もうひとりの阪口直人 -5ページ目

藤原紀香さんの生き方に思う


今日は和歌山市のビッグ・ホエールで人権フェスタに参加後、岩出市の異業種交流会に参加した。


人権フェスタでは、様々なブースに挨拶に伺った後、女優・藤原紀香さんのトークショーを聴きに行った。


9・11の同時多発テロ後、テレビ番組の取材でアフガニスタンに行き、「伝える」ことで、国際交流・国際貢献ができることを実感。各地で撮った写真を展示して、現地の人々を助けるための協力や参加を呼びかけているそうだ。


原点は阪神大震災を経験したこと。自分も苦しんでいる人々を助けたい。そのために、影響力のある存在になろうと決心し、女優を目指すことにしたという。芸能人が行っている一般のチャリティー活動とは発想が違う。紛争で傷ついた人々、とりわけ子供たちを助けることが、彼女の生き方の根幹にあること。そんな姿勢に感銘を受けた。これまでは、K1のレポーターとしての彼女しか知らなかったけれど・・・。


隣の「和歌山ビッグ愛」では、彼女が東ティモールで撮った子供たちの写真展・Smile Pleaseが開催されていた。



エントランス


紀香


紀香写真


人々の貧しさよりも、彼らが持つ明るさ・輝きを伝えるいい写真だった。


私自身、紛争地の現場でボランティア活動を続けてきた。カンボジア、東ティモール、アフガニスタンと、活動地域も重なっている。現場でできることの大きさ、そして小ささを共に感じ、より「大きな手」で平和をつくりたいと思ったことが自分の政治活動の原点だが、多くの人々に影響力を持っている彼女の存在の大きさを眩しく感じた。


写真展では、彼女に対するメッセージを書くコーナーがあった。大勢の人が、熱心にメッセージを書いていた。


私も、書かせてもらいました!


メッセージを書く人




紀香へのメッセージ


フルーツの町・かつらぎ町


今朝はJR海南駅で駅頭活動をして、先ほど事務所に戻ってきたところです。


ここ数日は、徹底的にかつらぎ町を歩きました。平野衆議院議員のお父さん、叔父さん、また、そのご友人の方々が、次から次へと仲間の方々を紹介して下さり、2日で300軒以上をお訪ねすることができました。また、夜は、ミニ集会を行い、直面する農業問題についても詳しく伺うことができました。次の予定まで少し時間があるので、「フルーツの町・かつらぎ町」を紹介したいと思います。


前回のブログでも紹介した「四郷の串柿」です。秋の景色を背景にした風景は400年の伝統があり、他では見られないものです。11月23日には四郷小学校で「串柿まつり」があります。是非、お越しください。


四郷の柿1


しかし、かつらぎ町の名産は、柿だけではありません。


これは、JR妙寺駅前の「かつらぎ町マップ」です。駅立ちの合間に写しました。


桃、梨、みかん、栗、りんご、ぶどう、キウイ、いちごの生産地でもあり、それぞれのフルーツ摘みを楽しんで頂く事ができます。



マップ



妙寺駅



フルーツだけではありません。世界遺産として登録された丹生都比売神社は、高野山の地主神として空海の高野山開創よりも早く、かつらぎ町天野の地に祀られてきました。


かつらぎ町紹介


家々を訪ねていると留守のお宅が多いのですが、多くの方々が近くの畑で作業をしていました。今は柿摘みの終盤。また、みかんの出荷時期でもあります。ほとんどが60~80代の年配の方ですが、どの農家も後継者の目処が立たないとのこと。とても農業だけでは食べていくことができず、自分たちの世代の後、畑をどうするのか、一様に不安を口にされていました。


訪問中



収穫用の柿の木だけでなく、こんな立派な柿の木も沢山あります。「実を食べたりするんですか?」と尋ねたところ、「高すぎてよう採らんしなぁ。鳥のエサになるだけや」とのことでした。

柿の木




今日はこれから岩出市で活動です!

かつらぎ町の串柿


今日の午前中は、岩出市の元町会議員を訪ね、様々な助言を頂いた。


お昼過ぎからは、かつらぎ町出身の平野博文衆議院議員のお父様・平野亘氏と、かつらぎ町・四郷の集落を訪ね歩いた。この地域は、串に刺した柿、串柿で有名だ。今はまさに干し柿の季節。集落のほとんどの家では、写真のような串柿を作る作業で忙しくしていた。


紅葉に染まる山々。そして、今なお藁葺き屋根が残る家々。そんな景色を背景にオレンジ色に輝く干し柿は、本当に絵になる風景だ。


四郷の柿1



四郷の柿2



平野議員のお父さん(上の写真右下)は、現在85歳。以前は電気工事をしており、多くの家々の配線などを行っていたそうだ。また、お兄さんが先生をしており、古くから住んでいる方々は、誰もが知っているようだった。


私たちは全ての家を訪ね、私が次の衆議院選挙に立候補する予定であることを伝えて歩いた。



四郷の柿3


多忙を極める時期ではあったが、多くの方々が、「亘さん」との再会を喜び、私の来訪を歓迎してくれた。


数百年の伝統を誇る串柿だが、生産に従事する方々の多くはお年寄りだ。とても、これだけでは生計を立てられないとのこと。この伝統を守ることは容易ではない。


農業を守ること、それは、収益を高めることだけではなく、農村や、その共同体、また伝統や風景を同時に守ることだ。和歌山からこの風景を消してはいけないと強く感じた。



四郷の柿4


小さな男の子まで、柿をむく作業に熱中していた。



四郷の柿5


「こういうところは、よそへ行ったのに、うちには来なんだ言われたらあかんからなぁ」 


85歳の平野氏は凛と背筋を伸ばし、全く休憩も取らず、歩き続けた。急勾配の斜面に立つ家々を結ぶ小道は、時に道なき道だった。いつの間にか真っ暗になった。降り出した雨の中、ふたつの集落の全ての家々を訪ね終えた時、時計は夜7時近くを指していた。


この世代の日本人の強さ、そして温かさを強く感じた。


明日はかつらぎ町の妙寺駅で、朝6時半から駅頭活動。その後は、かつらぎ町で、今日の続きを行う予定。とても楽しみだ。