能ある鷹は爪隠す

これ、虎視眈々って意味だと思ってた。




実は違ってた。




そう理解してた自分が虎視眈々だっただけで、




嚢中の錐、という言葉と似たような意味らしい。






昔から経験を何かしらの「言葉」に変えて、自分の支えにすることがある。




社会人10年もやっとると、




ふてぶてしくもなるし、サボり癖もついてくる。






でも、ふと振り返ってみて、何か足を止めたままの別の自分がいて




「あれ、こんなんで良かったっけ?」




とか思ったりする。






俺は錐や鷹にゃなれんけど、




置いてきた自分を迎え入れてやることくらいはできる。




でもそしたら、もしかしたら、




破れない嚢や裂かれない鎧を身につけられるかもしんねーし、




と思って、




今日はちょっと元気が出た。






お酒は飲みすぎないくらいがちょうどいい。





芸術や仕事や、勿論日記や人との会話も、全部「表現」したいことを色んな形にしているだけ。

至極当然だけど、本気で「伝えたい」と感じた時に初めて才能の壁にぶち当たる。

ある程度ニュートラルに、でも注意は逸らさず。

スポーツする人も多分分かると思うけど、心・技・体 が一つになる「瞬間」がある。

それがここ10年くらい、無い。

一番欠けてしまったのは心。

自信満々に咲く桜を見ると、何故か無性に寂しくなるのは、そのせいなのかと思った。

あ~・・・呑もぐぅぐぅ

例えば野球なら

ピッチャーがそいつで、俺がバッター。

バッターだから元々打ち返すつもりでボックスに立つ。

だからカーブだろうと剛速球だろうと、打ちに行くわけだ。



例えばサッカーなら

PK蹴るのがそいつで、俺がキーパー。

キーパーだから蹴られるのを分かって止めに行く。

だからコロコロだろうとタイガーショットだろうと止めに行くわけだ。



世の中うまく世代交代はいかんもんだ。

でも交代するのは人間同士。

自分の立場が分かれば、目的はハッキリする訳で。

それが役目なら、それをやるだけ。



相手がどんなんなのかなんて関係ない。



最近メンタルで倒れていく仲間を見て、ふとそう思った。