリンピック関係でお休みでした。

 

 せっかくなので、先週の第30回「つながる言の葉」について、別の観点からコメントしてみます。

 

 前回の記事では、第30回の背景として、『古今和歌集』の序文のことについて記してみました。

 第30回には、もう一つ、「背景」としての「先行文学(過去の他者作品)」が感じられましたので、『光る君へ』お休みの今週は、そのことを加えて述べてみたいと思います。

 

 第30回では、まひろが自分の執筆や、娘「賢子」の教育に夢中になるあまり、賢子との親子関係に悩んでいる様子が重ねて描かれていました。ドラマの中半、まひろの声で、

「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」

という和歌を詠みあげるナレーションも掛かっていました。

 

 実は、この和歌、紫式部の曽祖父である藤原兼輔が詠んだ歌です。兼輔は百人一首にも「みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ」という歌が撰ばれている有名な歌人ですが、この「人の親の……」の歌も良く知られた歌でした。紫式部も先祖のこの歌はお気に入りだったようで、『源氏物語』の中でも、たびたびイメージを借用して取り入れています。

 

 今回のドラマの中でも、まひろは、自分の子育ての悩みについて、先祖の歌を引いて語ったわけですが、さて、そもそも「人の親の……」の歌はどのような場面で生まれたものかというと、『大和物語』(ドラマ内時間より、50年程前に成立)の中では、以下のように紹介されています。

 

「堤の中納言の君、十三のみこの母御息所を、内に奉りたまひけるはじめに、帝はいかがおぼしめすらむなど、いとかしこく思ひなげきたまひけり。さて、帝によみて奉りたまひける

 人の親の心はやみにあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」

【口語訳:堤の中納言の君(藤原兼輔)は、娘の桑子(後に第十三皇子の母君となる方)を、帝に奉りなさった当初、『帝は桑子のことをどのようにお思いになっているだろうと、大層、深く思い嘆き心配なさって、帝へ詠み申し上げなさった歌

 人の親の……人の親の心は分別がないわけではないが、子供を思うと分別も失ってまるで闇の中にいるようだなあ】

 

 下線部に着目です。

「入内させた娘に対する帝の寵愛がどうなっているか心配して、帝に直訴した歌」

 が、この歌であるというのです。

 

 この状況、今回のドラマの後半で描かれた「彰子のことを心配して、一条天皇に直訴する倫子」という構図と、ずばり相似形です。帝への倫子の直訴を聞いて、道長は「お前はどうかしている」と叱責していましたが、まさに子供を思う余りに「どうかしてしまった、闇の迷い道に入ってしまった」ということですね。

 

 このように、第30回には、先行文学として、紫式部の曽祖父、藤原兼輔の歌「人の親の心はやみにあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」も背景となって作り込まれていたのを感じます。

 

 先行文学(過去の他者の作品)のイメージを引用し、取り込みながら、それを下敷きに自分の新しい作品を作っていく……これは、まさに古典文学が繰り返し行ってきたことです。思えば、どんな作品であっても、先行文学の影響下にあるのですが、それを隠すのではなく、むしろ顕在化させて二重写しの効果を描いていく、これが古典文学の一つのポイントになったりもします。

 

『光る君へ』第30回は、まさに、そういった古典文学の作り込み方を、ドラマ作りの中にも取り込んだ回と言えるかもしれません。

『光る君へ』で、大好きな歌人、和泉式部が登場するのを楽しみにしていたのですが、僕が個人的に古典和歌ベスト1に挙げている

「もの思へば沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る」

まで、取り扱われる(番組後のオマケ解説ではありましたが)とは!

 

「もの思へば沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂かぞ見る」

(口語訳:恋しい貴方のことを思っていると、沢に飛び交う蛍も、私の身体から貴方の許へと、私の身体を離れて出て行った魂なのかと思う)

 

恋しい気持ちがあふれて、もはや感情も精神もコントール不能のような状態。

狂いそうなほどの恋の感情が目の前に、闇に飛び交う蛍として飛び交っています。

 

下の句にある「あくがれ」は、「あくがる」という動詞です。

「あく」は「こと」を表わす、形式名詞「アク」だと言われます。

「かる」は「離る(かる)」で、「離れる」という意味です。

 

「あくがる」で、「私のことを離れる」といった意味ですね。

古典辞書では、「心がさまよう」などといった訳語も当てられています。

 

さて、この「あくがる」ですが、現代語では「あこがれる」の語源でしょう。

 

何かに「あこがれる」、誰かに「あこがれる」。

 

心が持っていかれる感じです。

自分のコントロール下に自分の心がなく、憧れる対象に向かって、もはや魂が離れて行ってしまう感じ。

 

その遊離感を目の前の蛍にして、具体化したこの和歌は、とてつもない世界観だと思います。

 

皆さんは、どんな和歌が個人的ベスト1だったりしますか?

