阿寒湖に着きまして。

チェックイン、その他。
予約の際に、幾らマシでレイクビュー、と言う説明も受けていたのですが、
その辺は、無視しておりまして。
ま、予約のやり取りが幾らか酷かったのと、
中国人も減っているだろうから、
ちょっと眺めも良いんじゃないかと、期待をしていましたら、
ガッチリとシティビューでして。
アイヌコタンの看板だけ、嫌にはっきり見えます。
 
とりま、食事の前に風呂に行こうと。
天空露天風呂の有る方へ。
流石に、時間なのか、客が少ないのか、各種の風呂を楽しみ、
いよいよ、露天へ。
 
ドアを開けた瞬間に、おお寒い。
よせば良いのに、温度計もあって、-3℃。
こりゃいかんなと思いつつ、階段を登ります。
一応、スプリンクラー、では無いですが、凍結防止用の温水が、脇から。
近づきすぎると、熱すぎるぐらいのお湯で。
 
夕刻の雄阿寒岳は美しく。
或いは、今回初めて見た阿寒湖は完全に凍結していて、
ただただスノーモービルがミズスマシのように周っているばかり。
良い頃合いに来たな、と言うのと、
マリモ資料館には行かれないな、と言うのが2つ。
 
その後、サウナとか入って出てきた時分に、
丁度お父様が風呂に入ってきまして、
露天が名物よと言うと、じゃぁ行くか、と。
身体も洗っていませんが、最早出る老廃物も無いでしょうから。
足元だけ、確認して。
いい景色だね、良かったね、と。
 
夕食。
ま、バイキングで沢山選んでおりました。
私の視点としては、金髪の幼女が、
「天国ってあるって聞いてたけどよ、ここだったのかよ」と、
デザートコーナーでクルクル踊っていたのが微笑ましく。
 
我が食卓としては、
ま、誰が死んだの、誰が死にそうだの、と。
まぁ、あそこの伯母さんと、あそこの伯父さんが死ぬのならば、
葬式に行かなければ、とか。
 
その他、
姪がアリゾナに留学に行くから、アリゾナ旅行行かないか、とか、
根室で製造されたカレイの煮物が、実家の方でも安く出てて旨かった、とか、
北海道産の、糠ニシンが旨かった。ジャガイモと味噌汁にすると凄い、とか。
イマイチ心に響かない話が続きまして。
 
ポスターで見た、イオマンテの火祭りが引っかかったのでしょうか、
お母様「イヨマンテの祭りやるの?火焚いて?」
私「この辺でやるのは演劇だから」
母「じゃぁ何?イヨマンテって、有名よねお父さん」
父「いや、昔、のど自慢で皆が歌っていたのは知っているけど、それだけ」
とか。
昨晩に続いて、リアルな反応って奴でしょうか。
私も一応注釈と言うか、半丁は入れるのですが、今更余り聞く気も無いようで。
 
食事はお開き。
そうそう、朝にむっくむくだったことを指摘されたので、この日は、大ジョッキ一杯に留め。
お陰で身体が温まって居なかったものか、或いは寒さをちゃんと感じられたものか、
花火を見に行って、凍りかけ、
早々に退散して、エカシに説教食らったのは、速報の通り。
 
持ち時間も半分も過ぎ、手持ち無沙汰でボーっと座っていたので、
何だか座ってみると。
松浦武四郎の話になりまして。
エカシは、松浦武四郎の名前に必ず「三重県一志郡三雲町出身」と付けて居ました、
まるでムスリムが、預言者の名前を呼ぶ時に「その名前に栄光あれ」と付けるように。
 
で、北海道9000箇所の命名をしたそうです。
千島も、全部名前を付けたそうです。
だから、千島は日本の領土なのだ、と。
 
まぁ、ロジカルと言えばロジカルではありますが、
松浦武四郎(その名前に栄光あれ)は、千島に行ったわけでもないし、

戦争の頃には、強制移住とかで、殆ど人は居なかったと言いますし、

占守島の戦いで戦ったか?と言うと、どうだったのでしょうか。
そもそも、千島完全返還論って、根室でも聞かないので…
 
20分近くに渡ってクンロクされている最中、
何だか、エカシの白髪と白眉毛が、何かのファーに見えてきて、
最後に何だかカードを渡された時に、一応地毛に見えましたが。
 
ま、もうちょっと酔っ払っていたら、
もうちょっと酷いことになっていたでしょう。
オホーツク人のこととか持ち出していたかも知れません。
そこは良かったですかね。