最初にボールを投げて試合を始めるのが「ピッチャー」
ピッチャーの投げたボールを打ち返すのが「バッター」
そのボールを受けるのが「キャッチャー」。
という。
バッターがボールを打つ場所を「バッターボックス」
打ったボールが地面について「ファーストベース」に
ボールが送られる前にバッターがたどりつけば
「ヒット」となる。それ以外は「アウト」だ。
今やっている試合は
「みんなに試合経験をさせる」ために行われている。
だから次々と同級生たちも試合に参加していった。
そしてついにひろしの番がやってきた。
バッターボックスに入るひろし。
なんだかドキドキしている。
まだ「緊張」というものすらわからない。
何球目だったんだろう。
ひろしはバットを思いっきり振った。
「バシッ」
ボールがバットに当たった。
ボールはピッチャーの横をころがりながら抜けていった。
ファーストベースまで一生懸命駆け込むひろし。
ボールは返ってこなかった。
そのままファーストベースにとどまっている。
「ヒット」だ。
これがひろしの初ヒットとなった。
無我夢中だったひろしには、嬉しいのかどうかも
良くわからなかった。
しかし夜寝ようとした時にふっと思い出す。
「今日初めてヒットを打ったんだ・・・」
感触を思い出し、ひろしは1人思い出し笑いをしていた。
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ある日のチラシに機械技術者向けの仕事の募集があったので、
面接を受けに行ったら、アウトソーシング会社でした。
派遣と違って一応会社が雇って、あちこちの会社に
技術者を派遣するという、実際は派遣会社なのを
うまいやり方をして会社組織にしているものです。
そんなことも知らずに他に仕事が無いものだから、
入社しました。
自宅を購入していて、母と二人で暮らしている訳ですから、
当然自宅から通える範囲にしてくれ、という要望になります。
でも当時その範囲に仕事は無く、当時の千葉営業所には
10人以上のいわゆる「待機社員」というのがいて、
仕事は 全く無いのに会社には来てボケーっとしている、
という毎日が続きます。
図書館行ったり、公園を散歩したり、たまに営業に
一緒についていったり、なんて何にもならないことを
やっていました。
当然上層部から叱責が来ます。
技術者みずから会社に電話をかけて仕事を取れ!
なんて指令が出てあちこちに電話したりしてます。
(さかいちはやったことないんですが)
そのうち何とかみんな行き先が決まる中、さかいちは
本社に配属されました。
いったい何の仕事をするのか・・・年末のことでした。
昨日は忙しすぎて配達に出れず...
今日ようやく今年初の配達です。
11時までに2件入って一旦お店で休憩。
11時10分から立て続けに呼び出しが鳴りっぱなし。
そこそこ距離のある配達が2時間半続きました。
今週配送料無料の吉〇家・やマ〇クが入らないのに
あんかけチャーハン4件とか凄かった。
新年早々注文入るものなんですねぇ。
結局今日は10件で終了。4200円ほど。
何故か2時から
「17時までに4件配達すると480円」
ゴールデンタイム終えたとこでクエスト?
日本法人になっても改善が見られないなあ。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
通勤に配達にと頑張っている自転車。
今朝最初の出勤で何かふらつくと思ったら後輪のスポークが折れました。
残り5キロを歩いて自転車を押す仕事初日となりました。
自転車屋さんに診てもらっても修理はできないとのこと。
まあ今時車輪を組みなおし てもらうより
新品買った方が安いでしょうしね・・・
もう今年だけでも5000キロくらい乗りましたし。
(中古でヤ〇オクものだし)
こう
そんなこんなで今年はまだ配達してません。
明日はできるかと思いますが。
まずは車輪を注文です。。
地元に帰ってきたのはいいのだけど、仕事が無い。
当時技術者のアウトソーシングが盛んになりだした頃で、
さかいちも一ヶ月だけの無職期間を終えて、派遣になりました。
時給契約で怪我とか病気で休むとその間の収入はゼロ。
契約を切られたらまた無職。
今は色々騒がれていますが、昔は普通にやっていました。
健康保険とか確定申告とか全て自分でやらなければなりません。
この時に青色申告の仕方とか覚えました。
後になってこの経験が効いてくるわけですが。
アメリカ大手の半導体 製造装置の仕事をしていたのですが、
休まず働いていたら給料は年収で100万以上上がりました。
そのため、ゴルフだのボーリングだの飲み会だの、と
同じ派遣仲間や社員と一緒に遊びまくりました。
このときの方がバブルだったのかもしれません。
そんな契約は3年半で終わりました。
派遣会社の担当者は新聞広告の切り抜きを持ってきて、
「こんな仕事があるけどどう?」
と言いました。あきれて声も出ませんでしたねあの時は。
結局その後半年クレーンの会社に派遣されましたが、
その後半年で派遣は全員契約を切られてしまいました。
さて、どうしよう?と思った33歳の時です。