 

(ちなみに、この「あくがる」という動詞の「アク」を利用すると、「いはく」「おもわく」「すべからく」等々の「ク語法」と呼ばれる文法も見事に説明できるのですが、それは、さておき)

 

 

『光る君へ』第30回「つながる言の葉」へのコメントです。

第30回では、まひろが藤原公任の妻(敏子)の主催する文学サロンで、和歌や漢詩を女房達に教えている様子が描かれ、ここに「あかね」と呼ばれる「和泉式部」が登場しました。


実は、僕が、「古典和歌の中で、個人的ベスト1」として大好きなのが、この和泉式部の、
「もの思へば沢のほたるもわが身より あくがれ出づる魂かとぞ見る」
(口語訳:あなたのことを思っていると、沢に飛び交う蛍も私の身から、あなたに会いたくて離れて出て行った私の魂かのように見える)
 という歌です。


 恋愛の痛切な感情が、闇の蛍として眼前化するという、狂おしいほどの世界です。天才歌人和泉式部のこと、特にこの和歌について語りたいと思っていたところ、ずばり番組のオマケ解説で、取り上げられてしまいました、、、

 ということで、今回は、まひろが文学サロンで語っていた「和歌は人の心を素材にして、、、、」という部分や、そのあとのまひろと和泉式部とのやりとりについてコメントしたいと思います。


 まひろが教授していたのは、古今和歌集の序文(仮名序)の冒頭にある、
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるものなり。」
(口語訳:和歌は人の心を種にして、さまざまな言葉の葉となったものだ。世の中に住む人は、人為多々あるものなので、心に思うことを、見るものや聞くものに託して、歌としてあらわしたものである。)
 といったくだりです。和歌を考える際の基本中の基本として、大変有名な文章です。

 このまひろの授業を聞いた女房達は「難しい」と反応していましたが、まひろはさらに「漢詩を踏まえた和歌」という「輪をかけて難しい話」をします。これに対して、「先生は歌を詠むときそんなに難しいことを考えているのですか。私は、思ったことをそのまま歌っているだけですけれど」と言葉を挟んだのが和泉式部です。


 恋に生きた女性として語られることの多い和泉式部ですが、ドラマの中でも、奔放な様子が、描かれていました。特にコメントしたいのは、和泉式部が、『枕草子』を評して、「あまり面白いとは思わなかった」と語り、まひろが「軽みのある文章で面白いと思った」と反論したやりとりです。

『枕草子』は「知的感興に訴える『をかし』」の文学で、人の心の闇や情念のようなものは描かれていません。「定子様を慰めるためのお手紙」としての『枕草子』ですから、そこに「闇」「情念」は必要なかったわけです。文体も、定子の心が弾むような、切れ味の良い、リズム感のあるものになっています。

 そのような『枕草子』の「やや作り物めいた美的世界」に対して、「実人生の恋愛を痛切に喜び、痛惜に悲しむ女性」である和泉式部は「物足りなさ」を感じたのかもしれません。まひろの反論も、『枕草子』を誉めているようでいて、「軽みのある文章」という言い方で、微妙に物足りなさも含ませているようにも思います。


 定子へのお手紙として、「をかしく(興味深く)」感じてもらおうと書かれた『枕草子』。前の回で、清少納言は「闇は書かない」と断言していましたね。
 一方、圧倒的な教養を下敷きに、人の心の闇まで含めて「もののあはれ」を壮大な世界の中に描いた『源氏物語』。

 和泉式部にとって、『枕草子』は「情念がなくて面白くない」し、紫式部のスタンスは「難しいことを考えすぎている」ということになるのかもしれません。


 三者三様の生き様と、その文学観が、今後の『光る君へ』の中で、どのように科学反応を起こしていくのか。
 同時代の女性たちの「文学=言の葉」との響き合い、「つながる言の葉」として生まれていく『源氏物語』。

