今週、『光る君へ』は、パリオリンピック関係でお休みでした。
せっかくなので、先週の第30回「つながる言の葉」について、別の観点からコメントしてみます。
前回の記事では、第30回の背景として、『古今和歌集』の序文のことについて記してみました。
第30回には、もう一つ、「背景」としての「先行文学(過去の他者作品)」が感じられましたので、『光る君へ』お休みの今週は、そのことを加えて述べてみたいと思います。
第30回では、まひろが自分の執筆や、娘「賢子」の教育に夢中になるあまり、賢子との親子関係に悩んでいる様子が重ねて描かれていました。ドラマの中半、まひろの声で、
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」
という和歌を詠みあげるナレーションも掛かっていました。
実は、この和歌、紫式部の曽祖父である藤原兼輔が詠んだ歌です。兼輔は百人一首にも「みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ」という歌が撰ばれている有名な歌人ですが、この「人の親の……」の歌も良く知られた歌でした。紫式部も先祖のこの歌はお気に入りだったようで、『源氏物語』の中でも、たびたびイメージを借用して取り入れています。
今回のドラマの中でも、まひろは、自分の子育ての悩みについて、先祖の歌を引いて語ったわけですが、さて、そもそも「人の親の……」の歌はどのような場面で生まれたものかというと、『大和物語』(ドラマ内時間より、50年程前に成立)の中では、以下のように紹介されています。
「堤の中納言の君、十三のみこの母御息所を、内に奉りたまひけるはじめに、帝はいかがおぼしめすらむなど、いとかしこく思ひなげきたまひけり。さて、帝によみて奉りたまひける。
人の親の心はやみにあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」
【口語訳:堤の中納言の君(藤原兼輔)は、娘の桑子(後に第十三皇子の母君となる方)を、帝に奉りなさった当初、『帝は桑子のことをどのようにお思いになっているだろうと、大層、深く思い嘆き心配なさって、帝へ詠み申し上げなさった歌。
人の親の……人の親の心は分別がないわけではないが、子供を思うと分別も失ってまるで闇の中にいるようだなあ】
下線部に着目です。
「入内させた娘に対する帝の寵愛がどうなっているか心配して、帝に直訴した歌」
が、この歌であるというのです。
この状況、今回のドラマの後半で描かれた「彰子のことを心配して、一条天皇に直訴する倫子」という構図と、ずばり相似形です。帝への倫子の直訴を聞いて、道長は「お前はどうかしている」と叱責していましたが、まさに子供を思う余りに「どうかしてしまった、闇の迷い道に入ってしまった」ということですね。
このように、第30回には、先行文学として、紫式部の曽祖父、藤原兼輔の歌「人の親の心はやみにあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」も背景となって作り込まれていたのを感じます。
先行文学(過去の他者の作品)のイメージを引用し、取り込みながら、それを下敷きに自分の新しい作品を作っていく……これは、まさに古典文学が繰り返し行ってきたことです。思えば、どんな作品であっても、先行文学の影響下にあるのですが、それを隠すのではなく、むしろ顕在化させて二重写しの効果を描いていく、これが古典文学の一つのポイントになったりもします。
『光る君へ』第30回は、まさに、そういった古典文学の作り込み方を、ドラマ作りの中にも取り込んだ回と言えるかもしれません。