 新たな視点が、『光る君へ』の中に加わってきているようで面白いところです。

 最後に、先に挙げた『古今集』の仮名序の続きについて、補足したいと思います。


 先の仮名序の冒頭は、
「花に鳴く鶯、水にすむ蛙(かはず)のこゑを聞けば、生きとして生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をもいれずして天地を動かし、目に見えぬ おに神をもあはれとおもはせ、 男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは、歌なり」
 と続きます。


「力をも入れずして天地を動かす言葉」「鬼神の心をも動かす言葉」「男女の間を和らげ取り持つ言葉」といった言葉・物語の力については、今回のドラマの中でもしっかり描かれていました。


「安倍晴明の言葉が、鬼神の心を揺さぶり、天地が動く」「彰子へ一条天皇の心が向くような新たな物語を必要とする」……まさに、『古今集』の仮名序の世界観が、今回の「光る君へ つながる言の葉」の世界観の下敷きでした。

 

『光る君へ』第29回「母として」へのコメントです。

まひろ(紫式部)を支えていた豪放磊落(ごうほうらいらく)な夫、藤原宣孝が亡くなりました。その死を悼んだ紫式部の独詠歌に、以下のようなものがあります。

「見し人のけぶりとなりし夕べより 名ぞむつましき塩釜の浦」
(紫式部集・新古今和歌集)

口語訳:契りを交わしたあの人が、荼毘に付されて煙となって消えてしまった夕べ以降、「むつまじい」という音に通じる「陸奥の国」にある「塩釜の浦」でたなびく塩焼きの煙までも、その名を思うだけで、まるであの人のように思われて慕わしく感じられることです。

この歌は、紫式部が、陸奥の様々な名所の絵を見て詠んだ歌ですが、小さなきっかけから、夫の不在を思う紫式部の深い喪失感が感じられる歌となっています。

さて『源氏物語』の有名な巻「夕顔」には、次のような歌があります。
「見し人の煙を雲とながむれば 夕べの空もむつましきかな」

口語訳:契りを交わしたあの人の葬送の煙があの雲だと思って眺めると、夕方の空も慕わしく思われることだ」

これは、光源氏が愛を交わした女性「夕顔」の死に接して詠んだ歌ですが、先に挙げた、紫式部自身が亡き夫を悼んで詠んだ歌と、大変似ていることが分かります。

自分の人生に訪れた様々な出来事を、少しずつ脚色して『源氏物語』の中に取り込んでいく。

これは、今回のドラマ「光る君へ」が、特に作り込んでいる大きな構図ですが、実際、このような「夫と死別した喪失感」➡「夕顔の死の場面での光源氏の感情」という「取り込み」もあるわけですね。

さてさて、この「まひろの人生周辺に訪れた様々な出来事」の「源氏物語への取り込み」ということに関しては、「猫を介した悲劇」「雨をしのぐ間の男達の女性談義」「廃屋での逢瀬」「帝の過ぎた寵愛」「不義の子」等々、今までもドラマ内で重ねて作り込まれてきましたが、第29回の描写の中に、もう一つ、大仕掛けが出てきそうな気配が感じられたので、そちらを最後に述べてみたいと思います。

今回、定子の忘れ形見「敦康親王」が彰子の養子となりました。
宮中や周囲の人々になかなか心開かない風の彰子でしたが、敦康親王が屈託なく、ちょこんと彰子の膝に座り、彰子も驚きながらも少し嬉しそうな表情をしていました。今までには描かれなかった彰子の表情と思います。

「自分の夫(帝)が、かつて愛した女性の息子を養育する」……これは、『源氏物語』の大変重要なバーツでもあります。

光源氏は、帝が寵愛した桐壺の更衣の息子です。桐壺の更衣は過ぎた帝の寵愛も原因で、早逝しますが、光源氏は、その後、帝に入内した藤壺中宮に育てられることになります。この光源氏と藤壺との関係が、『源氏物語』の最大の仕掛けになるわけです。

彰子の膝にちょこんと座った敦康親王、その様子を戸惑いながらも慈しむ彰子……そんな二人の様子から、『源氏物語』への「取り込み」の構図をまたまた感じた次第です。

さて、次回以降、いよいよ『源氏物語』の執筆が始まる気配です。
まひろを取り巻く人生や社会の様子が、どう『源氏物語』に結実していくのか。
「光る君へ」は、それをどのように描くのか。

いよいよ楽しみになってきました。

 

(昨日昼、長年、関わっている小説を勉強する会があり、そこで「敦康親王&彰子≒光源氏&藤壺」という話題がありました。その晩の放映で、上記の場面が見事に描かれ、御指摘の慧眼に感服した次第であります。)